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不安の芽

「――それは初耳ですね」


 ベラノヴァ侯爵が元老院に名を連ねる方とは知っていたが、そこまで有力とは知らなかった。それに、水面下で私やサーシャの行動が陛下のお仕事に関わっていたとも知らずにいた。


 陛下は純粋なキラキラした瞳を向けていて、単純に私を誉めようとしてくれているので私は微笑んだ。陛下は応えるように頷く。


「ああ、本当にサーラにはいつも助けられてばかりだ。感謝している」


 お役に立てて嬉しいはずなのに、チリッと胸の奥が疼く。贅沢に慣れた強欲な私が、もっと早く言ってよと叫んでいた。


 あの事件の当時はともかく、少なくともベラノヴァ侯爵の入場を一緒に水晶で見ていたときに言って欲しかった。私に綺麗だとか愛してるとか言うのではなく。そしたら、もう少し私もうまく対応できた。――なんて。私は、いつの間にここまで増長しちゃったんだろ。


 前から思ってたけど、陛下は私に対して甘すぎるし、放任主義すぎる。このパーティーには重要な招待客がほとんどだが、どう対応するべきか、陛下からの助言や提言は一切なかった。


「陛下。これからはもっと政治的なこと、私にお話して下さい。微力ですがお役に立てるかもしれません」


 みんなが見ているので、ほんの少しだけ陛下の袖に触れた。


「サーラはもう十分すぎる程やってくれている。いいんだ、サーラの好きにして。夫になる者は、妻になる者の何もかもを受け止めなければならないと父上が言っていた」


 陛下の父君であるファウスト先帝陛下が夫としてが行き着いた先は芳しくなかったけど、そんなにその道をなぞりたいのかな。などと危険な考えばかり湧いてきて、私は考えるのをやめた。もう亡くなっている人を批判なんてしちゃいけない。


 ブルネッリという初対面の侯爵夫妻が歩み寄っていたので切り替えて笑顔を作り、定型文を交わす。


 彼らが礼をして、踵を返したところで陛下がまた囁いた。


「――話の続きだが、私のような皇帝の立場ではどうしてもサーラに負担を強いてばかりだ。生活を何から何まで変え、宮殿に閉じ込めている。その責務は全て私が負うつもりだ。サーラには何も期待していない」

「え?」


 誤解してしまうような発言に私はびっくりして、何も言えないまま次の伯爵夫妻との挨拶になる。


 いやいや、私に何も期待してないってことはないでしょう。言葉の選択を間違えたに違いない。


 内心で自分を納得させ、次の招待客の対応をしていく。だけどこれまたお決まりの文句ばかりで、不安の種が芽を出してしまう。


 そういえば陛下は巧妙に私を政治から遠ざけている。アントニオのことや慈善事業、后教育、それから今日の婚約パーティーや来春の結婚式の準備で私は手いっぱいだ。私に政治に関わることはさせたくないのかな?


 大好きな人は隣で、考えが読めない皇帝としての顔をしていた。


 ふたりでゆっくり話す時間が欲しいなと思っていた頃、私の両親の姿が目に入った。


「お母様! お父様!」


 私から駆け寄って、お母様に抱きついた。会えたのは実に婚約の署名のとき以来で、久しぶりの再会につい声が高くなる。


「お元気そう……じゃないですけど、会えて嬉しい」


 お母様は前よりほっそりした体を震わせて、声を立てずに笑った。


「サーラは元気そうね。安心したわ」


 続いてお父様とも抱擁をかわす。お父様は中年太りが引き締まって丁度良かった。


「見違えるようにきれいになったな。本当にサーラか?」

「まあ、お父様こそ見違えたわ。現役の騎士だった頃みたい」

「そうだろう」


 お父様は日焼けした顔をくしゃっとさせて笑う。


 反乱を起こしたカルタローネ領を引き継いで公爵に爵位を上げたお父様は、領地経営にすごく忙しいようだ。荒れた田畑を再生させるべく、毎日屋外で灌漑工事などの指示をしているらしい。


