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継ぐもの

「私自身のお役目を放棄するつもりではありませんが、万が一のことを考えてアントニオが皇帝になれるよう教育を続けるのが安全でしょう」


 もしかして陛下は自分の子供を皇帝にしたいのかもしれないけど、私はこだわりがなかった。若干首を傾げながらの発言になる。


「皇帝を継ぐには、男で聖顕の瞳を持っていなければなりませんが、私がそういう子供を絶対に産めるとは限りません」


 だからアントニオの縁組を歓迎していた。結婚した先で子宝に恵まれず苦労する女性の話は多い。陛下は秀麗な顔を強張らせる。


「無論、サーラに無理をしてもらおうとは全く考えていない。だが、聖顕の瞳を持つ男児が産まれなくても、アントニオを補佐に使えばどんな子供でも問題がなくなる。私の在位中に法改正をするつもりだった。あるいは、もし子供がひとりも産まれなくても、アントニオの母親という立場があればサーラは肩身の狭い思いをしなくて済む。教育はまだ先でも良いかと」

「あっ、待って下さい。それ以上はいいです」


 陛下は淡々と、アントニオを利用し尽くすような非情なことを述べた。流れるように話すので止めるのが遅くなった。


 元老院の許可があればとアントニオに仄めかしたのも、見せかけだったようだ。とにかくアントニオを生かさず殺さず懐かせるだなんて。


 ――私を優先してくれるのはありがたいけど、改めて、陛下は皇帝で、政治の世界に生きてきた人なんだと思い知った。私にはいつも優しく接してくれるから、こんな一面もあるとは知らなかった。


「私は本当に、次期皇帝が自分の子供かどうかは重視していません。誰もが納得できる人がなったら良いのでは……ごめんなさい、陛下はこだわりがありましたか?」

「私はない」


 皇帝をやっている人にしかわからない何かがあるのかもしれないと思ったが、陛下はあっさり首を振る。


「ではいいんじゃないでしょうか。安全策を取るだけ取って、あとは流れに身を任せれば。陛下を軽んじる訳ではありませんが、皇帝になることだけが幸せではないと思っています。皇帝というのは大変なお仕事です。もしかしたら子供かわいさに、皇帝になんかさせたくないと思うかもしれません。陛下だって度々自分が皇帝なんかやってるから、と言っていますよ。だからってアントニオに押し付ける訳じゃないですけど」


陛下はこぼれ落ちそうに目を見開いている。こんなに驚きを露にしているのは初めて見た。


「そうか。そういう考え方もあるのだな」


 言ってから、陛下はくっ、と笑いだす。私はつられて曖昧に笑った。よくわからないけど陛下が笑ってくれるのは嬉しい。ついで優しく頭を撫でられ、胸が温かくなる。


「自分が恥ずかしいが、女性とは自分の望んだ子供を一番名誉ある地位に――皇室に嫁いだなら、皇帝の座に就けたがるものだと思い込んでいた」


 陛下はさらっと意味深長なことを言う。陛下の言う女性とは、母のニヴェスリアのことだ。そして、望んだ子供とはアントニオのことで、陛下ではない。


 今も、望まれ生まれていないと傷ついている陛下が悲しかった。陛下は長年患っていた女性嫌いを克服した。だけど意外なところから傷が表出する。


「サーラはサーラなのにな」

「そうです。そして、過去は過去ですから。嫌なことは忘れていいし、書き換えてもいいんです」


 私は陛下の手を取って握った。カルタローネ領のあちこちを巡り、長い旅順をたどったせいか以前よりかさついている手だ。どうしてこんなに苦労してるのに、憎まれなければならないの?


「過去なしには今はないですけど、過去の事実って不確かなものですよ。誰かの証言ひとつでがらっと変わってしまいますから」

「ふむ?」


 陛下は、片眉をあげて深い表情を作った。思い浮かんでいるのは、現在裁判中のニヴェスリアのことだろうか。それとも、つい最近明らかになった輝石の魔女の魔法薬がいんちきだったことだろうか。


「だから、自分の都合良いように変えちゃえばいいんです。陛下は望まれて、愛されて生まれました。そのあとに夫婦ケンカになるのは、世の中に良くあることです」

「まあ、そうだな。実は良く知らないんだ。当時の関係者はほとんどニヴェスリアに殺されたり、遠方に逃げてしまっているから。私の乳母も殺された」


 つつくとどんどん恐ろしい事実を漏らす陛下だが、怯んではいられない。というか話題を変えてどうにか慰めたかった。的外れでも、数を多く打てばどれかは当たる。


「わ、私も陛下の初恋が、ドレスを着た子供のときのサーシャだったなんて忘れました。ドレスを着てたのは私ということにします」


 私と陛下が出会ったのは先帝陛下の誕生日祝賀会だった。7歳だった私とサーシャは服を交換していたので、陛下はしっかりサーシャに惚れてしまった。


「気にしてるではないか」

「気にしていません」


 陛下は苦笑した。その頬に赤みがさして、少しほっとする。


 小部屋を出て、並んで歩きながら陛下は口を開いた。


「アントニオには、後で私から話して誤解を解いておこう」

「誤解ですか?」

「あいつも私と同じ考え方をしているだろうから」

「それって、私が将来意地悪な継母になるとアントニオが心配してるってことですか?」

「だろうな」


 陛下は苦々しい口調だった。確かにアントニオが小難しい台詞を並べ立てたとき、陰鬱な雰囲気を滲ませた。失礼な話だ。


「私が直接言いたいところですが」

「いや、私が説明しよう。少しはアントニオとふたりで話をする機会を設ける必要がある」


 妙にくどい言い方をする辺り、乗り気でなさそうだけど、私は頷いた。ここは温かく見守ろう。


 ふと、廊下にずらっと続く窓に目をやって、眩しさに目を細めた。今日はすごく晴れていて日差しが強い。


 ルカルディオ陛下と、アントニオ。形はどうあれ、ふたりの素晴らしい息子に恵まれながら、自ら破滅の道を進んだニヴェスリアを思った。


 ニヴェスリアは裁判にかけられ、それ以外のときは牢の中にいるはずだ。囚われの身でありながらも、産みの母親の影響力は今も絶対的なものがある。


 裁判では、何の罪をどのように犯したのかを問うが、彼女の心は明らかにされない。


 どうしてニヴェスリアは、先帝陛下を憎み、ルカルディオ陛下を憎んだのだろう。

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