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青天の霹靂

「ルカルディオ陛下に会いたい」


 私は朝食を食べながら、サーシャに愚痴をこぼした。豆のスープに涙もこぼれ落ちそうだった。


「我慢しなよ。今までが贅沢だったんだよ。だってディランドラ帝国の皇帝陛下だよ? お忙しくて当たり前だし、ごたごたがあった後だし。それに前も言ったけど、僕だって近衛騎士の勤務があるからペネロペと5日おきにしか会えないよ」


 パンをちぎり、サーシャは滔々と話す。サーシャの婚約者ペネロペとは変わらず順調らしい。


「でも、私はこの王宮に上がってからずっと陛下と一緒だったんだもの。叙任式で陛下と目が合ったとき、もう離れられないって思ったの……」

「はいはい。でもサーラは今離れてても生きてご飯食べてるから大丈夫だよ」

「うるさい」


 私は苛立つ気持ちをパンにぶつけて乱暴にちぎった。口に放り込み、咀嚼する。食欲はないが、体調を崩さないよう食べているだけだ。パンは小麦を精白していないもので、固くボソボソしているのを無理に飲み込む。


 ニヴェスリアの起こした反乱や、食物運搬に重要な橋の破壊の影響はまだ続いていた。集めた兵士が帰還するまでの糧食も必要な為、帝国は一時的な食料不足を起こしている。


 その上、カルタローネ領の小麦畑はニヴェスリア軍勢によって焼き払われていた。本当に、最後の悪あがきにひどいことをしたものだと思う。


 その視察に、陛下は帝都を空けてカルタローネ領に行っている訳だ。来年まで帝国は小麦という主要な食物が輸入頼りになりそうで頭が痛い。


 陛下不在の帝都では、私なりに毎日働いている。まだルカルディオ陛下の婚約者であるので権限はないが、指示書を元にやれることはあった。


 それに、私は近衛騎士団広報幕僚長という役職を持っている。ドレスで着飾るのではなく、近衛騎士の制服を身に纏ってあちこちに顔を出すことで存在感を示せていた。


 しかもベラノヴァ近衛騎士団長が常に付き添い、私を立ててくれるので表向き、女だからとなめた発言は聞かなかった。これはベラノヴァ団長に感謝しかない。


 今日はやっと帝都周辺に集まっていた兵士の事後処理を終えたので、帝都内の養護院を訪問する予定になっていた。


 養護院では親のいない子供たちを養育しているが、やはり運営資金は潤沢ではない。その上小麦などの食料価格は値上がりしているので、影響を大きく受けている。


 ルカルディオ皇帝陛下の私費での寄付及び、悪いことをしてないかの視察は重要だった。




 養護院の庭には私とサーシャ、ベラノヴァ団長を始めとした近衛騎士団の人々が集まった。ここで皆で腕を振るい、養護院以外の人でも誰でも自由に食べられる炊き出しを行う。


「ほらアントニオ、皮を剥くときはナイフの刃を親指で上からおさえるの。その方が指は切れないから」

「む、難しいな」


 私はアントニオの後ろに立ち、ジャガイモの皮の剥き方を教える。すっかり大人しくなったアントニオは、陛下の許可を取って連れてきていた。青空の下で過ごせば少しは気分転換になるはずだ。


 なるべく毎日お見舞いはしていて仲良くはなったけど、ひとりのときは泣いているらしい。まだ彼の母ニヴェスリアは裁判を受けている。


 そういう立場であるので、偽装のためアントニオの顔にはびっしりそばかすを描いてある。


 そしてアントニオと同じ、金髪の近衛騎士にもそばかすを描き横に立ってもらった。これだけで親子に見えるのだからそばかすって印象が強い。木を隠すなら森の中とばかりに、ほかの近衛騎士たちにも子供を連れてきてもらっている。


 こうしてアントニオは集団に完璧に埋没していた。まさか反乱を起こしたニヴェスリアの子供には見えないし、小さなナイフを渡しても従順といえるくらい敵意はなかった。一応、私のすぐ横にはベラノヴァ団長がいて、皮剥きしつつ警戒しているけれど。


