根回し
無事にアントニオとの話をつけた私は、ルカルディオ陛下の執務室に出勤する。陛下は山積みの仕事に追われているようだったが、私を見るなり手招きをした。
「はい。何か、お手伝いすることがありますか?」
「これはもうサインするだけだ。それより、アントニオはどんな反応だった?」
陛下は美しい面を上げ、感じよく口元を笑ませてくれる。だけど今朝の陛下は、朝日を浴びてもなお陰りがあった。疲れているのかも。
「アントニオのことですか? 嫌がってましたけどミロを救って欲しいと使命感を刺激したら、やる気を出してくれましたよ」
「ほう。サーラは直情家のようで、時に策略家だな」
「あはは……」
時にじゃなく、私っていつもずるいんですよ――と声に出さずに胸のうちで呟く。陛下に対してもそう。じわじわと計略を張り巡らせて、いずれは陛下の仕事の半分は任せてもらうんだから。
「ところで、サーラは昨夜、眠れなかったのか? 少し顔色が悪い」
陛下だって顔色が悪いのに、私の心配をしてくれる陛下に胸がきゅっと痛んだ。慌てて頬を叩いて血色を良くしようとする。
「ちょっと夜更かしをしてしまいました。初めてのパーティーに興奮して眠れなかったので、本を読んでたらつい……」
驚かせたいので、陛下に贈るハンカチの刺繍をして夜更かしをしたとは言えない。適当な嘘を並べた。
「休養は良く取ってくれ。ただでさえサーラは、私に合わせて休みを取らないのだから。何なら今から休みにするか?」
「だ、大丈夫です! 今夜は早く寝ますから!!」
陛下は本気で心配そうだった。でも私もつらいとは全く思っていないのだ。
皇帝である陛下は、近衛騎士や重臣や侍女のような定期的なお休みは取らない。毎日、何かしら仕事をしている。だから私も毎日ここに来ている。簡単な理論だ。
「だって、私は陛下と一緒にいたいんですよ」
「サーラ……」
しばし視線が交錯した。陛下が私をすごく大切にしてくれてるのはわかる。私も同じようにしたいのに、今は少しだけ噛み合っていない私たちの状態が悲しかった。陛下がそっと翡翠の瞳を伏せた。
「わかった。今夜は早く寝てくれ。それと、もう寒くなってきたから窓を開けたまま寝ないように」
「そうですね。幽霊もいますし、窓はちゃんと閉めるようにします」
「幽霊だと?」
雰囲気を変えようと持ち出した話題に、陛下は目を見開いた。冷静に考えると窓を閉めても幽霊には関係なさそうだけど、興味津々の陛下に嬉しくなる。
「はい! 幽霊がいたんです。昨夜おかしな気配を感じて窓を開けて外を見ると、姿は見えないのに、何かがいたんです! あんなの初めてでした!」
私は身振りを交えて一生懸命説明する。
「気のせいじゃないのか? 木の影とかでは?」
「確かです。私が魔力や筋力の不足を補うために、五感を鍛えているという話はしましたっけ?」
「初耳だが、確かにサーラはすごく気配に敏感だな」
「ええ。風の流れや音、匂いなどを総合して、勘として気配を察知できるのです。闇の中に佇んでいた、目には見えないあの幽霊はちょうど……陛下くらいの長身ですてきな体格でしたね!」
「ごほっ」
咳き込むくらいに陛下はいい反応だ。陛下って幽霊話が好きだったらしい。
「そこまでわかるのか。サーラを怖がらせてすまなかった」
「なんで陛下が謝るんですか? それに怖くはないですよ。呪いをかけてくるのは生きた人間ですし、もし呪われても陛下が解呪してくれますよね?」
「それは、もちろん。そしてアントニオと共に犯人をあげる」
さりげなくすごいことを言って、陛下は苦笑した。なんかいい雰囲気だ。これは幽霊に感謝したい。
そのとき、ノックの音もなく分厚い扉が開かれて私は振り向いた。この執務室にノックなしで入室できる人は少ない。
「陛下、今よろしいですか」
ダンジェロ宰相閣下が、厳然たる調子で扉口から問いかけてきていた。私の姿を認めて、無駄話をしているなら、よいに決まってると言いたげである。
