禍根を残さず
サーシャの心配はわからないでもなかった。ベラノヴァ団長は、今までジータを全く意識していなかったというが、私が彼女の気持ちを伝えた途端に急変して結婚まで決意した。途中の恋愛期間がすっぽ抜けている。
「……でもジータの気持ちを団長が嬉しく思えたなら、可能性はあるんじゃない?だって好きと思えない人に好意を寄せられても、心はちっとも動かないじゃない」
サーシャが眉を寄せて何度も頷く。
「確かに、全くもってその通りだね。僕は、ベラノヴァ団長に好意を寄せられても迷惑としか思えなかった。その上、サーラにまで……」
腕を組んでサーシャがもっと眉を寄せた。
「サーシャ、二人のために、そのことは墓場まで持っていってね」
「そうする。終わったことだし、二人の幸せを祈るよ」
「陰ながら応援しましょう。ジータはベラノヴァ団長の全てが好きだと言っていたし、ベラノヴァ団長はジータの望む存在になりたいと言っていた。美しい関係だわ」
「うん、案外いい夫婦になるかもしれない」
ジータの部屋でベラノヴァ団長は今頃、どうやって彼女を口説いてるんだろうと想像する。
団長は社交界の令嬢たちを好きにはなれなかったらしいけど、その手の経験はありそうに見える。よく知らないけど。上手いこと進めて、ジータが真っ赤になって照れてるのが目に浮かぶようだった。
冷めててもおいしいレモン風味の爽やかなハーブティーを飲み、私はソファの背もたれに寄りかかって脱力する。
「サーシャが弟で良かったわ」
「どうしたの急に。それおいしいから?」
サーシャが使っている部屋はサーシャの気配に満ち、実家のような安心感があった。
「おいしいけど、そうじゃなくて。私が今の私になれたのは、サーシャがいたからよ」
今関わっている人たちみんな、サーシャがいなかったら出会えもしなかっただろう。弟がいない私は剣術に興味を持たず、勉強もがんばらず、中身のない令嬢になっていた気がする。ルカルディオ陛下が好きになってくれるはずもなかった。
「僕もそうだよ。サーラがいたから、負けたくなくてがんばれた」
私と同じ紫の瞳が、最大限の愛情を湛えて私を見下ろしていた。愛情を表すことについては負けてるかもしれない。
「ねえ、サーラ」
「うん?」
「ハンカチの刺繍、終わったの?」
「……まだ。息止めて丁寧にやってるから、あとちょっと」
「見てあげるから、持ってきて。陛下の誕生日は明日なんだよ」
「うん……」
サーシャは有無を言わせない感じで微笑んだ。サーシャの刺繍への情熱はすごいものがある。
◆
翌日、タマラとクレオに朝の身支度をしてもらっている私のところに、遅れてジータがふらふらとやってきた。
「あら、ジータは遅かったわね? 体調が悪いの?」
「ごめんなさい、何でもないんです。手伝いますわ」
座っている私の背後にジータが立ち、大きな鏡越しに目が合う。彼女の灰色のつり目がちの瞳はうっとりと潤み、頬紅無しでも頬は赤みが差していた。どう見ても何かあったけど、敢えて私はジータに質問をぶつける。
「昨夜は遅くにベラノヴァ団長をあなたの部屋に向かわせてごめんなさいね、つい口が滑って、あなたの気持ちをすっかり話してしまったのよ。どうなったのかしら?」
「そ、それは……」
一気にジータが真っ赤になるのが鏡越しに確認できた。
「サーラ様のバカ……」
ぽそぽそと呟きながらジータは、私の背中に指で字を書いていく。その文字を頭の中でイメージすると、ありがとう、だった。
「ジータったら。そういうかわいい動きはベラノヴァ団長にやってあげて。愛してるって書いてあげたら?」
「?!」
