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窓明かり

ルカルディオ視点です

 アントニオの部屋まで出向くと、既に寝衣に着替えていたアントニオは強張った表情で出迎えた。


「アントニオ、私は叱りに来た訳ではないから、そう硬くならなくてよい。もう寝るところだったか?」

「はい。でも着替えます」

「気にするな。私たちは一応家族の仲だろう」

「でも……」


 まだ礼装のままの私を前にして居心地が悪そうなので、私は首元のクラバットをほどき、刺繍や金ボタンで重いジャケットを脱いだ。シャツも数個ボタンを外してしまう。


 目を丸くしていたアントニオは、はっとして手のひらをソファに差し向ける。


「どうぞ、おかけになって寛いで下さい。それから、今日は父上の大切な婚約の祝宴に水を差したことをお詫びします。また、私から出向くべきでしたのに、わざわざ私の部屋までお越し頂き申し訳ありません」


 アントニオは殊勝な態度を見せる。以前は暴君にしかなり得ないと思わせる言動だったが、すっかり成長していた。家庭教師をしていたというサーラの教育は素晴らしい。もし次の皇帝になるとしても、今は礼節を学ぶべき時期だ。私もそうだった。


「よく学んでいるようだな」


 とりあえず向かい合って座るが、アントニオは怒られるのではと萎縮しているようだった。つい意地悪な笑みが漏れた。


「そんなに嫌がるな。いい加減私に慣れたらどうだ?」

「慣れたつもりですが、私の態度で不快にさせたのであれば謝罪致します」


 ため息が出る。私は万人に好かれる方法は学んだが、アントニオとの付き合い方は未だにわからなかった。


 サーラが取り揃えた育児書は貸してもらって、一通り目を通した。だが女性目線のものがほとんどで、どうも参考にならない。


 また、歳の近い継子や養子との付き合い方を記した貴婦人の日記などは数多くあった。しかし事情によって両親を失った異父弟を養子に取らざるを得なかった皇帝の日記は、帝国のどこを探させても存在しなかった。


 結局、父上を思い出してアントニオと接するしかない。


 父上はいつも厳しかった。何かにつけてもっと勉強しろと言われたし、間違いを指摘されてばかりだった。それでも出来ていたら熱心に誉めてくれた。基本的に、無条件に大好きな父だった。


「アントニオ」


 名前を呼ぶが、反応はない。


「話は聞いた。お前の聖顕の瞳は、かなり過去のものまで見透せるそうだな」


 やっと視線を上げ、アントニオは私によく似た翡翠の瞳を向ける。私も子供の頃はこんなに頼りなかったのだろうか?


「はい。母上が鍛えて下さいました。毎日、ひたすら呪いに触れていました」

「苦労したな。よく乗り越えた」


 この能力があってこそ皇帝の座を不動のものに出来るが、呪いが見えるのは不快なものだ。それに幼少時の訓練は暗闇の中でひたすら身を切り刻まれるような辛いものだった。あれ以上だったのかとアントニオに同情が湧く。


「……そ、それだけですか?」

「そうだ」

「私を叱りに来たのでは?」

「違うと最初に言っただろう。そもそも、揉め事くらいはあるものと想定していた。その理由は想定外だったが、アントニオはあまり悪くない。ああ、足を蹴られて咄嗟に手を出すのは上策ではないな」


