夜の会合
妹君にやり込められているベラノヴァ団長は、ちょっとかわいげがあった。私は木苺ジャムを挟んだクッキーをつまみ、兄妹の小競り合いをしばらく眺めていた。
カミラ夫人は16歳で結婚して、子供を産み育てている。なのに誰も好きになれないからといつまでも結婚しないベラノヴァ団長や、それを許している両親に思うところはあるのだろう。私はそこに口を挟めない。
ベラノヴァ家を継げる長男なら、33歳でもまだまだ若い令嬢と結婚が可能なんてずるい、不公平だなどとカミラ夫人は訴え続けた。その辺の考え方が、息子のミロに教えるでもなしに伝わっちゃったんだなとひっそり納得した。
「……はっ!!私ったら、サーラ様の前で長々と、失礼致しました」
「いえいえ」
言いたいことを言い終わったカミラ夫人が私に向き直り、コホンと咳払いをする。
「まあその、ミロは子供ながらに人生の不公平さを嘆き、人形遊びに傾倒しておりましたの。その様なところで犯した失態でしたが、サーラ様の慈悲により、ミロをアントニオ皇子の侍従に引き立てて頂いたことはあの子にとっても、私にとっても大変僥倖でございました。誠心誠意努めさせますわ」
「……そう言って頂けて、嬉しく思います」
大変、のところをカミラ夫人は強調した。私は曖昧に微笑む。これはどうも、いつかミロに爵位をと求められているようだ。
確かに幼い頃からアントニオの侍従を勤め上げ、側近や補佐官などになれば爵位を授与される可能性はあるのだった。
でも私はまだ陛下の婚約者の立場だし、ミロの爵位をお約束など出来ない。
「私ったら、カミラ夫人にお話して頂いてばかりでしたね。どうぞお菓子を召し上がって」
丁度良く、アントニオとミロが庭園の散策から戻って来たので話題は切り替わった。アントニオは一仕事終えたみたいな、満足している顔をしていた。
お茶会を終えてカミラ夫人が帰り、私は少しアントニオの部屋に寄る。ミロは、与えられた私室の整理をする予定だ。今日からミロは親元を離れ宮殿の人となる。
「アントニオはミロと上手くやっていけそう? みんなの前では仲良さそうだったけど、本当にもう怒ってないの?」
私はアントニオと並んで長椅子に座り、気になっていたことを聞く。カミラ夫人にあんなに頼まれたけど、アントニオに無理強いもさせたくなかった。
「あんなチビにいつまでも怒ってません。だって、走ったら私より全然足が遅いし、体力もないってよくわかったし」
余裕の笑みを浮かべながら、アントニオは私にもたれ掛かってくる。いいのかなこれで――と疑問はあったが、私もつい抱き寄せた。甘えられることに心地好くなっている私がいた。
「一応言っておくけど、あんまり馬鹿にするのはよくないわ」
「馬鹿にしてるんじゃないです。事実です。私より遥かに弱い立場のミロに怒っても仕方がないですから、かわいがる予定です。今のサーラのように」
私は、無意識にアントニオの形の良い頭を撫でていた手を止めた。
「あっ、これはやりすぎよね……」
「別にそのままでいいです。でも、私はミロを撫でたりはしないですよ多分。私ほどはかわいくないですし」
「何言ってるの」
アントニオの手が伸びてきて、撫でる作業を続けさせようとしてきた。いいならいいかと、私はまた滑らかな金色の髪を撫で始めた。
「まあでも、ミロは家で良く言い聞かされたんでしょうね。かなり大人しくなってたから、これから楽しみです……」
ちょっと意地悪な微笑みを浮かべて、アントニオは目を閉じる。庭園を走ったあとにお菓子をたくさん食べて、眠くなったようだ。伸び伸びしてて何よりだけど、この後もアントニオには授業が待っている。
「……」
でも、とりあえず教師がこの部屋に来るまでは寝かせてあげようかなと私は静かにアントニオの寝顔を見守った。
◆
翌日、ベラノヴァ団長に剣術の稽古をつけてもらっているときだった。お昼休みの時間なので、鍛練場にほかには誰もいない。
