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ニヴェスリアの回想 1

ここからニヴェスリア視点です。

やや重たい話となっております。

 暗い地下牢に横たわり、ニヴェスリアは昼とも夜とも区別のつかない時間を過ごしていた。


 石床と大差のない硬い寝台にあって、体はひどい痛みを訴える。だが、自身の体がどう伝えてこようと、ニヴェスリアは体勢を変える気はなかった。


 自分を奪われないよう、(あらが)うこと。それが、ニヴェスリアに染み着いた習性だった。


 だから裁判所に連れていかれ、足が棒のようになるまで黒い法服を着た裁判官の質問攻めにあっても、ニヴェスリアは何も答えなかった。何も聞かないようにしていた。そうしているうちに、裁判は終わったらしい。牢に戻され、静かな日々になった。


 ――ほら、抵抗をやめなかった私の勝ちなのよ。


 朝と晩に食事が運ばれるが、それが昼か夜かはわからない。どちらも、固いパンと薄いスープだからだ。


 することがないニヴェスリアは、過去の幻想に浸る。




 カルタローネ国の姫としてニヴェスリアは生まれた。肥沃な平野が広がるカルタローネ国は、農業に適した豊かな国だった。三方が険しい山、残る一方は海で、自然の要塞によって守られていた。


 だが、ニヴェスリアが15歳のときに周辺国を次々と塗り替えるディランドラ帝国に攻め込まれあっさりと敗北を喫する。領地化され、国王であった父は王族ではなくなった。


 更に帝国は大陸全土を制圧した。しかし勉強をさぼり、遊んで暮らすニヴェスリアには関係のないことだと思っていた。


 ある日突然父に呼ばれたニヴェスリアは、皇帝との婚姻を告げられる。戦争が終わった今は、食糧供給を安定させるために皇帝が望んだなどと言われても、どうでも良かった。


 人質のようだとニヴェスリアは泣きわめき、父に抗った。


 父はニヴェスリアに同情して無抵抗であったので、ニヴェスリアは思う存分に父を殴り、引っ掻き、蹴り上げた。


 日頃侍女を痛めつけていたので、力が弱くても悲鳴をあげさせるのは得意だった。かつて王であり、家長として威張っていた父が哀れな悲鳴をあげるのは愉快だった。疲れた頃に母が泣いて頼むので渋々ニヴェスリアは婚姻を受け入れた。



 ニヴェスリアは長い馬車の列で長い移動を経て、帝都へと輿入れをした。馬車から眺める帝都は華やかで洗練され、呆気に取られた。


 そして街並みより一層、絢爛豪華な宮殿の敷地に入る頃にはもう帰りたくなった。戦争に負けて当然だと思うくらいにディランドラ帝国は隆盛を誇っていた。


 どこを見ても黄金色の謁見の間で、輝くような美貌の皇帝ファウストを前にすると萎縮せざるを得ない。


 ニヴェスリアは容貌に自信があった。周囲は常に美しいと誉めたし、自分でも鏡を見てそう思っていた。しかしこの場にあっては、ちっぽけな田舎の亡国の、垢抜けない姫でしかなかった。


 ファウストという人は、ニヴェスリアが思い描いていた野蛮な30歳過ぎの髭面の侵略者ではなく、むしろ美しい人だった。


 輝く金の髪と翡翠の瞳を持ち、白い肌には瑕疵ひとつ見当たらない。彼のあらゆる呪いを弾き、見抜くという聖顕の瞳が恐ろしかった。道中、ニヴェスリアはファウストなんて死ねばいい、と呪いをかけていた。


「畏まる必要はない。今日からはここがあなたの家だ。寛いで過ごしてくれ、私の美しい姫」


 震えてろくな挨拶ができないニヴェスリアに対してもファウストは優しく、非の打ち所がなかった。


 その完璧さに、ニヴェスリアは腹を立てた。傲慢で鼻持ちならない男だとしなければ、国を侵略されたことを忘れて身も心も奪われてしまいそうだったからだ。


 だが結婚式までの長い期間、ファウストは手出しはせず紳士的に、慣れない環境に戸惑うニヴェスリアをもてなした。多くの侍女に世話をさせ、新しいドレスを仕立てさせ、宝飾品を贈った。


 勉強やマナーの授業をさぼっていたニヴェスリアはきちんと礼も言えず、ファウストが日中どんな仕事をしているか、さっぱり理解を示さなかった。それでもファウストは、歳の離れたニヴェスリアに微笑むだけで何も言わなかった。


 だが僅かに滲ませる失望の色をニヴェスリアは見逃さなかった。それだけで、ファウストを最低と心中で罵った。


 しばらくののちに盛大な結婚式を終え、初夜を迎えたニヴェスリアは決意していた。ファウストの、完璧な皇帝の仮面を剥いでやろうと。


 寝台の上で、自身に覆い被さろうとするファウストにニヴェスリアは叫んだ。


「いやあっ!!」


 小さなランプの光に照らされたファウストの影は、驚きで少し揺れた。本来、閨において女性は余計なことをしてはならない。拒絶など持ってのほかだ。そう教えられてきたが、構わなかった。


