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ニヴェスリアの回想 2

 ニヴェスリアの栄華の日々は、侍女とのちょっとしたお喋りで崩れ落ちた。


「本宮にいる侍女から聞いたのですけど、皇帝陛下が内密で宝石商を呼んだそうですわ。きっとニヴェスリア陛下のお誕生日の贈り物を選ばれたのですね」

「あらそう。だめじゃない、私に伝えたら」


 口元を扇で隠し、ニヴェスリアはほくそ笑む。宝石類はニヴェスリアが自身で宝石商を呼びつけて好き勝手に発注しているが、ファウストが忙しい政務の合間を縫ったという事実が喜ばしかった。


 だが、待望のニヴェスリアの誕生祝賀会においてファウストは何も渡してはこなかった。出席者に軽い挨拶をしただけで、政務があると退席してしまう。


 その日が終わるまで何も渡されず、ニヴェスリアはひとつの可能性に思い至り激怒した。


 ファウストに近い者を買収し、密偵を雇い、動向を探る。そうして報告がなされた。


 信じられないことに、ファウストは帝都内に平民が住む家を購入していた。そこで平民の服に着替え、どこかへと姿をくらます。帝国で最も優れた魔法使いでもあるファウストの向かった先は不明だと申し訳なさそうに密偵の男は頭を下げた。


「平民の女がいるのね」


 それ以外に可能性は見当たらなかった。ニヴェスリアとの結婚が白いままでも、ファウストは宮殿内の侍女に手出しなどしない潔癖な男だと思っていた。何ひとつ噂は立たなかった。それが今や、卑賤な平民の女に高価な宝石を贈っていい気になっている。


 ――世継ぎが出来たから?私はもう不要だと言いたいの?


 腹の底が煮えたぎるようで、ニヴェスリアは唸り、報告者を扇で打擲した。母の獣じみた声に怯えてルカルディオが泣き始め、さらに怒りを煽った。意味ある言葉にすらならない怒声を響かせる。


 止めに入った乳母の腹を尖った靴で蹴り、踏みつけた。乳母の悲鳴に、ルカルディオは火がついたように泣いた。その首を締めるようにおさえ、眼前で睨み付ける。ファウストと同じ瞳が憎らしかった。


「お前にはもう私を与えない。どれだけ母を欲しても、決してもらえぬと思い知れ」


 ニヴェスリアは、放るように手をはなした。幼児の匂いが染みついた部屋を出た。甘い菓子、日光に当てられたシーツ、香りの良い木で作られた玩具など全てに吐き気がした。


 栄誉と権力と喜びと、全てを与えてくれたと思っていたルカルディオが、気付けは何もかもを奪っていた。若さや美貌、皇帝である夫の愛、何もかもルカルディオが生まれたせいで失ったのだ。


 ニヴェスリアは、久しぶりに王宮内にひっそりと暮らす皇弟ランベルトの元へ向かった。長らく放置していたにも関わらず、ランベルトは訪問を喜んだ。


「あなたに見捨てられ、僕がどれだけ寂しく、辛かったことか」


 自分より不幸な人間を前にして、ニヴェスリアは少し気持ちが落ち着いた。ランベルトの部屋は古代魔術に関する書物で溢れていた。


「あなたは私が欲しいの?」

「美しいニヴェスリアを一目見たときから、僕はあなたのとりこだ」

「じゃあ私の願いを叶えてくれる?」

「もちろん、どんな願いも。だからもうどこにも行かないで」


 ランベルトの返答はニヴェスリアの自尊心を満たした。


 それだけランベルトはニヴェスリアを求めた。愛情ではなく、何事も敵わない兄への復讐心によるものであったが、他者の気持ちを推し量りはしないニヴェスリアにはわからなかった。


