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秘密の庭園

「違います! これは私を罠にかけようとした手紙です! よく読んで下さい」


 私はジータから手紙を奪い取り、怪しい箇所を指差した。


「ほら、見てくださいここ。碧玉宮です。皇太后陛下がお住まいの離宮です。皇太后陛下の手の者が、私を夜中に捕まえようとでもしてるのでしょう」

「本当ですか? では身に覚えがないというのなら、早くルカルディオ陛下に報告なさって下さい」

「そのつもりですよ」


 ジータの来訪によって、予定より遅れているのだ。後片付けはヴィヴィとマヤに任せて、私とジータは部屋を出た。サーシャと一緒に主宮に出勤しようと廊下を進むと、そこにベラノヴァ団長が銀色の髪を輝かせて立っていた。


「サーラ様、ルカルディオ陛下から伝言です」

「どうしましたか?」


 ベラノヴァ団長は朝に見ても、なぜか夜のような雰囲気をまとっている。30歳を越えた男性にしか出せない何かかもしれない。


「帝都の南西にある橋が魔物の襲撃によって崩落したので、陛下は早朝からバレッタ卿ら近衛騎士25名を伴って現地に向かわれました。帰還されるのは夕方です」


 私は息を呑む。そんなことになっていたとは知らなかった。


「魔物はまだ橋周辺にいるのですか?」


 陛下自ら危険に近づくなんてあり得ないけれど、一応確認したくて私はベラノヴァ団長を見上げた。


「いえ、魔物は南領の騎士団によってもう討伐されていますのでご安心下さい。陛下のちょっとした遠乗りのようなものです」

「そうですよね、良かった」

「早期の復旧に向けて、魔物避けの魔法を一帯に陛下がかけ、怪我をした人々を見舞うのです。あの橋は南西部で採れる農作物を帝都に運ぶ重要な橋ですから」

「そうですか」


 ただひたすらに、陛下の人々を思いやる気持ちが感じられた。そして行動の早い陛下らしい。


「という訳で、今日は私とサーラ様の二人です。サーシャとジルも陛下に随行しましたから」

「わかりました」


 私は感情を出さないように頷いたが、すごく夕方が待ち遠しかった。ルカルディオ陛下もサーシャもジルもいない王宮は寂しい。


「ふふ、そんな寂しそうなお顔をしないで下さい。私が居ますよ。さあ、お手を」

「ちょっと! サーラ様! ベラノヴァ団長とどんな仲なのですか? 怪しいですわ」


 私に手を差し出していたベラノヴァ団長は、ジータの声に不快そうに目を細めた。居たのか、みたいな目つきだ。だけどジータは全く臆することなく、つんと胸を反らす。


「ベラノヴァ団長まで誘惑してるのですか? サーラ様は清純そうに見せかけて、意外とやり手なのですね」

「昨日から思っていましたが、サーラ様は侍女に甘過ぎるのでは? もし騎士団の新人がこんなに下世話で生意気なら、その場で腕立て伏せ50回ものですね」


 私は腕立て伏せをするジータを想像して、つい笑ってしまった。ジータがきっと睨んでくる。


「団長、普通のご令嬢は腕立て伏せを1回も出来ません」

「知っています。例え話ですよ。サーラ様は誰に対しても、海のように慈悲深い心をお持ちですからね。いちいち人を睨んだりきゃんきゃん騒ぎ立てるそこらの令嬢とは器が違うのです」


 ベラノヴァ団長は恐らく、わざと乱暴な発言をして私を立ててくれているんだろう。ジータは私を睨むのをやめ、目を伏せた。


「確かに、サーラ様は寛容な方ですわ……私の挑発に全然乗りませんもの」


 挑発とは知らなかった。それにベラノヴァ団長がこんなに味方してくれるとは思わなかったが、この両挟みで一日過ごすのは気が重かった。


 それでも私はベラノヴァ団長とジータに見守られながら慈善事業の計画書を作成し、午後には団長から剣術の指導を受けた。


 長いようで短い時間が過ぎて、空が茜色に染まる頃に陛下は無事に帰還された。マントを靡かせ、駿馬に跨がって駆けてくる姿は最高に格好良かった。後ろにジルやサーシャの姿も続いている。


