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諫言

 翌朝、私はいつものようにルカルディオ陛下の執務室に出勤した。昨夜飲み過ぎたワインがほんのり残っているけれど、そこまで気分は悪くなかった。


「おはようございます……陛下? どうされました?」


 大きな執務机の奥に鎮座する陛下は、私よりずっと気分が悪そうだった。青ざめていて生気がまるでない。陛下が呪われるはずはないし、普段はお酒を飲まない人だ。病気かもと心配になる。


「サーラ、聞きたいことがある。こちらへ」


 陛下は質問には答えずに、沈痛な面持ちで私を呼んだ。悪い知らせを予感しているみたいに低い声なので、私も何を聞かれるのかと不安になる。


「はい。何でしょう」

「昨夜は、どこで何をしていたんだ?」


 私がダンジェロ宰相閣下と会ったことがもう耳に入ったのかと私は首を傾げる。知ってるならわざわざ問い質さなくてもいいのに。


「……答えられないのか?」

「ダンジェロ宰相閣下の私室で、閣下とお話していました。ベラノヴァ団長も一緒です」


 色を失くした白い顔の中、陛下は翡翠の瞳をすうっと細めた。陛下はとてつもない美形だから、それだけで迫力がある。どうやら私の行動が気に障ったらしい。


「いけませんか。陛下はそんなに私を政務に関わらせたくないんですか?」

「違う。サーラが嘘をついているからだ。ずっと団長と居たんだろう? 遅くに団長と二人、酔った足どりで歩いているのを見た者がいる」

「それはダンジェロ宰相閣下とお話した後、帰りに送ってもらっただけです」


 そのとき、背後で扉が開かれたので私は振り返る。まさに話題の人、ダンジェロ閣下が厳然たる表情で陛下だけに挨拶をして入ってきた。彼が部屋に入ってくるのは珍しいが、昨夜はあんなにワインを飲んでたのに、ぴしっとしている。


「ダンジェロ閣下、おはようございます。昨夜はご馳走様でした」


 私は丁度いいから証言してもらおうと、昨日までよりかなり気安い気持ちで閣下に微笑みかけた。


「昨夜? はて、何のことでしょうか。私は部屋でひとりで過ごしておりましたが」

「え?」


 怪訝そうにダンジェロ閣下は私を睨み付ける。その口調は固く、距離感があった。昨夜はもっと親しげだったのに。


 ――閣下に、嵌められた?


 冷水でも浴びせかけられたように頬が冷えた。


 優しい人だと思ったのに、あれが全部嘘だったのかと空恐ろしい感じがした。目の前にいるのはワインをガブ飲みするちょっと破天荒なおじいちゃんでも何でもなく、いつもの謹厳な宰相閣下でしかなかった。


 でもよく考えたら、わざと崩した態度で相手の油断を誘うなんてこの世界の常套手段だ。ああそう、あのとき閣下が不自然にルカルディオ陛下の昔話を始めたのは時間稼ぎだったんだ。あの隙に人をやって、陛下に知らせでもしたんだ。じゃあ帰り道の庭園で感じた幽霊みたいな気配は間者か何かで、偶発的とはいえベラノヴァ団長と体を寄せていたところを見られていたってこと?


「サーラ、頼むから本当のことを言ってくれ」


 陛下の声には哀切な響きがある。でも、足下が揺れているみたいだし唇は信じられない重さで開きそうもなかった。だって私は陛下に疑われている。よりにもよってベラノヴァ団長との浮気を。この場合、ベラノヴァ団長を呼んでも意味はなさそうだった。


「サーラ様、どうして何もおっしゃらないのですか?」


 憎々しいことに、ダンジェロ閣下が薄く笑った。そうでしょうとも、ダンジェロ閣下はルカルディオ陛下が生まれたときから信用を勝ち得ている。私なんて陛下とまともに交流し始めてまだ1年にもならない。何を言っても、負けが確定していた。


