アントニオの反抗
和やかな空気を味わっているところに、硬質な扉を叩く生真面目な音が響いた。
ルカルディオ陛下から入室の許可を得て、ひとりの近衛騎士が入室してきた。制服でそれとわかるだけで、私は見覚えがない。栗色の髪は短く刈られているが無精ひげが伸びている、30代くらいの人だ。
「ランベルト公爵閣下の追跡調査を終えましたので、ご報告申し上げます」
そういえばランベルト公爵閣下のことを忘れていたなと私は彼に注目する。反乱を起こしたニヴェスリアの内縁の夫で、アントニオの父だ。そして、ルカルディオ陛下からすると叔父である。
カルタローネ公爵、ランベルト公爵と、ふたつの公爵家門の軍勢が帝国に反旗を翻すのなら大問題だ。
「ランベルト公爵閣下は、既にカルタローネ領内にいるようです。しかし……」
「なんだ?」
陛下は片眉を上げ、続きを促した。
「ランベルト公爵閣下はニヴェスリアに連れ去られただけで、この度の戦争には無関係の立場である、兵が必要なら帝国軍に加わる用意がある、と現地にいた公爵閣下の代理者から伝えられました」
「そんなの信用できるか。まともに召集にも応じず、いつ寝返るかわからぬランベルト公の兵は戦力外だな」
重々しいため息を陛下は吐く。その通りで、卑怯なやり口だ。
またノックの音がして、今度は別の近衛騎士が入室してきた。
「皇帝陛下にご報告申し上げます。アントニオ様はお目覚めになられましたが、水も食事も、一切を拒んでおられます。また、あらゆる質問にも答えず、黙秘を続けております」
「そうか。下がってよい」
何かを考えている陛下の瞳を、私は横から眺めた。光の透ける青緑色は、つらいことばかり映してきたんだろうか。
「サーラ、頼みがあるんだが」
「はい、何でもおっしゃって下さい。陛下の頼みなら何でもやります」
勢い良く私に顔を向ける陛下に、私は勢い良く返事をした。
「頼もしいな。それでは私たちは、アントニオを懐柔し、情報を聞き出さねばならない。私がアントニオに厳しく当たるから、サーラは優しくしてやってくれ。いわゆる、飴と鞭作戦だな」
「ええ……」
◆
陛下を悪者にするのはあまり乗り気じゃなかったけど、私に二言はない。陛下と私は揃ってアントニオを閉じ込めている部屋に向かった。
周囲は近衛騎士たちに固められ、物々しい雰囲気だったが、陛下の顔を見るなりさっと廊下の左右に別れて頭を下げる。大臣たちは、アントニオを生かしておいても争いの火種になるだけだから処刑してしまえなどと言っているらしい。だからこのように警備されている。
「アントニオ、入るぞ」
鋳鉄で強化されている木製の扉を開け、陛下と私は室内に入った。がく、と足の力が抜けそうにだるくなる。部屋の中央には、魔力を吸収する水晶柱が設置され、管で別室に繋がっている。こうして常に魔力を吸い取って回復させないようにし、アントニオがまた魔法で暴れないようにしていた。
陛下も整った顔をいつになくしかめた。私よりずっと魔力が強い陛下なら、より虚脱感は強いはずだ。
壁沿いに設えられたベッドには、アントニオがうつ伏せで横になっていた。反応はなかったけど、呼吸の様子からして起きている。ただの寝たふりだ。布団だってかかっていない。
「アントニオ、話がある。こちらを向け」
「ねえアントニオ、起きて」
やっぱり反応はない。声で誰だかはわかってるようで、体を緊張させていた。陛下が体を傾けて起こそうとするが、その手を私は諌めた。
「ねえアントニオ、起きないとこうしちゃうけどいいの?」
アントニオの無防備な裸足の足の裏を、つうっと指で撫でる。驚いた小さな足は逃げようとしたけど、陛下が押さえつけてくれた。
「ほらほら、くすぐったいね」