 アントニオの出自について揶揄する子供くらいはいるかと思っていたが、賢い子供ばかりだったようだ。現在のところ、皇位継承権第一位のアントニオに媚を売って損はない。


「そうですね、反省しています。同じ失敗は繰り返しません」

「ならいい。その力で、もし私の身に何かあったらサーラを守ってやってくれ」

「……はい。もちろんそうします」


 意外そうにアントニオは目を見開いた。


「私は死ぬつもりは全くないがな。我が一族はどういう訳か皆短命だ。私が死に、サーラが皇太后になったら狙われることもあるだろう。アントニオが居てくれて良かった」


「勿体ないお言葉です。どうか、いつまでも健やかであって下さい」

「うむ」


 これで語ることがなくなり、無意味に指を組み合わせた。ミロがアントニオの侍従になる話は、サーラから説明すると言っていた。


 ――私は、サーラがいなければアントニオとの会話もままならないのか。


「父上は、私に言うことがまだ何かあるのでしょう? 大変深刻なようですが」


 心配そうなアントニオが、自分の落ち度を探すように問いかけてくるので慌てて笑みを作る。


「そんなに暗い顔だったか。悪いな、自己嫌悪に陥っていた。私も今日は少し失敗したから」

「父上がですか?」

「サーラに対して失言をしてしまったようだ。それからサーラが沈んでいるように見えて、どうしたらいいのか」

「何とおっしゃったのですか?」

「それは……」


 サーラに対して『何も期待していない』と言ったあの発言だろう。かわいらしい瞳で何度も瞬きをして、困惑していた。傷つけたかもしれない。


 あれは、これ以上はもうしなくていいという意味だった。サーラは既に、十分過ぎる程に私を助けてくれた。その上で私を愛してくれている。幸せすぎて怖いくらいで、望むものなど有りようがない。


「言いたくないならいいですけど……失言だと思うのならサーラに謝ればいいのではないでしょうか」


 黙って悶々としていると、焦れたアントニオが眉をしかめていた。


「謝りたくないんだ」

「ええ?」

「謝ったら、サーラにより多くの仕事を任せることになる。私はサーラに楽をしてもらいたいんだ」


 あのときはすぐに訂正して謝ろうと思った。しかしフォレスティ夫人の姿を目の当たりにした後ではもう無理だ。彼女は、必要とあらば夫のフォレスティ公と離れて暮らし、痩せ細るまで夫と子供たちの為に働く何とも心がけの美しい献身的な女性だ。人として尊敬する。しかしサーラに彼女を目標にされては困るのだ。


 愛する人が身を削って働くかもしれない未来を、どうしても受け入れられない。


「なるほど。結婚後の仕事の分担について早くも揉めているのですか」

「察しが早すぎるぞお前は」

「遊んで暮らすのはサーラの望みではないと思いますよ」

「わかっている」

「ふたりで話し合うことをお勧めします」

「アントニオは、他人のことだと冷静なんだな」

「そうですね」


 アントニオは照れ笑いを浮かべた。明日、ミロを侍従にすると告げられて吠え面をかくところを見たいものだった。



 私は翡翠宮に帰って寝支度をした。何も手につかないし、こんな日は早く寝るべきだろう。しかし、湯浴みを済ませても心は濁ったままだった。


 適当な上着を羽織り、生前に父上から教えてもらった、姿をくらます魔法を自身にかけた。自由に動きたいときには便利な高等魔法だ。誰からも見られることなくなり、多少の足音や声などもぼかしてくれる。


 サーラのいる紫水晶宮に向かう。驚いたことにサーラはまだ起きているらしく、部屋の窓から微かな明かりが漏れていた。


 出入口には、不寝番の近衛騎士がしっかりと立っていた。だが、私は姿を現して正々堂々と入ってもいい。あるいはこのまま密かに侵入することも可能だ。


 話をしに行っていいものかどうか、足が止まってしまう。こんな時間に訪問しては迷惑だろう。だけど顔を見て、そのぬくもりを感じたかった。


 自分を恥じ、頭を抱えていると不意に暗闇が和らいで辺りが見やすくなった。


 サーラが窓を開けて、白い顔を覗かせていた。魔法で姿をくらましているのに、なぜかこちらを見つめている。いや――見えてはいない。


 化粧を落として薄桃色のナイトドレスを着ているサーラは、誰にも見せたくないくらいに清らかでかわいらしかった。どうするんだ、そんなかわいい姿を警備の近衛騎士に見られたら。


 魔法を解除して、注意しようかと喉元まで声が出かける。が、なぜここに突っ立っているのか説明出来なかった。いくらなんでも気持ち悪がられる。


 結局サーラが窓を閉めるまで、私はただ立ち尽くしていた。

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