皇帝ルカルディオ
ここからルカルディオ視点です。
重い話はここで終わり、次からはサーラの明るい感じに戻りますのでもう少しお付き合いください。
暗い階段を上りきって、ルカルディオは夕陽が差すホールに出た。待っていたサーラの姿を認め、自然と顔がほころぶ。
ルカルディオにとってサーラは、いつでも暗闇から救いだし、明るいところへと導く存在であった。
「もういいのですか?陛下」
ルカルディオの知る限り最も勇気のある人は、凛々しく騎士服を着こなし、姿勢良く立っていた。
「ああ。最後に話せて良かった」
せめて最後の晩餐くらいはと食事を用意させたものの、二人で話をするかどうか、迷うルカルディオの背を押したのはサーラだった。
実りある会話とは言えなかったが、サーラと過ごすうちに受け渡された何かが、あの母相手に少しは届いたと思えた。人を許す心や、自己利益ばかり省みない心。ルカルディオは元から持ってはいたが、意識できるようになったのは大きい。
「行こうか」
「お、お待ち下さい!」
息を切らせ、階段を上り侍女が駆けてくる。許可を取って拘置所に連れてきて、ニヴェスリアの世話をさせた侍女だった。ルカルディオは振り向き、落ち着かせようとした。
「そう急がずとも良い。どうした?」
「陛下に伝えるようにと……ニヴェスリア様が……」
母が最後に何を言いたいのか、心臓が跳ねる。まさか悪意ある言葉だろうかと考えてしまうが、侍女の様子はひたむきだった。
「何と言っていた?」
息を整えた侍女は、胸に両手を当てた。
「はい。そのままにお伝えいたします……ルカを産んだときは本当に嬉しくて幸せだった、ファウストも喜んでいて、初めて同じ幸せを分かち合えた、と」
敬称を省いたことを侍女は詫びたが、そんなのはどうでも良かった。侍女の発言が、ニヴェスリアの声となって聞こえたようだった。
ルカルディオは記憶のある限り、ずっとニヴェスリアに憎まれていた。父、ファウストも彼女については寡黙だった。それでも、自身の出生のときだけは夫婦だったのだ。
ルカルディオは感情が溢れそうだったが、口元を引き締めた。
「走ってまで伝えてくれた礼を言おう」
「勿体なきお言葉にございます」
頭を下げ、侍女は駆け戻っていく。
「早く帰りの馬車に乗らないと、ですね」
「ああ、そうだな」
感情豊かなサーラはすでに紫の瞳を潤ませていた。経路がおかしいが、もらい泣きしそうになり深呼吸をした。
馬車に乗り込み、細く窓を開けて心地好い夕暮れの風を浴びた。
「サーラの言う通り、最後に話せて良かった」
「いえ……私は何も。陛下が決めたんです」
サーラはもう憚ることなく泣いている。あまりにサーラが泣くのでルカルディオは涙が引っ込んでしまったが、穏やかな気持ちだった。
彼女の涙で洗い流されて、苦しんでいた日々は完全に過去のものとなった。
隣に座るサーラの頭を撫でる。やっと首にかかるくらいに伸びたサーラの黒髪は滑らかで、いつも心地好い。
「父上にも感謝しないといけないな」
「え?」
亡くなった先帝、ファウストの誕生日がもうすぐだった。突然話題が変わって、サーラは涙に濡れた瞳を見開いた。
「父上の誕生日祝賀会で私たちは出会っただろう。私に友人ができるようにと歳の近い令息や令嬢を呼んでくれたから」
「そうでしたね。本当に先帝陛下には感謝してもしきれません」
全て落ち着いたら、父の霊廟に報告に行かなくてはと思う。
翌日、帝都の中央広場において、ニヴェスリアやランベルトの公開処刑が行われた。ルカルディオは帝国を治める皇帝として、処刑の場に臨席する。
関係者は全部で二十余名。処刑人が大きな白刃を煌めかせ、粛々と首を落とした。
国民や重臣からは、見せしめとして火刑や磔刑などの残虐な方法をと望む声が大きかった。だがアントニオの嘆願もあり、罪人に最も苦しみが少ないとされている斬首刑となった。