もう限界に近いと思われるくらい赤かったジータの顔色が、熱でもあるみたいに紅潮するのが鏡越しに確認できた。タマラとクレオもそれを見てニヤニヤと笑う。ジータとベラノヴァ団長は、完全にいい感じになったらしい。
タマラが訳知り顔でジータに軽く肩をぶつけた。
「ベラノヴァ団長は昨夜、いつまでもジータの部屋にいたわねえ。ドアの音でわかるのよ。それで寝不足なのかしら?」
「お、お、お話してただけよ!! 将来のこととか……」
「まあ、もう将来を誓い合ったの?いいわねえ、お仕事も恋愛も順調で。ベラノヴァ団長に愛されて」
「きゃあっ!! 何てことを!!」
タマラは明確に、昨日ジータが私に言ったセリフを模倣していた。タマラも案外なかなかのやり手だ。
「何てことも何もないわ、ジータばかり羨ましいって話よ。サーラ様に生意気な態度を取って、ベラノヴァ団長の気を引いて、見事ベラノヴァ団長を射止めたのよね?すごいわ、私にはとてもできない」
「わざとじゃないもの! それに今までのことは昨日サーラ様に謝ったわ」
「謝れば許してもらえるなんて、ジータはおめでたい頭をしてるわ。良かったわね、サーラ様がお優しくて」
激しいやり取りをしているが、彼女たちが子供の頃からの付き合いで、とても仲が良いと知ってる私は止めなかった。姉妹ケンカみたいなものだ。タマラが私とジータの間に禍根が残らないよう、気を遣ってくれてる可能性も微かにはある。単に隙だらけのジータが面白いというのもありそう。
「お、覚えていらっしゃい!! タマラが誰かとお付き合いするときには百倍にしてからかってあげますわ!!」
「あら、ベラノヴァ団長の部下を私に紹介してくれる気かしら? やるわね、もうベラノヴァ団長をお尻に敷いてるの?」
「タマラ!!」
ジータとタマラが騒いでいる間に、クレオがせっせと私の髪を結い上げ、装飾品で飾り付けてくれた。
「ごめんなさい、サーラ様。二人が役立たずで……」
「いいのよ。優秀で個性的な侍女を持って私は幸せよ」
今日は陛下の誕生祝賀会当日だ。思いきり華やかにしてもらった。陛下の瞳に合わせた、鮮やかなエメラルドのイヤリングとネックレスが輝いている。
魔法花火がいくつも上がり、大輪の花が青空に咲いた。ディランドラ帝国の皇帝、ルカルディオ陛下の誕生日は、国民の祝日でもある。警備隊や医院などどうしても必要なところ以外はみんな仕事を休む。
音楽隊が帝都の街を練り歩き、その後ろは一般市民が仮装をして踊り歩く。帝都の各所ではパンやワインや燻製が無料で配られ、皆が思い思いにのんびりと過ごす。
貴族全員に招待状が送られ、宮殿は大変な賑わいを見せていた。この人数に対応する飲食物の手配や侍女や警備の配置など、去年の記録があっても準備は大変だった。
今までは儀典長が主に取り仕切っていたが、パーティーを催した後にいつも寝込んでいたというのも納得する。忙しい陛下に細々と最終確認を取らなきゃいけないし、しかもルカルディオ陛下が女性に近づけなかったので、その配慮もしなければならなかったという。
「今年はサーラが取り仕切ってくれたから、すごく新鮮な気持ちだ。パーティーが始まるまで全容を何も知らないなんて初めてだな」
一段と着飾って赤いサッシュを身に付けた本日の主役、ルカルディオ陛下は会場を一目見て、無邪気に微笑んだ。それだけで色んな苦労がふっ飛んでしまう。
「喜んでもらえて良かったです」
「ああ、こんなに嬉しい贈り物はないよ」
心から幸せそうな陛下に、私の心臓がドキッと脈打つ。帝国で一番尊くて偉い身分の陛下は、基本的に誕生日には人に与える立場だ。
刺繍のハンカチなんて地味なもの、いつ渡そう?