「……なんてな」


 目尻に皺を寄せて、ダンジェロ閣下がおどけた笑みを浮かべた。


「なっ?」

「申し訳ございません。一芝居打たせて頂きました。サーラ様は昨夜、本当に私の酒に付き合って下さっていただけです」


 ガタッと音を立てて陛下が立ち上がる。陛下の椅子は立派で重いので、相当力が必要だったはずだ。


「ダンジェロ?!」

「立派になられた陛下にお教えすることはもうないと思っていましたが、まだまだですね」


 泣き笑いみたいにダンジェロ閣下は顔を歪める。


「陛下。いくら私だからといって信じてはなりませんよ。お忘れですか。ファウスト陛下は、信用していた侍医に裏切られたのです。侍医の家族を人質にされ、治療も受けられず身罷(みまか)られました。私も同じようにされる可能性があるかもしれません。家族に警備はつけておりますが、数多くの無辜(むこ)の民をと脅された場合はわかりません」


 過去の悲劇に囚われ、胸を痛め続けているダンジェロ閣下の心情の吐露だった。私は、騙されたことも忘れて胸をおさえる。陛下も同様に、心打たれている様子だった。


「ダンジェロ……」

「ニヴェスリア元妃が去ったことはわかっております。けれど、陛下とサーラ様を陥れたい者は依然として存在しているのです。私の最後の諫言(かんげん)として、お聞き入れ下さい」

「それは分かったが、ダンジェロはもしかして体がどこか悪いのか?」

「いえ、至って健康体です」


 でしょうねと私は心の中で叫んだ。お酒は強いし、頭も冴え渡っている。ダンジェロ閣下は強い眼差しを私に向けた。


「サーラ様、騙して申し訳ありませんでした。しかし約束は守ります。今日だけは陛下のお仕事を肩代わり致しますので、どうぞお二人で話し合って来て下さい。それが一番です」


 ダンジェロ閣下は、信じられないことに陛下に体当たりをするようにして陛下の椅子に座った。そのまま真面目な顔で積み上がっている書類の見分を始める。


「おい、ダンジェロ……」

「いいですから、早くサーラ様と二人で話をしてきて下さい!!」


 困り果てた陛下と目が合った。私は肩をすくめて見せる。


「サーラ、話をしても構わないか?」

「はい、もちろんです」

「ついてきてくれ」


 陛下は執務机の背後に置いてあった赤いマントを拾い上げた。話をすることは全然やぶさかじゃないので、陛下の後に続いて執務室を出る。


「どちらに?」

「眺めの良いところでも行こうか」


 私が特に意識したことのないような地味な扉を陛下は開けて、狭い階段を上る。着いたのは、恐らく本宮で一番高い場所にあるバルコニーだった。地面は遥かに遠く、霞んで帝都が一望出来た。冷たい秋風がびゅうびゅうと吹き付ける。


「寒いだろう。これを」

「陛下も寒いでしょう」


 私にだけ赤いマントを巻き付けようとする陛下に抵抗して、私は一緒にマントの内側に身を納めることに成功した。この方が暖かい。


「サーラ」

「はい」


 私たちはぎこちないまま、体だけはくっつけて一枚のマントに包まれていた。ダンジェロ閣下には二人で話せと言われたけれど、どこから切り出すべきかわからない。


「すまなかった」


 言葉を探しあぐねていると、先に陛下に謝られてしまった。


「いえ。いいんです。私の行動が軽率でした」


 陛下は悪くないのにと涙が出そうになる。


「――言い訳だが、サーラがダンジェロと直談判するなんて思いもよらなかったんだ。今までほとんど交流もなかったしな。それでダンジェロの側近からの報告を信じてしまった。申し訳ない」

「陛下は悪くありません。今回は、私に非が十分にありました。無ければ作ればいいとダンジェロ閣下はお考えになられたのでしょう。その策は見事でした。私は駆け引きとか騙しあいとか出来ないから、陛下は政務から遠ざけてたんですね」


 間近にある陛下の長い睫毛が、ぱちぱちと動いて私の発言をやんわり否定した。


「サーラに足りないところなんてない。そうじゃないんだ。聞いてくれ」

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