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紫の瞳

「あなたにそんな風にお願いされたら敵わないわね」


 輝石の魔女エメラルダスは雨で濡れた顔をぬぐった。


「どこかで少し落ち着いて話をしましょう。ジル、しばらくひとりで防衛がんばってね」

「ううっ……やるだけやるよ」


 ジルは雨でびしょびしょになり、魔法の使いすぎで疲労していても、いつもの明るくおどけた雰囲気は無くしていなかった。そこがジルのいい所だ。


 そう思って見ていたら、エメラルダスが意味ありげに笑った。


「ジルと仲良くしてくれてありがとう。ジルは案外壁を作る子だから、サーラが初めてのお友達よ」


 ジルがただの侍従のふりをしていたときも、周りの人たちと親しげに話している印象だった。意外なことを言われて、私は返答に詰まる。


「ちょっと母さんやめて。最高に恥ずかしいんだけど?! 僕はもう魔力長持ちしないし、早くしてよね!!」


 激しく怒るジルに追い出されるように、私たちは北側門の狭間胸壁を降りた。


 伝令役をしていたサーシャを呼び、私とルカルディオ陛下、エメラルダスは臨時の会議室に移動する。長机に適当に囲んで座ると、エメラルダスが悩ましげに髪をかき上げた。


「皇帝陛下は席を外して頂きたいのですけど」

「いや、もし瞳の話をするのならやめてもらいたい」

「あら、流石ですわ。気付いてらしたの?でもサーラは知りたがってますわ」

「ダメだ。サーラとサーシャに頼らない方法にする。そうだ、私の全魔力を注ぎ込んで、集まった魔物の洗脳を解除したら……」


 陛下は思い悩んでいる表情をしていた。


「陛下ならわかっていらっしゃるでしょう。さっきから魔物の洗脳を解除していますが、空を飛ぶ魔物はともかく、地上を移動する魔物は止められていません。これだけ多くの人間に接近していると、魔物は本能で捕食、攻撃行動に出ます。上回る手段が必要ですわ」


 エメラルダスと陛下は、私がわからない話を勝手に進めている。


「何なんですか? 早く教えて下さい」

「僕も知りたいです」


 急に呼ばれたサーシャはすごく不安そうだった。魔物の大群との終わりが見えない戦いなんて、早く終わらせたい。だから何でもすると言うのが私たちの意見だ。


 でも私とサーシャに何が出来るんだろう。私たちは、ただ良く似ている双子というだけで、魔力は高くない。


「じゃあ言うわ。あなた方は、魅了の瞳を持っている。それは特別な能力で、意思を持って相手を見ると思う通りに支配できるのよ」


 私とサーシャは、エメラルダスの言うことが信じられなくてお互いに目を合わせる。陛下がため息をついた。


 私とサーシャは色だけは珍しい、紫の瞳を持っている。形までほとんど同じだけど、その瞳に何かを感じたことはない。それに、相手が自分の思い通りにならないときだって多々あった。


「自覚がないから、ほとんど使えてなかったのでしょう。人間の精神は複雑で魔物と違ってそう簡単には操れないし、魔力が少ないのも幸いだったようね」


 エメラルダスはゆっくり頭を振る。暗い表情の陛下の様子からすると本当らしい。


「多分あなた方のご両親は気付いているけど言わなかったのね。自覚してしまうと危険だと考えたのでしょう。実際、あなた方はとても良い子に育ってるし、大した事件は起こさなかった。正しい判断だったと思うわ」


 急に思い当たる事例があった。私が7歳で先帝陛下の誕生祝賀会に出席したときだ。乱入してきた黒被竜(ガルオイネ)を私は椅子を振り回しただけで退けていた。


 魔物相手に子どもが怪我ひとつしなかったのはおかしい。あの後から、両親は過保護になっていた。そうだったんだ。


 魔物はともかく、人に対しては――?


 急にエメラルダスの声が遠ざかっていくように頭が痛む。嘘だと言って欲しかった。


「ごめんなさい、私……陛下に……」


 私は顔を覆った。今までの積み上げてきたつもりの自信がグラグラ崩れて、目の前が真っ暗だった。私は、陛下には好きになって欲しい、気にして欲しいと強く強く思ってきた。冷静に考えたら、ルカルディオ陛下みたいな人が私を好きになってくれる訳がない。陛下が私を好きだと言って婚約してくれたのは、もしかして――


「サーラ、大丈夫だから私を見ろ」


 陛下に両手を掴まれ、つい反射的に私は顔を上げてしまった。慌てて目を伏せようとする。


「サーラ!」

「だ、だって……」

「私は、ちゃんと自分でサーラを好きになった。信じられないなら、百でも二百でもサーラの好きなところを言おう」

「それは恥ずかしいからいいです」


 ちらっと陛下の顔を見上げると、眉を少しひそめ、潤んだ瞳で私を見つめていた。


「私は常人とは精神の鍛え方が違うから大丈夫なんだ。気付いていない頃はつい乗せられて少し強引に迫ってしまったが、それはそもそも勝手に魅力を感じていたからだ。だが最近はちゃんと耐えているだろう?」

「え……」


 陛下は優しい声音ながら、どこか危険な話題にたどり着こうとしていた。心臓が警告を発している。聞いちゃいけないことを、私はあえて聞きたくて仕方がなかった。


「もしかして、私が陛下に対してに対してこうしてああして欲しいなとかの願望がバレてるってことですか?」

「そうだ。婚約してから特に力が強くなっている」


 うわああ――――と私は叫んで部屋から飛び出してどこかへ行きたかった。身の置きどころはたった今、世界から消失した。もう私が消えるしかないのでは?


「サーラ、落ち着いてくれ。大丈夫だ。すごくかわいいと思ってる。サーラが求めてくれるのは嬉しい。ただ一度言うことを聞くと歯止めが効かなくなりそうで、今は応えられないんだ」


 恥ずかしさで耳鳴りがした。身体中が異常事態におかしくなってる。


「どうしよう、ペネロペに僕は何てことを……」


 サーシャも頭を抱えて苦悩していた。婚約者であるペネロペにサーシャは何を望み、何をさせちゃってるんだろう。怖くて聞けない。


 エメラルダスが強く手を叩き、注目を集めた。


「落ち着いて。過ぎたことは仕方ないわ。とにかく今は急いで訓練をしましょう。今のところ、あなた方の魅了の能力は強くないはず。瞳で魔力を操るなんてしたことないでしょう?」


 ――あるんですけど。


 だから陛下に私の欲求が伝わってたのかと私は内心地団駄を踏んだ。


「実は、ベラノヴァ団長に目線だけで相手の足元に変化を与える魔法を護衛のために教えてもらって、訓練してたんです。だからすぐ出来るかもしれません」


 陛下とエメラルダスがなる程と言った感じで頷いた。私は本当に、無意識に能力を使ってたらしい。


「サーラが出来るなら僕だって出来るよ!!」


 サーシャが精神的ショックをどうにか追いやり、椅子から立ち上がった。わかる。私たちは、仲は良いけどお互いに負けたくないと思っている。


「やる気があって結構ね。あなた方に不足している魔力の供給は、私が陛下から取って流しても良いかしら?」

「そんな器用なことが? 人の魔力を他人に流すだと?」

「長生きしていますから」


 疑いの目を向ける陛下に、エメラルダスが微笑む。というか陛下の魔力を便利な供給元にしちゃっていいのかとそっちの方が疑問だった。陛下の魔力をもらえるなら何となく嬉しいけど。


「戦場の隅で、短時間だけ練習しましょう」

「はい!」

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