説得
私はあえて間違った質問――洗脳魔法で兵を操るのかとアントニオに問いかけた。これはルカルディオ陛下の入れ知恵だ。
「サーラは馬鹿だな、そんな便利な魔法はない。人の心は複雑なものだ。見知らぬ人間を大量になんて無理だ」
案の定、アントニオは優位としての笑みを浮かべる。こうして笑うと陛下に似てるのもあって、すごくかわいいから困ったものだ。
「なるほど。じゃあ良く知ってる人、ごく少数なら操れるということね。そして、人じゃない魔物ならもっと操れる?」
「あっ……」
アントニオは口をおさえる。何だか子供を騙す汚れた大人になった感があるが、私はうんうんと頷いた。
「アントニオは魔法で操られていたのね。母親だもの、考え方も何もかも良く知られているし、仕方ないわね。カルタローネも、ランベルト公閣下もみんなニヴェスリアに操られているのかしら」
アントニオは否定すべきか、肯定すべきか迷っているようだった。
精神を操る魔法は当然禁止されている。かつては開発されたものの、情報は全て破棄されたはずだった。それを復活させて使用したとしたら、ニヴェスリアの罪は更に重くなる。
一方でソネス・カルタローネとランベルト公閣下の責任は軽くなる。恐らく流刑で済み、命は助かるだろう。そう、彼女はたったひとりで、全ての罪を被る周到な用意をしていた。
それだけニヴェスリアは、深く人を愛する心を持っている。なのに、ルカルディオ陛下は憎んでいる。
誰かを愛するほど、別の人間が憎くなる意味を私はわかりつつあった。私はルカルディオ陛下を傷つけようとする彼女を許しはしない。
「……知らない、私は何も知らない」
「知っているでしょう。教えて」
アントニオはギュッと目を瞑り、首を振った。
「嫌だ! あのときに私も、お前も、皆死んでしまえば良かったのに!! そしたら母上は生きられたのに」
「聞いて。目を開けて、アントニオ」
私はアントニオの冷えた手を取り、握りしめた。
「もうあなたは、あなたの人生を生きるしかないの。人はみんな勝手なのよ。親子でも、きょうだいでも、皆違う考えを持ってる。アントニオはどうしたいの?」
「そんなのわからない」
私はアントニオにひどい選択を迫っている。だけど選択もせず、ただ無為のときを過ごさせたくはなかった。
「わからないなんて言って逃げてはダメ。あなたにはちゃんと意思があるでしょう」
目を開けたアントニオは、零れそうな涙を堪えていた。
「私は……母上がこれ以上罪を重ねることは望まない。母上によって人命が失われて欲しくない」
「話してくれる?」
「ああ。だが、もし可能なら母上の減刑を望む。処刑が免れないなら、どうか母上が苦しまない方法を取ってくれ」
覚悟しているアントニオをどう慰めればいいのかわからず、私は黙ってしまった。
「サーラ、ひとつ頼みがある」
「なに?」
「洗いざらい話すから、全て終わったら母上と共に私を葬ってくれないか?」
アントニオの瞳は涙の膜が張り、揺れていた。
「お願いだから、そんな悲しいこと言わないで。あなたはまだたったの12歳でしょう。これからいくらでも、楽しいことはあるわ」
私は立ち上がって、腕を広げた。
「おいで」
何度か逡巡しつつ、ゆっくりとアントニオは私の腕の中に収まった。藁でも何でもいいからすがりたい気分なのだろう。アントニオが昨日の今日で私に懐くとは思えない。昨日は自暴自棄になって自分もろとも殺そうとしてきた。
とても賢いアントニオは、一連の駆け引きに気づいているのだろう。陛下がきつく当たり、私が優しくなだめる。それに乗ってくれているので、抱き合っていても物悲しくあった。それでも、お互いの体温が馴染むと心の奥にアントニオが息づいてくる。
「私はアントニオのこと結構好きよ」
これは本心だった。アントニオには独特の魅力がある。
「あいつに似てるからか?」
あいつとは、ルカルディオ陛下だろう。アントニオはなぜか名前を呼ばなかった。
「私の弟見たでしょ? 顔が似てても、中身は全然違うものよね。アントニオはアントニオよ」
「そうだな、確かに」
鼻が詰まったまま、アントニオは少し笑った。
◆
翌日、私と陛下一行は帝都を囲む城壁の最上部、狭間胸壁に立っていた。ここは高いので、帝都の向こうまで一望できる。
アントニオから聞き出した情報によると、やはり帝都を魔物の集団で襲う計画があるらしい。そのための防衛策を練っている。
「帝都に近づく前に、魔法が得意なもので隊列を組み追い返すしかないな。帝都の周囲一帯には穴を掘り、火を燃やすか」
アントニオに教えてもらった解除魔法で、魔物の洗脳は簡単に解けるらしい。ただし、洗脳魔法自体はアントニオに知らされておらず試験はできない。ぶっつけ本番となる。
今日から陛下はいつもの皇帝の衣裳ではなく、目にも眩しい白い軍服を着ている。もちろん肩章やボタン飾り、サッシュはすごく豪華だ。決して汚しちゃいけない、守るべきお方だと誰しもに思わせる尊さがあった。
「空を飛んでくる魔物が厄介だよね」
ジルも今日から白い軍服を着ている。陛下よりは装飾が少ないが、皇帝の弟として目立つようかなり派手なものだ。陛下の命令で、半分面白がって着させられている。ジル本人はあまり気に入っていないようで、わざと着崩していた。
「うむ。魔法障壁も帝都全域を覆うまでは無理だし、高速で飛ばれては矢も当たらない」
「万策尽きたねえ」
ジルは緊張感のない相づちを打つ。主要な部隊や、戦慣れした将軍などは既にカルタローネ領に移動してしまっている。
今の帝都にいるのは、王宮騎士団と近衛騎士団だけだ。開戦までには別に、5万の軍隊を呼び帝都周辺に待機させる予定ではある。
「何としても市街戦は避けたいところだが、空を飛ばれると厳しいな。そのような魔物が襲来したら非戦闘員は帝都中央に避難させ、取り囲み防御する。あとは一体ずつ泥臭く戦うしかないな。どのくらいの数が来るのかわからないが」
「でも、本当に魔物は来るのかな? 解除魔法が効くのかな?」
強風に髪を乱れさせながらジルが呟く。
「アントニオは嘘は言ってないと思うわ」
ジルが私の顔を見て肩をすくめる。
「サーラは戦う気満々だよね」
「ええ、もちろん」
「僕が言うのも何だけどもうちょっと将来のお后様っぽくして欲しいよね」
「ジルこそ皇帝陛下の弟、ジルベール様として威厳を出して欲しいわ」
ジルは先帝陛下が遺していた証拠などで身分を回復させ、ジルベール・ファウスト・ヴィノフレードになった。ただそう呼ぶとジルは体を痒そうにかきむしる。
「お前たちはそのままでいい」
陛下が少し笑って、にらみ合う私とジルの間に入った。
「だから、決して命を落とすなよ。これは勝てる戦だ」
陛下は遠く、カルタローネ領の方向の空を見ていた。あそこでは互いの兵が集結しつつある。




