思惑
私は近づいてくる、ルカルディオ陛下の優美な眉をぼんやりと見つめた。潤んだ瞳はきれいすぎて直視できない。
今は流れで手にキスをくれたけど、唇へのキスは魔法を解くために1回しただけだ。ここでキスをしたら、ちゃんと恋人同士になれるような気がする。聞こえないようにそっと唾を飲み込む。
「サーラ」
「は、はい?」
吐息がかかる距離で、陛下はそれ以上の接近をやめてしまった。
「サーラの紫の瞳は本当にきれいだな。何か特別な魅力があって、どんな宝石より美しい」
「ありがとうございます。色が少し珍しいだけで、別に何の能力もないですけど」
誉められるのは嬉しいが、キスを期待してしまったのが恥ずかしくて私は俯いた。頬がすごく熱かった。
「私は魔法のように魅了されてしまう。私にだけ効くのなら良いんだが、そうじゃないから心配なんだ。サーラからの話というのは、ベラノヴァ団長のことだな?」
「え?いえ、違います」
いつの間にか、ロマンチックな雰囲気が消え失せていることにがっかりしながら答える。
「だが団長は、サーラに対して何だかいやらしくないか? あいつは元々サーシャが好きで許されざる事件まで起こしたのに、どうなってるんだ。移り気が過ぎる」
「あはは、何をおっしゃるのです。ベラノヴァ団長は立派な騎士です」
私はから笑いをしたものの、相変わらずの陛下の観察力に驚いた。心に必死で防衛線を張る。ベラノヴァ団長がつけてくれる訓練は私に絶対に必要だ。
「ええと、ベラノヴァ団長はあれです、全ての女性に対して気のある振りとか、とりあえず口説くのがマナーと思ってるタイプなのですよ。たまにそういう困った方がいるのです。彼はまだ独身ですし」
言ってみると自分でもそんな気がしてきた。噂では女と見れば誰でも口説く男性は実在するらしいし、ベラノヴァ団長も本気じゃないのかも。
「そうか。確かに私の近くにいる限り、女性と接する団長の姿は目にしなかったからな。団長はそういうタイプだったのか」
後でベラノヴァ団長に口裏合わせを頼もう。陛下は私の変なタイプ決めを受け入れてしまった。
「しかし団長は33歳だ。いつまでふらふらしているのか。ベラノヴァ侯爵の嗣子なのに」
言ってから、陛下は苦しそうに自分の胸をおさえた。
「くっ……自分が婚約できたからって、人として最低なことを言ってしまった。サーラ、今の発言は取り消す。私はついこの間まで、団長が独身であることを心の支えにしていたんだ。女性嫌いが治らなくても、30歳くらいまでは問題ないだろうと」
「大丈夫ですよ、私も早く団長に結婚してもらいたいと思っています」
陛下の背中を撫でると、広くて温かい。失言も心を許してくれてる証拠みたいでかわいらしかった。
「サーラ、とにかく何かあったらすぐに報告してくれ」
「そうでした、不審な手紙が来てたんです」
私はやっと手紙のことと次第を陛下に伝えた。現物は気持ち悪いので持っていなかったが、文面は覚えていた。
「罠だな」
「はい」
陛下が私の浮気を疑わないでいてくれるのがありがたかった。というか、王宮に来て以来私と陛下は一日のほとんどを一緒に過ごしている。そんなの無理なのだ。やる気も全くない。
「サーラに似せた人物を当日、待ち合わせ場所に送りこむか?」
「いえ、私自身が行きたいです。サーシャも一緒でいいと手紙の末尾にありましたし、周囲に何人かつけてもらえれば、危険はないと思われます」
それに私より腕っぷしの立つ女性はそう居ないという自負がある。関係ない女性を危険に巻き込みたくなかった。陛下は一瞬眉根を寄せたが、すぐに決断したようだった。
「わかった。ではサーラとサーシャ二人で向かうといい。周囲には万全の警備を敷く。どうせそんなことは敵方も予想済みだろうから、派手なことはしないはずだ」
「ありがとうございます。最善を尽くします」
ロマンチックなはずのデートは、ただの作戦会議として終了した。
それから9日間、私は忙しく過ごした。ベラノヴァ団長の訓練、帝都内の養護院への訪問、ジータからの后教育などで時間は矢のように過ぎる。
指定の満月の晩は、狙ったかのように雨も降らず見事な星月夜だった。空では月に照らされた雲が呑気に流れていくが、地上では近衛騎士が這うように移動している。
私とサーシャは、碧玉宮の近くの池のほとりを並んでうろうろする。弟とデートしてもしょうがないのだけど、緊張をほぐす為に世間話はしていた。
「サーシャとペネロペは順調?」
私とルカルディオ陛下と婚約によって、ペネロペは父であるモンカルヴォ侯爵の反対もなくなりサーシャとの婚約が成立した。
「うん。5日に1度のお休みの日しか会えないけど仲良くやってるよ。何でもっと早く言葉を交わさなかったんだろってくらい気が合うんだ」
「そうなの。やっぱり、会う度にキスはするの?」
私は転ばせ魔法は使ってないが、サーシャは泥濘に足を取られたかのようにずるっと転びそうになった。もしかして、草でも結んであったのかな。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ! だけど今ここでそういうこと聞く?!」
「あ、ごめんなさい」
サーシャは色んな意味で恥ずかしくなったのか興奮していた。そう、現在私たちは姿を隠した20名の近衛騎士に監視されている。ルカルディオ陛下とジルもどこかに隠れている。
魔法によって私たちの会話は全員に筒抜けなのに、聞いた私が無神経だった。
「僕がそういうの、今ここで聞いてもいいの?」
「だめ」
「まあ、大体知ってるというかわかるけどね。サーラはさあー」
「ちょっとサーシャ、絶対だめだって」
下らない会話のせいで近くの草葉が震えていた。そこに人がいる、とわかってしまう。そのときだった。
軽やかな、跳ねるような足音が一直線にこちらに向かっているのを、私の聴覚が捕らえた。ひとり、そして多分子供だ。
気付いた潜伏中の近衛騎士たちから、緊張の気配が漂った。
「待たせたな」
駆けっこのような気楽さでやってきた子供は足を止めた。月明かりに照らされた顔を見て、私とサーシャは驚いて息を詰めた。アントニオだ。ニヴェスリア皇太后陛下が生んだ、父親違いのルカルディオ陛下の弟。
今は12歳だが、本当に面立ちも、金色の髪も、翡翠の瞳も陛下に似ている。サーシャは会うのは初めてだけど、話は伝えていた。
「アントニオ……あなたが来るとは思いませんでした」
「ああ、手紙では偽名を使ってすまない。私は見ての通り、難しい立場だからわかってくれ」
アントニオの声は初めて聞いたけど、声が変わり始めたばかりなのか掠れている。まだ少年の雰囲気は残しているが、ルカルディオ陛下と同じ口調なのが変な感じだった。帝王教育のせいだろうか。
「私たちに何のご用でしたか?どうしてあんな手紙を?」
「そんなの、お前たちが邪魔だからだ」
何とも言えない怖気が背筋に走った。ルカルディオ陛下そっくりの少年は真顔で私たちを邪魔だと言う。




