幕間
目が覚めたときには、室内は暗く静かだった。私は混乱しながら身を起こし、状況を確認する。
ここは、紫水晶宮の、自分のベッド。月の位置からして夜更けだ。服は侍女が着替えさせてくれたらしく、しっかりナイトドレスを着ていた。そうだ、せっかく陛下が私をお姫様抱っこしてくれたのに、私は寝ちゃったんだ――
変な顔で寝てなかったかなと、熱くなる頬をおさえて身もだえていると、静かな足音が近付いてくるのが聞こえた。これは多分、陛下の足音だ。私はどこかの熱烈な飼い犬のように、陛下の近づく気配で目覚めたと思われる。
「サーラ?」
扉の外から聞こえるルカルディオ陛下の呼びかけの声は、ノックと同時だった。普段はノックなど必要のない陛下らしさに溢れている。
「はい、起きてます。今起きたところですけど」
「入っても構わないか?」
「もちろんです、どうぞ」
今日の陛下は部屋に入っていいかどうか確認してくれるし、私はベッド横の鏡を覗いて髪を撫で付けて、ベッドから降りてガウンを羽織った。お互いに色々気にする余裕がある分、昨夜とは違う。
昨夜は開戦前でお互いにおかしかったなと今になって私は恥じながら、扉のすぐ近くまで私は迎えに出る。
「ああ、寝たままで良いのに」
少し疲れた様子の陛下は、それでも私と目が合うと笑ってくれた。未だに軍服を着たままだ。
「私は休んだのでもう大丈夫です、この通りに」
「そうか。私も今夜はとりあえず解放された。続きは明日だ」
侍女がワゴンにカップを乗せて、しずしずと陛下の後ろから入室していた。花の甘い香りがカップから漂ってくる。久しぶりの青いミルクだった。私たちは、部屋の片隅のソファセットに並んで座った。
「飲みながら聞いてくれ。ニヴェスリアは捕まった。本当にエメラルダスが連れて来てくれたんだ。牢に入れて尋問をさせている」
「それは……」
良かったですね、とも言えず私は陛下の瞳を覗く。母君を牢に繋ぐのは良い気分じゃないだろう。
「エメラルダスは大丈夫なんでしょうか?」
「疲弊しているが、ジルが頑張って介抱してくれているよ。エメラルダスには十分礼をしないといけないな」
話題をずらした私に応え、陛下は笑みのようなものを作った。横に座る私の手を取り、視線を落とす。
「サーラが私の気持ちを慮ってくれるから、私は楽になれる。あとはこの国の皇帝として、責任を果たすだけだ。これから取り調べと裁判を行い、全てを詳らかにする。もう二度と同じことが起こらないようにな」
「はい」
確かに、ニヴェスリアが用いた催眠魔法は、どこから復活させたか調べる必要がある。かつて研究されたという催眠魔法は、全情報が破棄されているはずだった。そんな魔法が横行してたら、国としてやっていけない。関係者全てを裁く必要がある。
そこまで考えて、ふと私は自分自身の能力について不安になる。
「あの、私とサーシャの持っている『魅了の瞳』の能力は違法になりますか?」
「まさか。生まれつきの能力は仕方がない。それにサーラやサーシャの魔力量では、所謂おねだり上手、くらいなものだ。魔物避けくらいはできるが人は操れない。まあ私くらいの魔力があれば影響があるだろうが……」
そこまで言って、陛下は動きが止まる。長い睫毛を瞬かせて目尻を赤くした。ゴホン、と咳払いをする。
「気が早いが、将来的に私たちの間に子供が生まれたら、両方引き継ぐ可能性はあるな」
「はい……」
私とサーシャの瞳が特別で、魅了の能力があるなんてエメラルダスから教えられたときは、ただ驚いて混乱するだけだった。知らず知らずに陛下に願望がだだ漏れだったのが死ぬほど恥ずかしくて、それどころじゃなかったとも言う。だけど冷静になってみると、これは大問題だ。
フォレスティ家やお母様の家系で不思議な能力がある人の話は一切聞いてこなかったけど、遺伝する可能性はある。あるいは、皇位継承者に絶対必要で、陛下も持つ『聖顕の瞳』の発現を邪魔するかもしれない。
「ふっ……ははは、そのときが楽しみだな」
私の不安をよそに、ルカルディオ陛下は快活に笑った。
「そ、そんな笑ってて大丈夫なんですか? もしかして婚約破棄になったりしませんか?」
「何を言う。私はサーラ以外など考えられない。絶対に別れないからな」
繋いでいる手に力を込めて陛下は真顔になる。初めて少し怒られてるかもしれない。
「何があろうと、私は絶対に別れない。子供にどんな能力があろうとなかろうと関係ない。次期皇帝なら、反対はあるだろうがアントニオがいるし、ジルが結婚したらその子供だってあり得る」
「はい……変なこと言ってごめんなさい」
勢いに気圧されるようにして、私は謝った。私だって陛下と少しも別れたくない。
「すまない、怒ってる訳じゃないんだ」
陛下がしょげた私の雰囲気に慌てて言い募る。
「サーラに心労ばかりかけてるのは、私のせいだとわかっている。私の立場が面倒なものだから……」
「栄えある皇帝のお立場を面倒だなんて思っていませんよ。陛下はお疲れなんですね、きっと」
今の陛下の感情は、些細なことで波打ってしまうようだ。さっきまで寝ていた私と違って、疲れているのだから当たり前で仕方ない。
「嫌わないでくれ。サーラに迷惑ばかりかけてるのに、どうしても放してやれないんだ。何でもするから……」
いや、思った以上に陛下は限界が来ている。私を抱きしめながらも、こんなに哀切な陛下の声は初めて聞いた。
「そのお気持ちだけ頂きます。もう陛下はお休みになった方がいいですね」
陛下は、抱き合っていた体をはなして向き直る。凛々しい眉が、悲しみに歪んでいた。
「私に、早く自分の宮殿に帰れと言っているのか? 昨日は泊まるように求めてくれたのに」
顔や耳に血が上るのを感じながら、私は少し睨むように陛下を見つめ返した。それは口に出して言ってない願望だ。何だか瞳の能力でいくらか伝わってたらしいけど。
「じゃあ、是非泊まっていって下さい。陛下が居ないと寂しいです」
私はやけくそで陛下を誘った。私の悪い癖だ。挑発をすぐに買ってしまう。
「では、そうしよう」
「えっ?!」
断られると思ってたのに――陛下は手を打ち鳴らし、侍女を呼んだ。
陛下は隣室で湯浴みをしてくる、と席を外した。
――あっという間に、別の侍女が訪れて陛下の就寝準備が整えられていく。
これ、明日にはお城中の人の噂になるやつだ。
私と陛下は大変な選択間違いをした。やってしまったわ。




