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男の子

「甥です。妹の子供です」

「そうですか。では、ミロはベラノヴァ団長にお任せしますね」

「はい」


 私は横目でミロをちらっと観察する。入場者はチェックしていたけど、水晶の視野角の問題もあって子供は見えていなかった。


 しかしミロは甥だと断言されなかったら、男の子の服を着た美少女かと疑ってしまいそうにかわいらしい。小柄で、頬はまだふっくらとしていて、銀髪は肩まで伸ばしている。ただ普段はきれいに整えられているのだろうけど、今はひどくグシャグシャだし、頬は少し腫れていた。


 これをアントニオがやったのかと思うと頭痛がするが、アントニオは項垂れたままだ。私が横に腰かけても視線すら動かない。


「アントニオ、何があったの? 大丈夫?」


 私はふと、アントニオの取れそうにぶら下がるシャツのボタンに手を伸ばした。アントニオがびくっと身を竦める。


「そんなにびっくりしなくても……怪我してない?」


 移動中にアントニオ付きの騎士に確認したところ、アントニオとミロは、二言三言の会話で突然掴み合いになったそうだ。どちらが先に手を出したか、なぜそうなったのか未だに不明だ。


 アントニオは顔を上げないが、横から確認出来る目は充血し、涙が盛り上がってきている。


「うーん、部屋を移動しましょうか。その方が話しやすいでしょう?」


 何も言ってくれないので、私はアントニオの手を取って立ち上がった。ちょっと鼻をすすりながらも、アントニオはちゃんとついてくる。


 少し早いが楽団にダンスの曲の演奏をお願いした。会場のみんなに引き続きパーティーを楽しんでと挨拶を述べ、私たちは静かな部屋に移動した。


 ベラノヴァ団長とミロも一緒だ。ほかの騎士やお付きの人は全員部屋の外で待機してもらう。


「4人だけなら話せるでしょ? 何か事情があったの?」


 私は再度アントニオに訊ねる。が、答えはなかった。ベラノヴァ団長も、さっきからミロをきつく問い詰めているが黙ったままだ。大人しそうな外見をしているがなかなかの根性である。そのうち、室内は沈黙に支配された。


――男の子って難しすぎない?


 絶望に天井を見上げ、彫刻がきれいだなーと現実逃避をした。升目に区切られたひとつひとつに雪の結晶模様が彫りこまれている。


「……私に失望しましたか?」


 アントニオが掠れた小さい声をやっと発する。


「し、失望?! そんなのはしてない。もめ事起したくらいで別に」

「でも、失敗したから嫌いになったでしょう。私が理想通りじゃないから」


 充血した目で私を見上げるアントニオは、何かを恐れてるようだった。亡くなったニヴェスリアは案外厳しいしつけをしてたのかもしれない。あんまり触れないでおこうと思う。


「嫌いになってない。失敗なんて誰にでもあるわよ。隣のホールで私も失敗だらけよ。だから気にしないで。アントニオには何もき……」


 うっかり『何も期待してない』と言いそうになり、私は口を閉じる。


「き?」

「き……危険なことがなくて良かった!」


 怪訝な表情で続きを知りたがるアントニオだが、やっぱり言葉の選択としては合ってないので言い替える。


「アントニオはまだ子供なんだし、経験を積んで成長していけばいいだけよ」


 アントニオに言いながら、自分の胸にすとんと落ちる。陛下もこんな気持ちで『何も期待してない』と言ったんだろうか。たった11歳で即位されて14年の陛下から見たら、私の公務なんてよちよち歩きを始めたみたいなものだし。


「サーラ……」

「だから、何があったか教えてくれる? どうしてケンカになったの?」

「それはミロが」


 アントニオが説明しようとすると、ガタッと大きな音がした。ミロが椅子を蹴り倒して逃げようとしていた。もちろん、ベラノヴァ団長があっさり抱き止める。


「おいミロ、どうしたんだ?!」

「うわああ!! 離せ!!」


 ちょっと前のアントニオがあんな感じだったなあと懐かしくなる光景がそこあった。生きのいい魚のように必死に暴れているが、筋骨隆々のベラノヴァ団長に敵うはずがない。


「なんなの?」

「そいつに、呪いの欠片がついてたから変なもので遊ぶなよって注意したんです! そしたら私の足を思いっきり蹴られて、かっとなってつい……」


 アントニオが語った内容に、今度はベラノヴァ団長が額に青筋を立てた。アントニオはあらゆる呪いが見える『聖顕の瞳』を持っている。遊ぶなよ、ということはそれだけ詳細が見えたんだろう。