広場は凄惨な出し物に熱狂する人々で溢れ、もっと過激にしろと野次が飛ぶ。一番最後となったニヴェスリアは、昨日とは違う白いドレスを着て処刑台に上がった。ルカルディオが用意させたものである。
せめてきれいな服で最期を迎えられるよう少し無理を通した。そのくらいしか、もうルカルディオにできることはなかった。ルカルディオの席からは遠く、あまり顔は見えない。ただどうしても後悔が募る。
もっと早くに話し合えていられたら、あるいは、罪を犯せないよう遠くの離島にでも送っていたら。
ニヴェスリアは、特に抵抗も見せず首を差し出し、静かにこの世と別れた。群衆は空が割れんばかりの歓声をあげる。この日一番の大歓声だった。
皇后でありながら先帝ファウストを暗殺し、皇太后となってからも罪を重ね、遂には国家反逆罪を犯した稀代の悪女ニヴェスリア。
何が彼女をそうさせたのか、誰も知らない。ニヴェスリア自身もわかっていなかった。ただ少しの残虐性をなだめる者に恵まれないまま、転がるように命を落とした。ニヴェスリアの首を拾うものは、処刑人であった。
全てを見届けたルカルディオは立ち上がり、その場を後にした。
宮殿に戻ったルカルディオは、アントニオが今いるはずの部屋へと向かった。母の処刑は一切見せないよう、宮殿の奥の部屋で音楽の授業をさせていた。
耳に優しいピアノの音色がする部屋には、予定通りアントニオと音楽の教師がいた。
皇帝ルカルディオの訪問に、かしこまって挨拶をする若い青年音楽家に少し休憩するように伝える。
「では、私は近くの庭園を見学させていただきます。しばらく後に戻って参りますので」
「うむ」
サーラが選んだ音楽の教師は、良くできた人物だった。アントニオは兄のように慕っている。異父兄であり、今は養父となったルカルディオより遥かに懐き、色々と相談しているようだ。
アントニオとルカルディオはもういがみあってはいないが、気楽に話すのはどうしても難しかった。ピアノ前の椅子に座っているアントニオが、内容を予測して暗い顔をしている。
「終わった」
短い言葉で、ニヴェスリアの死を伝えた。ひどく冷たい言い方だったと口にしてから後悔する。本当は、悲しく、自身の体を切られたようにつらい。同じ母から生まれた異父弟は肩を震わせた。
「そうですか」
しかし、もっと子供らしく感情を露にするかと思っていたが、アントニオはありきたりの相づちを打つだけだった。泣きもしない。
「何か言いたいことはないのか?」
「父上に言いたいこと、ですか……」
アントニオは、ルカルディオを父上と呼ぶようになった。また、誰に対しても敬語を使うようになった。サーラがしつこく言い聞かせたからだが、それだけで随分物腰が柔らかくなった。怒りっぽく短慮なところが表面上はおさえられている。
「父上は、本当に良くやってくれました」
「は?」
「考え得る最善の策を採ってくれていました。何でも父上の責任ではありません。母のすぐそばにいた私にも非がありました」
アントニオはピアノの鍵盤を向いて目が合わないが、膝の上にある手を握りしめていた。
「アントニオ、私を慰めようとしているのか? 生意気だな」
「なっ?!」
「それに、私を前にして座ったままだとは。こういうときは立って席を勧めるんだ。まだまだ教育が足りないな」
頬を指で軽く弾いてやると、一気に興奮したアントニオが席を立ち、今度は胸の前で拳を固める。
「違う。その握り方では殴ったときに親指を折るぞ。親指は外だ」
四指の内側に親指を入れ込んでいたので教えてやると、アントニオはうんうん唸って地団駄を踏んだ。出来の悪い子ほどかわいいという、世の格言をルカルディオは思い出す。




