表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/100

兄弟の戦い

 大きな池から吹き付ける、湿り気を含んだ夜風がアントニオの細い金髪を乱していた。もう少しで満月が池に映り込みそうだが、風景を楽しむ余裕はない。


「お前たち双子さえ居なければ、ルカルディオは女に近付けもしないままだったのに! お前らのせいで、私が次の皇帝になる可能性は完全に潰えた!」


 叫ぶとアントニオの声はもっと掠れて、切なげに響く。


 アントニオのことはずっと考えていた。私とルカルディオ陛下の婚約は、アントニオの存在を危うくした。だけど皇太后陛下の宮にいる彼と密かに連絡を取る手段がわからなかったし、忍び込むには実力不足と止められていた。


 それに、アントニオと直接会って何を話すのか?

 ルカルディオ陛下と婚約してごめんなさいと謝るのは違う気がして、私は日々の業務に忙殺されるようにここまで来てしまった。今も、かける言葉が見当たらない。


「お前たちが私の何もかもを奪ったんだ! もう私はいらないものになった……!!」


 顔を歪めるアントニオは、何か低く呟きだした。いけない、呪文の詠唱だ、と私は慌ててアントニオに駆けよって、口を両手でふさぐ。


「ぅ……! ……!!」


 私の手を剥がそうとアントニオが暴れるが、12歳のそんなに鍛えてない少年ならまだ勝てる。魔法の呪文ははっきりと発音しないと発動しない。魔法使いが対人戦に弱いのはこういうところだ。


「サーシャ! 布とかある? 口に詰め込もう」

「う、うん」


 可哀想だけど魔法使いにはそれが一番だし、アントニオの目付きが、死ぬ覚悟を決めたかのようにギラギラしていて何をするかわからない。私はサーシャが懐からハンカチを取り出すのを待った。周囲に潜む近衛騎士たちは、出ようか出まいか迷っている気配だ。そのとき、胸元に妙な感触があった。


「えっ?!」


 アントニオが私の両胸に手を置いてめちゃくちゃ触ってる。近衛騎士の制服の下に、硬質の防刃素材の防具を着てるけど――そんなのを思い出す前に、私の体が拒否反応をしてしまう。手を放し、身を引いてしまった。


 隙が生じたことで、アントニオは私の手を逃れ、走り出す。茂みから近衛騎士が飛び出して捕まえようとしているが、どうにも遠慮がちだった。アントニオに怪我をさせてまで捕まえる権利が彼らにはない。でも私は個人的な恨みがたった今生じた。


「いくら子供だからって……!!」


 私は走るアントニオの足元目がけ、転ばせ魔法を発動させる。目で魔法紋を描くようにするだけなので、詠唱はいらない。


「うわっ!?」


 走っていたアントニオが勢い良く地面に突撃した。少しぬかるんだ地面なので、自然な成りゆきに見える。


「捕まえて! 口を閉じさせて!」


 私は悪女のように指示を出した。わらわらと近衛騎士が集まって、アントニオを取り囲もうとした。しかし突然、目を灼くほどの強い光が発生して騎士たちの低い叫びが続々と耳に届いた。


 私たちはしばらくもがき苦しみ、視力を取り戻したときにはアントニオは魔法で上空に浮かび上がっていた。詠唱を終えたのか、笑いながら池にすうっと手を振り下ろす。


「なに……?!」


 池の水は怒涛の勢いで逆流する滝のように夜空に上がり、やがて見えなくなってしまった。何をするつもりかわからないが、生物としての勘が危険を全身に訴えかけていた。


「何をしたの?!」

「氷塊が超高速で降ってくる魔法を発動させた。ここは屋根のある所まで遠いから、全員頭が割れて、全身の骨が砕けて死ぬだろうな。あはは……あと少しでみんなこの世とお別れだ」


 アントニオの笑い声だけは無邪気だけど冗談じゃない。とにかく退避しようかと足を踏み出しかけるが、また前触れなく光が明滅した。今度は目が見えなくなる程じゃないが、直後の轟音に誰もが身をすくませる。雷のような、何かの魔法が上空で弾けたのだと思われた。うっすらと霧が立ち込め始める。


「アントニオ、そこまでだ」


 この世で一番安心感のある声と存在、ルカルディオ陛下がいつの間にか私の横に立っていた。よく草葉くらいで隠れきれていたなと思うくらい、堂々とした立たずまいだ。


「お前が空に上げた水は、私が上空で爆発させて無効化させた。少し詠唱が長くて苦労したよ」

「ああ、兄上。いるだろうと思ってたけど、やっとお出ましか」


 アントニオが静かに地面に降り立ちながら、私と陛下に向かって氷の矢を幾筋も射出させる。だけどそれらに実体があったのは一瞬で、甲高い音と共に爆ぜ崩れ、霧散してしまった。


「無駄だからやめろ。あらゆる氷魔法を壊す魔法を使ったんだ。効果はしばらく続く」

「へえ、じゃあこれは?!」


 早口でアントニオが呪文を唱えるが、陛下がその始めの音節を聞いて、別の呪文を唱える。打ち消す反対呪文だろう。今度は炎の矢が飛んでくるが、発動した炎の矢は飛びながら夜の闇に塗りつぶされるようだった。


「兄上、後出しは卑怯じゃないか!」

「何とでも言え。とにかく、サーラに危害を加えることは許さない」

「そんなにその女が大事か?」

「そうだ」

「……」


 アントニオと陛下による、信じられない魔法の撃ち合いが始まった。目の前で次々と、風や岩、何だかわからない光る魔法などが生じては、陛下に消されていく。私は魔力の無駄遣いすぎる兄弟ケンカにただ呆然とするしかない。


「くそっ!」


 ついに打つ手が――魔法がなくなったアントニオは、陛下に向かって無茶苦茶に走り込んできて、拳を振り上げた。陛下は大きな手で拳を受け止め、軽く捻る。アントニオは苦悶の表情を浮かべた。


「ううっ!」

「アントニオは武術を習っていないのか。だからサーラにあんな最低な手段を使ったのか? あれは最低だぞ」

「うるさい! 放せ!!」


 私より小さなアントニオは、背が高く体格も良い陛下と比べるともっと小さく感じられた。完全に大人と子供の体格差で、敵う訳がない。陛下が落ち着いているからか、兄弟というよりは親子にすら見えてしまう。


「放せ! 放せよ――!!」


 声の限りに絶叫するアントニオに、陛下は眉をひそめた。


「そう騒ぐな」


 陛下でさえ、アントニオをどうしたらいいのかわからないようだった。誰かに危害を加えるのなら止める必要があるが、基本的には皇太后陛下の婚外子であり、腫れ物のような存在だ。


「皇太后陛下!行方不明のアントニオ様があそこで捕えられています!!」


 野太い声が遠くから響き渡った。どこか芝居がかった、棒読みの口調が心をかき乱す。そうか、嵌められたんだ――


「あらまあ、何てことでしょう。私のかわいいアントニオが、他でもない皇帝陛下に不当に捕えられているなんて」


 ニヴェスリア皇太后陛下と、護衛騎士たちが慌てた様子もなくやって来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