私はアントニオの、皮膚の柔らかい土踏まずのところをピアノを弾くようにくすぐり続けた。くすぐり攻撃は信頼関係がないとあまり効かないらしいけど、優しく声をかけることで補ってみる。
「こちょこちょ……」
「ばっ、馬鹿かお前達は!! それが皇帝と婚約者のやることか!! 私にこんなことしてる場合か! この国の将来が心配だな!!」
しばらく続けていると、ついにアントニオが声をあげた。身を捩って、顔もこちらに見せてくれた。泣き腫らしたあとがあるが、絶望感はなかった。
「ふん、話せるではないか。良いか? お前を生かそうが殺そうが、くすぐろうが全て皇帝である私の思うままだ」
「じゃあ殺せよ! 私を殺せ!! 早く!!」
陛下は冷たい顔と声を作るのが上手すぎて、こっちまで体温が下がる思いがした。でもアントニオは一気に激昂して、叫びだした。どうも陛下への反抗心がすごい。
「殺しはしない。お前は私の手札のひとつとする。しかし、生意気にも飲食を断つ示威行為をしてるらしいな。食道に管を突っ込まれ、まずい粥を流し込まれたくなかったら自力で食べろ。それとも、アントニオはまだ乳離れすらしていなかったのか?」
「な、何だと?」
子供ならではの身軽さで体を起こしたアントニオが、陛下に殴りかかろうとした。でも攻撃に関しては相変わらずのへなちょこで、軽く陛下にいなされてしまう。アントニオは床に倒れかけたが、陛下がかなり乱暴に、腕を引っ張り上げた。
「ああ、陛下。どうぞアントニオを許してやって下さい。まだ子供なのです……」
私は打ち合わせ通り、陛下にすがる。陛下はベッドにアントニオを下ろした。蔑むように笑い出す。
「そうだな、甘ったれの軟弱な子供だ。泣いて叫べばいいと思ってる。城下に放てばすぐに野良犬の餌になる世間知らずの役立たずで、そのくせ自尊心だけは聳える山のように高く、救いようがない」
陛下は語彙が豊富なので、びしびしアントニオを罵る。
「私はそんなのじゃない!! 私は……お前なんかより皇帝に相応しいんだ!! ずっと努力してきたんだ!!」
「お前は酸欠の魚か? 口ばかり動かすのなら、まず食べることだな。サーラ、アントニオに物を食べさせておけ」
「はい」
そう言う陛下だって、ろくにご飯を食べてないのにさっさと部屋を出ていってしまった。すぐに侍女が、湯気の立つ食事を乗せたトレイを運んでくる。私はそれを受け取ってテーブルに置いた。
「さあアントニオ、こちらに座って食事をして」
「嫌だ」
「アントニオが食事をしてくれないと、私があんな感じで陛下に怒られるの。陛下って人の嫌なとこ突いてくるでしょ? とてもつらいのよ……」
打ち合わせ通りなのだけど、ルカルディオ陛下の悪口を言うのは演技でもつらかった。自然と、顔や声に悲壮感が現れる。
「やっぱりあいつは、人格が破綻してるんだな。まあ、お前に免じて1回くらいは食事してやっても良い」
何がやっぱりなのか。なぜ陛下をそう思っているのかその背景にため息が出かかるが、私はアントニオの横に座り、食事を見守った。アントニオの一口めは小さかったけれど、食べ始めれば食べれてしまうのが生き物だ。お腹が空いていたらしい。
アントニオは泣き、怒り、食べている。大聖堂で最初に出会ったときの表情のない様子が嘘のように、今は感情的だった。
「ねえ、アントニオ」
「何だ」
「ニヴェスリアはあなたを抑圧したり、支配するような魔法を使ってたの?」
口に運んだパンを飲み下し、アントニオは上目遣いになる。アントニオはそうだと言いたくないようだけれど、否定もしない。陛下と同じ翡翠の瞳が、暗に訴えかけていた。
「そう。ずいぶん難しい魔法に成功してしまったのね。それは今回の戦争で、兵士に使用されるのかしら?」