「なあ、サーラ」

「うん?」


 並んでひたすらにジャガイモの皮を剥いていると、アントニオが手を止めてこちらを見上げた。


「今日はなぜここに私を連れてきたんだ? かわいそうな子供たちを見せて、自分の幸せを噛みしめろとでも言いたいのか? 確かに私は飢えたことがない。食事だって自分で用意したことがない」

「は?」


 遠くから、子供たちの高い笑い声が聞こえていた。ほかの近衛騎士たちが、子供を抱き上げたり、ホウキで剣術ごっこをして遊んでいる。笑っているけれど、どの子もほっそりしていて、服は擦りきれていた。


「そんな説教くさいこと言う趣味はないわ。何を感じるか、考えるかはアントニオの自由よ」

「ふん。じゃあもうひとつ聞くが、こんな偽善行為に意味はあるのか? ちょっと炊き出しをしたからと言って、根本的な解決にはならない」

「意味はある」


 私はジャガイモの芽を根気強く取り除きながら、そう言った。


「あのね、これはのんびりした慈善事業じゃないの。ある種の威圧行為なのよ。この養護院は、屈強な騎士たちの庇護下にあると見せつけてるの。もしここに害をなせば、いつでもボコボコにしてやれるんだぞと」


 アントニオが呆気に取られたように、少し口を開いた。その賢い頭で何やら考えている。


 そう、お金だけ寄付しても悪い輩に中抜きされる。養護院の調理係は肥え太り、子供はガリガリなんてよくあることだ。じゃあとお金の監視役を雇えば、今度はその監視役も横領する。世の中ってそんなもので、完全に信用できる人は少ない。結局、力こそ正義なのだ。


 それが実家のフォレスティ領地で、フォレスティ家の娘として行ってきた学習結果だ。教育や就職への支援などと実地的なことも重要だが、直截的には力が物を言う。今回は騎士たちだが、フォレスティ領ではごろつきを雇っていた。


「そうか……これが威圧行為なのか」

「そんな感じね」


 私は次々とジャガイモの皮を剥いていく。アントニオは手を止めて笑っていた。


「初対面から思っていたが、サーラみたいな女はほかにいないな。騎士服を着て、乱暴で気が強く、突飛なことばかり言う」

「何て言い方するの」


 まあ今は許してあげるけど、すごく失礼だった。


「サーラに次期皇后は難しいんじゃないか?」


 やっとジャガイモの皮を剥き始めたと思ったら、アントニオはまたとんでもないことを言い出す。


「やめてよ。私、がんばってるもの」


 后教育は再開されたし、そもそもやろうと思えば私はそれらしく出来る。普通の貴族令嬢としての振舞いは、知識としては頭に入っている。


「そうではなくて、サーラには窮屈かと思ってな。兄上が嫌になったら、いつでも私に言うといい。私は爵位もないし身分もないが、この通り頭が良いし、魔力も高い。サーラは着飾るのは好きではないようだし、お前ひとりくらいなら不足なく食べさせていけると思う。この国を出て、ふたりで自由に暮らさないか?」

「え?」


 私はナイフを取り落とした。カツ、と作業台に転がってしまう。アントニオは顔を赤らめていた。いやいや、何を言ってるの――ふたりで暮らそうとか、プロポーズみたいで血が逆流する思いだった。12歳の少年に養ってもらおうなんて思わないけど。


「そ……んな自暴自棄にならなくても、アントニオのことは陛下がちゃんと何とかしてくれるから、この先は暗くないわ。一緒にこの国をより良くするためにがんばりましょう? ね?」


 きっとアントニオは、複雑な状況に疲れてしまって現実逃避をしたいのだろう。大人を驚かすのは本当にやめて欲しい。


「私は本気だからな。すぐには心が決まらぬだろうが、考えておいてくれ」


 アントニオは、翡翠の瞳を上目遣いにして私を見た。ルカルディオ陛下と同じ色の瞳なので、どうしても変な気持ちになってしまう。


「おやおや、これは」


 私の隣で黙っていたベラノヴァ団長が重々しく口を開く。


「陛下にご報告しなければいけませんね」

「ダメです!! 陛下に余計な心労をかけてしまいます!!」

「私と秘密を持ってくれるのか? 嬉しいな」


 あやしく笑うアントニオが本気なのかどうか、私にはわからなかった。

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