 ほかの近衛騎士たちと並んで出迎えたけれど、我慢できずに私は飛び出した。


「サーラ!」


 土埃ですら、陛下のご尊顔には付くのを遠慮してるのかもしれない。白く清らかな頬に笑みを浮かばせ、陛下は馬の足を止めた。


「待たせたな」

「いえ、ご無事で何よりです」


 従者が昇降台を持ってくるより先に、陛下は馬からひとりで降りてしまう。そのまま従者に何事かを耳打ちした。彼は駆け足でどこかへと向かう。


「今までは遠乗りは嫌いじゃなかったんだが、今日は早く帰りたくて仕方なかった」


 陛下はさりげなく私の腰を抱いた。すごく皆の視線を集めているが、陛下は気にしていないようだった。というか、馬を華麗に乗りこなすのは陛下なら当然として、女性の扱い方も慣れてるのかと錯覚するくらい上手い。


「行こうか」

「ど、どこにですか?」

「いい所だ。サーラに伝えたいことがある」

「陛下、私からもお話したいことが」

「そうか。ついてくるのはバレッタ卿だけでいいぞ」


 後ろを振り返り、陛下は色んな人にそう告げた。


 いい所ってどこだろう、地に足が着かない感覚のまま陛下の横を歩いていたら、いつの間にか大きな門扉の前にたどり着いていた。金塗の装飾的な門扉は、見えない誰かによって開かれる。バレッタ卿が、駆けてきた従者から何か受け取っていた。


 真っ赤な薔薇が咲き乱れ、中心に大きな噴水のある庭園だった。恋愛小説とかでよく描かれていそうな場所だ。白いベンチに並んで腰かける。


「ここは、いつか大事な人と過ごしたいと思って造らせた私的な庭園だ」

「すごいですね。恋愛小説みたいです」


 月並みな感想しか言えなかったが、陛下は満足そうにふっと笑った。


「もっと早く連れて来たかったんだが、大事なものをまだ渡していなかったからな」

「大事なもの、ですか?」


 陛下が合図をすると、バレッタ卿が小さな箱を持って来た。白磁に金で幾何学模様があしらわれた美しい箱だ。


「やっと婚約指輪が完成したんだ」


 陛下は箱を開けて、深い紫色の石が中心にある指輪を見せてくれた。私の瞳の色に合わせてくれたと思われる。見たことのない難しい色合いだが、紫の石の周りには十字に小さなダイヤモンドらしき装飾があってとても素敵だなと思った。


「あ、ありがとうございます。いつの間に……」


 そういえば、先日の結婚式用ドレスの採寸のときに指の太さも一通り調べられた。陛下が私の指に着けてくれると、ぴったりだった。不意に、本当に婚約したんだなと実感が湧いてきた。物があるって大事だ。


「嬉しいです。似合ってますか?」

「当たり前だ。この石は、アレキサンドライトといって光によって色を変える。今は夕陽で紫だが、昼間は……」

「何色ですか?」


 聞いたことのない呪文を陛下が呟いた。眩しい光珠が陛下の手の中に宿る。指輪をかざすと、紫色だった石は青緑色に変わった。翡翠を透明にしたような、吸い込まれるような美しい輝きだった。


「陛下の瞳の色ですね!」

「あ、ああ……そうなんだ」


 恥ずかしそうに陛下がくしゃっと照れ笑いをして、光珠を消してしまった。胸がひどく高鳴りだす。


「大切にします! 昼間はずっと見せびらかしておきます!」

「いや、昼間はしまっておいていい。サーラは剣も握るだろう」

「じゃあさっきの呪文を教えて下さい。私、青緑色のときの方がきれいで好きです」

「サーラに使えるかどうか」

「うっ」


 一般的な明かりの呪文は、柔らかなオレンジ色っぽい光をしている。さっきの陛下の青白い光珠はいかにも高度な呪文だった。


「魔力が少ないのが、初めて悔しくなりました……」

「サーラが望むなら私がいつでも光を灯すよ」


 指輪をしている方の手を取って、陛下が口づける。微かな感触なのにぶわっと体温が上がる感じがした。


「まさか、陛下にいちいちそんなことさせられません」

「どうして。私の全てはサーラのものだ」


 じゃあ私の全ては陛下のもの、だなんて恥ずかしい台詞は言えなかった。何を言っても様になる陛下が、じっと私を見つめていた。これは、目を閉じるべき雰囲気なのか――

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