「何てことをしてくれたんだ。ミロ」

「うっ……」

「お、落ち着いて下さいベラノヴァ団長! 子供のケンカですから」


 このままだとミロの全身の骨を折ってしまいそうにベラノヴァ団長から怒りの闘気が感じられた。


「では、普通にケンカして、仲直りしたということにしましょう。アントニオにケガはないようですから、罪には問いませんし呪いについても広言しません。ミロは未来ある子供ですから。アントニオもそれでいいわね?」

「そんなやつ、私はどうでもいい……です」


 アントニオは私の手をぎゅっと握ってくる。おかしいな、アントニオの世界を広げるつもりが狭まったかもしれない。ベラノヴァ団長が私の前にひざまずいた。


「サーラ様、私だけでなく甥までこのような失態を犯したことを、深くお詫び申し上げます。ミロは妹夫婦に引き渡し、今日はもう帰らせます」

「あまり厳しく叱らないであげて下さい」


 人のご家庭のしつけに口を出すのは憚られるが、呪いなんかで遊ぶわアントニオを蹴るわと彼は彼なりに悩みがありそう。そもそも、何で呪いなんかで遊ぶのか。


 アントニオは果敢にも子供用のパーティー会場に戻るというので、私はベラノヴァ団長とメインホールに向かった。ミロはベラノヴァ団長に引っ張られながら。



 こっちが普通なのだけど、大人だらけのパーティーホールに一歩足を踏み入れると、お酒や香水の匂いがきつく感じてうっとなる。注がれる視線の数鋭さは、丸裸にされてるみたいだ。


それでも笑顔で迎えてくれる陛下の横につくと、ほっとした。陛下と一緒だと防御壁で守られてるみたいに安心感がある。


「アントニオはどうだった?」

「男の子同士のちょっとしたケンカでした。後で詳しくお話します」

「そうか。サーラに任せてすまない」

「いいえ、陛下が出向いたら大ごとになってしまいますもの。こういうのは、私でいいんです」


 陛下は申し訳なさそうに眉を下げた。こんな表情は珍しく、私の方が申し訳なくなる。話題を変えようと辺りを見回した。


「あっ、そろそろダンスのお時間ですよね?」

「ああ。サーラがいいなら始めようか」

「いつでも。楽しみにしてましたよ!」


 陛下が私をエスコートして、ホールの中央に連れていく。人波は自然と割れて丸く空間が広がった。私とルカルディオ陛下のダンスを披露してから皆が踊り始める。そういう決まりだ。楽団が気配を察して演奏していた曲を静かに終わらせ、ダンス用の演奏準備をする。


 アントニオのことで頭がいっぱいで、浮かない顔をしていたんだろうか。不意に、陛下が私の耳元に口を近付けた。


「サーラがなかなか帰って来ないから、私は婚約者に逃げられた哀れな男になるかと心配していた」


 陛下の冗談に、私は思わず笑った。さりげなく気遣ってくれてる。陛下がこんなに面白くて優しい人だなんて、招待客は誰も知らない。


 楽団による演奏が始まり、私と陛下は思いっきり踊った。練習の甲斐あって、息もぴったりだった。


 私はひとときだけ、甘い夢のような時を過ごすことを自分に許した。陛下とは少しずつ、ダンスだけじゃなくて色々なことを一緒に取り組んでいけたらいいと思う。



 楽しい時間はあっという間に終わり、パーティーは閉会となった。着替えもしないまま小部屋に集まり、私と陛下、ベラノヴァ団長で話し合いとなる。


 遊んでばかりのダメな母親にはなりたくないので、ちゃんとアントニオのことも考えていた。


「陛下とベラノヴァ団長にご相談があります。ミロをアントニオの侍従にしたいのですが」

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