彼は先帝陛下の時代に宰相の職に就いた。先帝の崩御によってルカルディオ陛下が11歳で即位してからも、幼かった陛下を支え重臣をまとめ上げた功労者だ。特に私欲を満たそうとすることもなく、陛下と国に尽くしてくれていると聞く。
だからこその威厳と圧がすごい。宰相閣下は黒髪に白いものが混じり始めているが、まだまだ眼光は鋭く、目が合うと私はいつも睨まれている。
「ああ。サーラ悪いな、話をしてくる。眠かったらサーラはいつでも仮眠を取るように」
名残惜しそうに指令にもならない指令をして、陛下は部屋を出てしまった。陛下が宰相閣下とお話するときは、絶対にここではないどこか、だ。私はダンジェロ宰相閣下と一番初めに挨拶して以降、ほとんど口を聞いたことがない。
多分嫌われているんだろう。宰相閣下からしたら、孫みたいにかわいいルカルディオ陛下だ。変な話だけど、嫉妬されてるように感じられる。
「ねえ、サーラ」
今まで自分の席で黙って何かをしていたジルが猫みたいに伸びをしてから、ひょこひょこと歩いてくる。
「あんまりルカを困らせないでね。ルカは純粋なんだから」
何があろうとルカルディオ陛下が最優先のジルに私は笑ってしまう。調子の悪そうな陛下が気になるんだろう。
「大丈夫よ、ゆっくりするから」
「何を?」
「少しずつ、お仕事を任せてもらいたいってこと。そうしたら陛下の負担を減らせるじゃない?」
「ああ、それは僕も初期の頃に確かに言ったけどさ。サーラが皇后になってルカを助けてって。でも今は僕も皇弟としてちょっとは手伝えるから……」
最後の方はゴニョゴニョと誤魔化しながらジルは言う。自由と魔法を愛するジルは、あまり書類仕事は好きじゃない。気が付くと席を外し、どこかで息抜きをしている。
私は自分の席に行き、机の引き出しを開けた。平和になって、やっと書き上げた国政に関わる提案書を取り出してジルに見せる。
「これをいつ陛下にお見せしようか悩んでるの」
「すごいね、サーラはこんなの書いてたんだ」
慈善事業を推し進めるにあたり、どうしても現行の政治に対して提案が出てしまう。養護院に予算をつけて、子供を養育するだけではキリがない。親のいない子供を増やさないために、教育や医療の面から親世代を支援をしたらどうかと思うのだ。
でも、私を政治から遠ざけたそうな今の陛下にこれを提出しても渋い顔をされる未来しか見えない。根回しってやつが必要そうだ。
「政治の世界って難しいのね」
「わかる、難しい」
ジルは何度も頷くが、ボサボサの頭が気になった。玉の輿を狙って言い寄ってくる女性避けとだとか言っていたけど。
「ジル、その髪は整えた方がいいんじゃない? 私がジルベール様のお世話してあげなきゃって燃える女性が寄ってきそう」
「えっ?! そうなの?! やばい、切ってくる」
頭を隠しながらジルは部屋を飛び出して行った。良いお友達のジルには思ったことをほとんど何でも言える。でも、陛下に対しては大好きすぎてたまに難しい。
◆
数日後、ミロ・ココシーニがアントニオ皇子の侍従として正式に入宮した。それを祝って、私はささやかながらミロと母君のためにお茶会を催した。私がお茶会なんて女性らしいものを主催するのは初めてである。これには、私の侍女たちが大いに喜んでくれた。
木の葉が赤や黄色な色づく秋の庭園に瀟洒なテーブルが設置され、ティースタンドには一口大の色とりどりのお菓子がふんだんに用意された。
肩までの銀髪をきちんと整えてきたミロは、やはりドレスを着せたら美少女と呼べるくらいにかわいかった。アントニオの1歳下のせいか小さく見えるし、頬がぷくっとしている。私はすぐ傍のベラノヴァ団長と何度も見比べた。平和になっても、団長は相変わらず私の護衛をしてくれている。
団長が言うには、甥ながら自分の子供の頃にそっくりだそうだ。将来団長のように大きく逞しくなってしまうのかと、儚い少年の美を目に焼き付けた。
「サーラ様、どうぞこれからよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくね」
ミロは若干の舌足らずもかわいかった。アントニオがミロの腕をぐいっと引っ張る。