「ダンジェロ宰相閣下に、サーラ様がお話をしたがっていると素直に伝えました。そうしたら一も二もなく是非とも時間を作ろうと了承してくれましたよ。何の奇術も不要でした。実は閣下も気にされていたそうで」
「宰相閣下に奇術を使うつもりだった団長が怖いですね」
「ははは、それは言葉のあやです」
私の指摘も刺突も軽くいなし、ベラノヴァ団長は連撃を繰り出した。私はかわすのに必死になる。本当に、団長は実力がある人だ。卑怯なことしなくても十分過ぎるくらいに強い。
「うっ!!」
私の持つ剣が強烈な一撃で弾かれて、声が漏れる。剣撃を殺す角度を取りきれなかった私のミスだ。私は剣を取り落としてしまった。
「サーラ様は少々お疲れのようですね。今日はここまでとしましょう」
ベラノヴァ団長は地面に落ちた剣を拾い上げ、恭しく差し出した。確かに連日の睡眠不足がたたってか、体が重く感じていた。陛下にプレゼントする刺繍や、政治の勉強で寝る時間は遅くなっている。
「ごめんなさい」
「謝ることではございません。ただサーラ様を心配しております」
団長の青い瞳が、意味深に私を観察していた。私が本当は何を悩んでいるのかと、探っている目だ。
「これは色々とお勉強して寝不足なだけで、心配はいりません」
「何でも相談して下さいと申しておりますのに」
これ以上団長を心配させるのも悪いかもしれない。私は肩の力を抜き、剣を地面に突いた。
「大した秘密はないんですよ。ほんのちょっと、ルカルディオ陛下と結婚後の政務の分担について水面下の争いをしているだけです。陛下は私に政務をさせたくないようですが、私は陛下の負担を軽くしたくて。でも、嫌がってるのに無理に私の意見を通すのも悪いですし……」
「成る程、そういったことでしたか」
私のごちゃごちゃした台詞に、ベラノヴァ団長は皆わかったというように自身の顎に触れた。
「だから、サーラ様はダンジェロ宰相閣下と話をする機会をお求めになられたのですか?」
「ええ、そんな感じです」
お茶会で宰相閣下のことは思いつきで言ったが、後から間に入ってもらうのもありかなと考え直している。ベラノヴァ団長は頷いた。
「素晴らしいお考えです。では、それらも含めて、ダンジェロ宰相閣下に伝えておきます。閣下は優しい方ですし、お二方の為に骨を折って下さいますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
宰相閣下のことはよく知らないが、ベラノヴァ団長がそう言うならそうなんだろう。
数日後の夜に、ダンジェロ宰相閣下との会合は設定された。閣下もお忙しい方だし、私も結婚式の準備やアントニオの世話など何だかんだで忙しい。夜しか都合がつかなかったのだ。
「暗いので足下にお気をつけ下さい」
ベラノヴァ団長に付き添われ、庭園を歩いて重臣が寝泊まりしている玻璃宮殿へと向かった。この玻璃宮殿は表面がガラス張りとなっている美しい建物だ。
夜は内部に設置されたランプがぼんやり光って幻想的でさえある。政治に透明性を、というダンジェロ宰相閣下の思想で建てられたらしい。尤も、内部は見えない造りだけど。
「閣下、サーラ様をお連れしました」
「うむ、入ってくれ」
滞りなく宰相閣下の私室に通される。中は、色々な国の調度品が置かれた賑やかな部屋だった。もっと質実剛健、みたいな想像をしていた私は、色鮮やかなタペストリーや、見知らぬ様式の壺などに目を奪われる。
しかし、出迎えたダンジェロ宰相閣下はいつも通り厳粛な表情だった。黒髪の大半が白くなるくらい歳を重ねた方だが、未だに眦の上がった茶色の目が私を睨んでいる。
「今晩はダンジェロ宰相閣下のお招きに与りまして、大変光栄です。とても楽しみにして参りました」
いつもの近衛騎士の制服のままなので、私は騎士の礼をした。
「夜分にご足労願って申し訳ない。しかしサーラ嬢がやっと私のところに来てくれて嬉しく思う。さあ、寛いで座ってくれたまえ」
どうしたことか、深く刻まれた目尻の皺を寄せ、宰相閣下は微笑んだ。思ってたのと違う歓迎に私はぎこちなく、低めのソファに腰かけた。




