宣告
「偉大なる皇帝陛下、どうして年端もいかぬ子供であるアントニオに手をあげられているのですか? 可哀想に、アントニオは泥にまみれていますわね」
そう言うニヴェスリア皇太后陛下は、夜だというのにしっかり顔面を白く、唇を赤く塗ってドレスを着込んでいた。どう見てもこの事態を予期していたのだろう。しかし度重なる魔法の光や音で、宮殿の警備兵まで集まりだしている。
「アントニオが私に殴りかかってきたから止めている。泥だらけなのは勝手に転んだだけだ」
もう暴れないアントニオから手を放した陛下は、事実を淡々と語る。泥だらけなのは私が魔法で転ばせたのだけど。
「おほほ、言い訳がましいですわ。婚約をされてご自身の子供を後継者にと望む皇帝陛下は、聖顕の瞳を持つアントニオが邪魔になったのでしょう?だから連れ出して、殺害しようとされたのですね?」
「全く違う。多くの近衛騎士が証人だ」
「陛下の近衛騎士は、陛下のためなら嘘をつくでしょう。またわたくしが悪者にされるに決まっていますわ」
ニヴェスリア陛下が言うように、この場に公平な証人は存在しない。これでは水掛け論にしかならなかった。
「わたくしは、皇帝という座を利用して強権を振るう皇帝陛下にもう我慢なりません。我が子を人質にとられ、僅かな望みさえ絶たれました」
ニヴェスリア陛下は声を張り上げた。普通の会話の声量ではなく、集まってきた人たちに聞こえるように話している。
「ほう?」
「皇帝陛下、父であるカルタローネ公に代わって宣戦布告を申し上げます。カルタローネの民はディランドラ帝国の統治を拒否し、独立いたします」
ニヴェスリア陛下の宣言に、皆が息を呑む。カルタローネ領は広大で、帝国の主要な穀倉地帯だ。だからこそ、安定のためにカルタローネ公の令嬢だったニヴェスリア陛下と先帝陛下の政略結婚が必要だったのだ。それを破棄しようだなんて。
「自分が何を言っているのか、わかっているのか? カルタローネ公の了承を得ているのか? 母上は下らぬ私利私欲によって戦争を起こし、多くの民を巻き込み、苦しませようとしている。今なら撤回を受け入れよう」
陛下は厳しく叱責するように、母であるニヴェスリア皇太后陛下を問い詰める。私は夢なら覚めてくれと思っていた。どこから、いつからこんな事態になっていたんだろう。ルカルディオ陛下の治世になってから、小さな反乱はあったけど大きな戦争はなかった。戦争は嫌だ。
「撤回する気はございません。今夜のうちにわたくしたちはこの宮殿を出ます。なお、無事に城門を出られなければ帝都の無辜の民、数千人が殺されるように爆薬を仕掛けてあります。どうか賢明で寛大な処置をされますよう」
「待て! アントニオを連れていかないのか?!」
踵を返したニヴェスリア陛下は、振り返らずに肩を上下させた。
「その子は、皇帝陛下に不当に略取されました」
そう高らかに宣い、行ってしまった。あとには、地面に膝をついて涙を流すアントニオが残されている。
「ニヴェスリア陛下は、勝ち目のない戦いをしようとしているのですか?」
私が知っている限りでも、ディランドラ帝国軍の人数は圧倒的だ。カルタローネ領は広いが、穀倉地帯なだけあって人口は多くない。軍人の数は正確には知らないが、帝国が負けることは絶対にない。
「恐らくそうだ」
流石に顔色を失くしつつも、陛下は冷静に、近衛騎士たちにいくつも指示を出している。ニヴェスリア皇太后陛下を無事に城門から出す指示だ。
私は、泣いているアントニオに近づき抱きしめようとした。
「やめろ、私に触るな」
腕を払いのけられるが、何度もしつこくやってると抵抗はなくなった。震えている細い体に腕を回す。
「大丈夫、あなたに罪はないから……」
私の言っている意味をアントニオは理解してか、一層泣いてしまった。ニヴェスリア陛下がアントニオをこちら側に残したのは、せめてもの愛情と思われた。
戦争を起こせば、主導者は処刑を免れない。ただし、先に私たち側がアントニオを略取していたとするならば、アントニオは年若いこともあるし無罪にできる。さっきの危険魔法だって不発に終わった。陛下はアントニオをきっと守ってくれる。
「大丈夫だから、安心して」
アントニオに私は、自分がかけて欲しい言葉を何度も囁く。私とルカルディオ陛下が婚約しなければ、こんな事態にならなかったと自分を責める気持ちがどうしてもあった。
結局、陛下は寝ている大臣たちを起こして緊急会議を開き、アントニオは魔法が使えない特別な部屋に閉じ込められた。
私は陛下と共に行動したかったが、取り敢えず休めと陛下に言われて従うことになった。紫水晶宮の自室でどうにか眠ろうと、ベッドに横になって無駄な努力をする。
思考を整理するために一度寝た方がいいとはわかっているが、やはり寝られなかった。
もう結婚式どころじゃない。式は延期かなとか、どうでもいい考えに浸っていた。カーテンの隙間から朝日が射し込み始めた頃、人の気配があった。一応警備がある宮に何の騒ぎも起こさずに侵入し、閉めていた鍵を音も無く開けられるとなると相当な腕の暗殺者か、ルカルディオ陛下かの二択だった。
「……陛下?」
「サーラ、起きていたのか。勝手に侵入してすまない。どうしてもサーラの顔を見たくなってしまったんだ」
まあこのタイミングで暗殺者はないなと思い、陛下と私は判断した。姿を見せた陛下は焦燥した様子で、私が上半身を起こしているベッドに歩いてくる。普段なら絶対こんなことしないからこそ、精神的な疲労が伺えた。
「夜這いですか? もう朝ですけど、いいですよ」
「まさか」
私の冗談に、陛下は無理して笑ってくれた。ベッドの端に腰かけ、私の手を握る。陛下の手は少し冷えていた。
「お前はいつも温かいな」
「体温は高い方です……もっと触って確めてみますか?」
自分でも驚く大胆な物言いに、陛下はもっと驚き、翡翠の瞳を見開いた。寝不足で充血しているけど、優しく理知的な輝きは変わらない。
「サーラは私を慰めてようとしてくれているんだな。それとも、不安なのか?」
「わかりません」
陛下は握っている指先を弱く、規則的に動かした。
「この帝国に暮らす誰もが、自分の幸せを追及する権利がある。当然私とサーラにも、幸せになる権利がある。私たちの婚約は間違ってなどいない。今回のことは母上とカルタローネ公に全責任がある」
陛下は私の不安材料がわかっているようだった。陛下の言うとおり、私たちはごく普通に婚約しただけではある。陛下が女性に近づけないまま一生を終えるのが正しかったなんて思わない。例え、相手が私でなくても。
「母上は、自分で自分の人生を台無しにしただけだ。私は母上が贅沢に暮らせるよう十分援助していたというのに、それ程までに私が憎いのだろう」
「私は、陛下を愛しています。陛下が生まれてくれて良かったと思っています。だから……」
だから、陛下に触れたいし、実の母に憎まれて傷ついて欲しくない。望まない争いをしなくてはならない陛下が可哀想で、喉が締め付けられるように痛かった。
「嬉しいが、そろそろルカと呼んでくれないか?」
複雑に笑って、陛下が私の頬を撫でた。
「ル、ルカ」
どもりながら名前を呼ぶと、陛下が――ルカが少し頬を染める。ルカと呼ぶのはまだまだ慣れそうもない。