「やめて! 私に触らないで!!」


 薄絹を纏ったニヴェスリアは、わざとに身をくねらせる。上品に振る舞っていても、本質はあさましく野蛮な侵略者だ。この若く美しい体を前にして理性を忘れ、獣のように襲うがいいと期待していた。


「嫌か」

「い、嫌ですわ」

「そうか。すまなかった」


 ファウストはさっさと上から退き、背を向けて横になった。


「私を受け入れる気持ちになるまで待とう。ニヴェスリア、今夜はおやすみ」

「あっ、あの……」


 信じられないことに、ファウストは穏やかな寝息を立てて寝入ってしまった。


 ニヴェスリアはみじめな気持ちで、声を殺して枕を濡らす。侍女たちに何時間もかけて磨きたてられた体に、何の価値もないと捨て置かれたようで自尊心がひどく傷付けられた。


 もう絶対に受け入れないと頑なに決め、数年が過ぎた。


 儀式的に10日に1度、ファウストとニヴェスリアは共寝をした。そのときにファウストは気持ちを訊ねる。それを突っぱねて、拒絶することで僅かな快感を得ていた。


 大陸を支配しても、后の体ひとつ手に入れられない哀れでみじめな皇帝と嘲笑う。ファウストをより傷付けるために、皇弟のランベルトとは親しくした。ランベルトは、威厳もなく気弱な扱いやすい男であった。


 とうとう魔女が宮殿に呼ばれたとき、ニヴェスリアは勝ち誇った気持ちでいた。


 ――こんなものに頼る程、私が欲しいなんて。


 装飾品やドレスは欲しいだけ与えられたので、全身を飾りつけたニヴェスリアは勝ち誇っていた。しかし訪れた魔女が面を上げたときには、眉をひそめ口を曲げる。人目を避けて深い森の奥で暮らしているというから、どんな醜女かと思いきや瑞々しい肌の、柔らかい笑みを浮かべた美女だった。


「なかなか世継ぎが出来ず困窮している。力を貸してもらいたい」


 ファウストは魔女の顔をじっと見つめていた。


「あらまあ。さぞかしお悩みだったことでしょう。つらい思いをされましたね」


 魔女は、どこか焦点の合わない目付きでファウストとニヴェスリアとを交互に見た。訳知り顔に思えて、ニヴェスリアは冷や汗をかく。


「愛とは、そこにあっても小さな行き違いで絡まってしまうもの。愛の結晶であるお世継ぎは、お気持ちをほどくことからですわ。3日ほどお待ち下さい。おふたりにぴったりの、愛の妙薬を作って参りましょう」


 朗らかに微笑む魔女に、ファウストは微笑みを返す。ニヴェスリアはなぜか嫉妬した。ファウストと顔を見合わせて笑ったことなど、一度もなかった。



 3日後、魔法薬は届けられた。

 成分を溶かすために強い酒精を使用してあるので、寝室で飲むよう指定されていた。


 どこかすがる思いでニヴェスリアは杯を空けた。許す時期を見失っていたが、そろそろ体を与えても良いと思っていた。拒絶し続けても優しく誠実な態度を崩さないファウストを嫌いではなかった。


 それに世継ぎを待ちわびる周囲の声がうるさくなってきていた。酒精が回ったのか次第に手足が温まり、良い気分になったニヴェスリアは声をかけた。


「私に触れていいわ」

「そうか」


 ファウストは慎重に、恐々とニヴェスリアに触れる。その様子がおかしく、ニヴェスリアは笑わないよう苦労した。勝った気がした。抗い続け、自分を曲げなかった結果、生国を侵略した皇帝に勝ったのだ。


 求められる喜びにニヴェスリアは酔いしれた。


 いつの間にか、寝室の明かりは消されて暗闇になっていたがニヴェスリアは気遣ってくれたのかと思った。


 ファウストが闇の中に思い描くのは、親切な笑みの魔女であるなどと知る由もない。ファウストの愛情は何年も拒まれ、嘲笑を受けるうちに枯れ果てていた。


 幸運にもニヴェスリアはすぐに身籠り、出産を迎えた。産まれたのは、ファウスト譲りの翡翠の瞳の男の子であった。


 胸に抱いてその顔を見たとき、出産の疲労も忘れニヴェスリアは歓喜に泣いた。周りは口々にニヴェスリアを褒めあげ、誇らしい気持ちになれた。


 落ち着いた頃に対面したファウストも、初めての我が子を抱いて感激のあまり何度も礼を言う。この世の頂点に立ったような幸福を感じた。


 ルカルディオと名付けられた男の子は、呪いのかかった人形を見せると怯えて泣き出すことから聖顕の瞳もあると判定された。


 初めての出産で、ニヴェスリアは無事に世継ぎを産んだ。それは密かに、自分は出来が悪いと劣等感に苛まれてきた人生を覆す出来事であった。

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