 二人は結託して、気に食わなかった人間を死に至らしめた。呪いを試したり、禁じられた洗脳魔法を用い、少しずつ闇に葬り去る。


 事態が明るみに出ないことで調子に乗った二人は、ファウストまでも殺し、最高の権力を手に入れようと計画をした。


 手始めにファウストの誕生祝賀会で、洗脳魔法を用いて魔物に襲わせた。だが実験は失敗に終わった。まだ魔法が未完成で、無関係な子供に行ってしまったからだ。


 ファウストは健康体であり、近衛騎士による警備は厳重だった。たまたま風邪をひいたところに侍医の家族を人質に取ることで事態は大きく変わった。


 悪化させる方法がないか侍医を問い詰めると、体調が悪いときにあるものを大量に吸い込むと肺炎を起こすと漏らしたのだ。


 その通りに上手くいき、大陸を統一した皇帝ファウストは、風邪をこじらせてこの世を去った。


 ニヴェスリアとランベルトは暗い悦びに祝杯を上げ、泥酔したままルカルディオを呼びつけた。


 久しぶりの母を恋しがって泣いてすがるだろうと予測していたが、ルカルディオは気持ち悪いものを見るような目で二人を眺め、すぐに逃げてしまった。


 これからルカルディオを傀儡として政治の実権を握らねばらならないのに、どうしたことかと酔った頭で少し心配した。


 次の日、二日酔いで目覚めたときには宮殿内は騒がしかった。ルカルディオは病的にあらゆる女性を恐れていた。ニヴェスリアが駆け付けてみると、吐いて倒れてしまう。


 ニヴェスリアは、汚らわしいものだとされたようで悔しかった。事実その手は汚れきっているからこそ、憎しみが燃え上がった。


 女性を近付けられないものの、ルカルディオは皇太子の役目を果たした。ファウストの右腕であった宰相と協力して新皇帝として即位する。重臣は全員、男性であったので侍女を避けるだけで問題はなかった。


 政治のことなど全く関わっていなかった二人は、訳のわからぬまま事の成り行きを見ているしかなかった。権力は一切手に入らず、むしろ以前より剥奪されたのである。


 ランベルトは怒り、ニヴェスリアを叱りつけた。扱いやすい大人しい男であるはずのランベルトの憤怒は、悪魔がとり憑いたようで狂気に満ちていた。


 亡くなったファウストは声を荒らげることさえなかった。父母もずっと甘かった。生まれて初めて怒りの標的にされたニヴェスリアは戸惑い、臆した。誰にも従わぬつもりだったのに、ランベルトに震えて頷くばかりだった。


 ランベルトは、兄の血筋は途絶えさせ、自分の息子を次の皇帝にするのだとニヴェスリアを説き伏せた。


 怯えたニヴェスリアは、それが二人の目標だとして自分を納得させる。


 皇帝暗殺という大きな目標を達したのに、暗い穴蔵に押し込められたようだった。


 ニヴェスリアは、自身が殺したファウストの影を恐れた。それと同時に無意識に大きなファウストの庇護のもとにあった日々を求める。


 何をしても、微笑んで許してくれたファウストの影だけがそこかしこにあった。


 それでも、数年経ってランベルトとの間に息子を授かったことは大きな喜びだった。アントニオと名付けた子は皇帝を継承する上で欠かせない聖顕の瞳を有しており、ランベルトも大いに褒め称えた。




 浅い眠りから目を覚ましたニヴェスリアは、夢うつつの中、思う存分呪詛の念を吐いた。死ねばいい。あいつも、私も。魔力は壁に吸収されていて無意味だとわかっているが、呪うのはやめられなかった。


 そのとき、階段を降りる人の足音が聞こえた。バラバラとして人数が多い。見たことのない女たちが、3人ほど牢の前に立った。


「ルカルディオ皇帝陛下がお呼びです」


 まだ夢を見ているのかと耳を疑った。喜びに叫んでしまいそうになる。ついに勝ったんだ。ルカルディオだって、結局は私が欲しくて仕方がない。無言を通す姿に心を打たれ、恩赦でも下したのだろう。


 ニヴェスリアは3人の女に連れられて体を清め、久しぶりに髪を結われ、ゆったりとしたドレスを着させられた。髪はずいぶん抜け落ちていたし、肌は荒れ、痩せ細った体にドレスは余っていたが、自信を取り戻すには十分だった。