 お母様はお母様で、帝都で忙しくしている。一連の騒動で不足した穀物類を輸入するべく、フォレスティ家門の商会で各国の商会に働きかけ、迅速に安定供給へと漕ぎ着けたのだ。こういうときは国としてよりも、民間の商会の方が早いものだ。


 簡単な手紙のやり取りはしていたけれど、お互いに忙しくてずっと会えなかった。


「フォレスティ公、夫人、あなたたちはもっと先に挨拶に来て良いのに」


 陛下が親しげに微笑んだ。お父様が苦笑して肩をすくめる。そういえば陛下とお父様は、カルタローネ領で熱い十日間を過ごしており、距離感がかなり近くなっていた。


「申し訳ございません。伯爵時代の癖が抜けきれませんで」

「いや、貴族遊びなどせず政務に忙しくしているからだろう。フォレスティ公には無理をかけているな」

「主命を全うする為、ひいては全国民と娘の為なら私の汗など軽いものでございます」


 お父様の言葉に私はじんと胸が熱くなり、目から何か出そうになった。


 お父様とお母様は伯爵から公爵になったから張り切っているのじゃないとわかっていた。私が宮殿で困ったり、陰口を叩かれないようにフォレスティ家で国益をあげて、後ろ盾を強固にしようとしてくれている。


 フォレスティ家は騎士の側面が強い家門で、戦争が多かった先帝時代までは手柄を立てるのは容易だった。けど、大陸統一を果たして平和な時代になってからはほんの少し陰が薄かったのだ。


 しばらく会話は途切れなかったが、やがてお母様が目配せをした。


「サーラ、親とばかり話していては、招待した皆様に失礼よ。また落ち着いたらお話しましょうね」

「わかってるけど、でも……」

「またすぐに会えるわ」


 お母様は優しく宥める。しかしお母様のこの感じ、最近の私のアントニオへの態度そのもので恥ずかしくなった。確かに、色々なやり方は親に倣ってしまうものかも。陛下が父君の教えを守りたいのも当然だ。


 両親が下がってから私は陛下の袖にまた触れた。


「ねえ陛下」

「うん?」


 くだけた呼びかけに、陛下はとびきり優しく応えてくれる。勢いのまま何か言おうとしたとき――着飾った人々の間を器用に縫って急ぐ近衛騎士の姿が目についた。こちらに向かっている彼は、アントニオにつけた騎士だった。


「どうかしましたか?」


 嫌な予感はしつつ、たどり着いた彼にそっと小声で訊ねる。


「は、アントニオ殿下ととある令息が掴み合いになりました。仲裁いたしましたが、雰囲気が悪くなってしまい……」


 私は陛下と目を見合わせる。ケンカが起きたら、アントニオのお友達を作ろう計画は台無しだ。誰も掴み合いをする人とは仲良くなりたくないだろう。


「私、ちょっと向こうに行ってきますね。皆様には緊張しすぎて崩れたお化粧直しをしてると伝えて下さい」

「サーラはどこも崩れてないが、わかった」


 生真面目な陛下は変な所にこだわったが、私は騎士と会場を急ぐ。私が歩くと、みんな道を空けてくれるので楽だった。いつの間にかベラノヴァ団長もついて来てくれていた。陛下が指示したんだろう。


 涼しい回廊を抜けて隣のホールへ移動する。


 12歳前後の少年少女が大半のパーティー会場は、どこか背徳的な美しさに満ちていた。子供の国みたい。私を見て、ひそひそと囁かれる声は大人よりかなり高い。


 奥に人混みがあって、騎士や侍女たちが集まっていた。

 そこの休憩用のビロード張りの長椅子に、俯いたアントニオが乱れた衣服のまま座っている。離れて座る、褐色の肌に銀髪の少年はボサボサ頭だった。


「ミロ! お前だったのか!」


 ベラノヴァ団長が、思わずといった感じで叫ぶ。


「ご親戚ですか?」


 どう見ても血縁関係のミロ少年とベラノヴァ団長を見比べて私は聞く。ベラノヴァ団長は独身貴族だから。


「甥です。妹の子供です」

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