「こちらでお待ち下さい」


 通された部屋には、美しい料理が盛られた皿がいくつも並べられていた。さっきから匂いだけで唾液が湧いて仕方がなかった。かつては用意させるだけ用意させて、ほとんど残していた日々を思い出した。


 侍女はニヴェスリアをひとり残して部屋を出たので、ガツガツと食べ始める。


 胃が小さくなっていて食べられないかと思ったが、信じられない食欲は治まることがなく、ニヴェスリアは全て平らげた。膨らんだお腹をだらしなく抱え、息を吐く。


「食事は楽しんでもらえたか?」


 食べ終わるのを見計らったかのようにドアが開く。ルカルディオがどこか哀れみを含ませて、席に座るニヴェスリアを見下ろした。


「ええ、まあ」


 ニヴェスリアは慌てて姿勢を正し、ナプキンで口元を拭った。侍女たちが静かに皿を下げ、食後のお茶と茶菓子を運んできた。もう入らないと思ったのに、小さなチョコレートに手が伸びる。


「それは良かった。最後の晩餐だからな」

「な、何ですって?」


 チョコレートを口に含んだまま、不明瞭に聞き返した。罪は、許されたはずだった。息子なら産みの母をかばい、愛情を得るために不正を揉み消さなければならない。過去ずっとそうだったように。


「まさか判決を聞いていなかったのか? 裁判は全て終わった。あなたは明日、死刑になる」

「嘘よ! 私は何も答えていない!!」

「あなたが答えなくても、ランベルトや他の証言、それから証拠によって罪が確定した。そもそも目撃者がどれだけいると思っているんだ?あなたは反乱を起こした」


 声は良く通るが、怒鳴ることはないルカルディオはファウストをどこまでも思い出させた。高潔ぶって、偉そうで鼻持ちならない男。


「私は、ルカルディオを産んだのよ!母親を死刑にするなんて野蛮なこと、許されると思ってるの?!」

「ディランドラ帝国では、皇権と裁判所は分立している。死刑にするのは裁判所であり、私ではない。あなたは罪を犯した」


 まるで子供に諭すように、ゆっくりとルカルディオは説明した。ニヴェスリアは子供ではないが、初めて知る事柄だった。


「私に愛されたくはないの? 何とかしてくれるなら、抱きしめてあげるわ! 私が欲しいのでしょう?」

「救いようのない人だ」


 死の恐怖が足元から全身を這い上がり、つんと鼻先を抜けた。ニヴェスリアが震えると、立ち上がったルカルディオが肩に触れる。大きく温かな手で、もっと触れて欲しくなった。


「救って守りなさいよ、私はあなたの母なのよ」

「あなたは自分が優位に立ち、人を踏みつけて利用することばかり」


 涙でぼやける視界に、ルカルディオの逞しく育った姿が映る。


「知ったような口をきかないで!」

「人に少し優しくしたからって、自分の何が減るというんだ?」


 何が減るのか、問われてもニヴェスリアの中に答えは見つからなかった。もうニヴェスリアには何ひとつ残されていなかった。自分自身の未来さえも。


「そう思うんだったら、そっちが優しくしなさいよ! 私はこんなに弱くて、可哀想なのよ!」


 手を振り払い、叫んだ声が妙に空しく響いた。ルカルディオはひとつため息をつき、踵を返す。


「さようなら、母上。私を産んでくれてありがとう」


 最後に母と呼び、ルカルディオは去っていった。その後ろ姿にかける言葉がなく、ニヴェスリアは立ち上がっただけで足を止める。


 産まれただけでルカルディオはあんなに幸せをくれたのに、どうして憎んでいたのか、わからなくなった。ルカルディオはたくさんのものをくれていた。今のこの食事に限らず、ずっと。


 ファウストだって最初から優しかったのに、なぜ傷つけなきゃいけないと思っていたんだろう――


 侍女たちがニヴェスリアを牢に戻すべく、ぞろぞろと部屋に入ってきた。死刑がすぐそこだと告げるようで、ニヴェスリアは這いつくばって、床に頭をつけた。


「お願い、少し待って」

「困ります、頭を上げて下さい」

「違うの、ルカに伝言をして。お願い」

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