后教育
私は謎の手紙が気になってその晩、寝つきが悪かった。結果、いつもより朝寝坊してのろのろ着替えていると部屋の扉の向こうから言い争う声がする。
耳を澄ませると実家のフォレスティ家から連れてきた気心の知れた二人の侍女、ヴィヴィ及びマヤの声と、新しい侍女ジータの声だと思われた。
「ですから、まだお嬢様から呼ばれてませんし、お嬢様はドレスのとき以外はご自分で身支度をするとおっしゃってますのでまだ行かなくていいんです!!」
「いくら男装だからって、髪とか肌のお手入れがあるでしょう?! 結婚式までにサーラ様を美しくしなきゃいけないのです!! あなたたちこそ職務放棄ではないかしら?!」
ジータの主張する内容に朝から頭を抱えたくなった。すごく面倒そうだ。だけどヴィヴィとマヤが責められているので、出なくてはならない。
「おはようございます。ジータ、声が中まで聞こえていますよ。意見なら私に直接おっしゃってください」
仕方なく扉を開けて、みんなに顔を見せた。私はもう顔を洗って、近衛騎士の制服を着ている。特にやってもらうことはない。しかしジータはつり目がちの灰色の瞳でもって、私を検分した。
「サーラ様、輝かしい朝にご挨拶申し上げますわ。ですが次期皇后として、もっと身なりに気を遣っていただきたいのです。服はそのままで結構ですから鏡台の前におかけください」
ジータは色々な道具が乗ったワゴンを押して、有無を言わせず部屋に侵入しようとした。私はヴィヴィとマヤにうなずいて見せ、鏡台前の椅子に腰かけた。
「お肌のお手入れなら、自分で簡単にはやってますよ。というかあなた方には、もっと別のことをお任せするつもりでした。私の身の回りにはヴィヴィとマヤがいますから結構です」
はっきり言って、私の体ひとつにそんなに侍女はいらない。私のことは放っておいてもらいたい。しかしジータは、私の後ろに立って青やら赤の瓶を並べ始めた。
「出来ていないようですから、指導に来たのです。ヴィヴィ、マヤ。こちらに来て私のやり方を覚えて、毎日お手入れしてさしあげて下さいね」
「サーラお嬢様は今でも十分にお綺麗ですよ」
「私もそう思います」
かばってくれるヴィヴィとマヤだが、彼女たちは元々押しに弱い性格をしている。ジータの睨みひとつで震え上がってしまった。
「サーラ様をもっともっとお綺麗に出来るのに、手をこまねいていてはいけません。それに、自分で出来ることをわざわざ他人にやらせることで、皇后らしい雰囲気が身につくのです」
「ジータ、二人を叱らないで下さい。私がワガママを言って好きにしていたのです。これからはやってもらいますから」
「そうして下さい」
ジータの言うことにも一理あったので、おとなしく従うことにした。確かに鏡の中の私には威厳がない。むしろ勝ち気そうなジータの方があるくらいだ。
「それから、タマラとクレオと相談したのですが、私がサーラ様のお后教育を担当させていただくことになりました。式の準備はタマラとクレオが進めておりますのでご心配なく」
今ここにいないもう二人の侍女の顔を思い浮かべて私はひっそり残念に思う。あの二人は優しそうだった。よりによって、一番口うるさそうなジータがお后教育をするなんて。私は嫌な顔をするところだったが、鏡の前にいたことで、何とか表情を取り繕う。
「……お后教育とは、どのようなものでしょうか?」
私は家庭教師をやっていたくらいなので、やれば淑女らしく出来るつもりだ。でも后教育の実態までは知らなかった。
「ルカルディオ陛下の受けられた帝王教育のように、皇后にはふさわしい言葉遣い、目上の者としての振舞いがあるのです。どうぞご覧下さい」
ジータはワゴンの下段から、古そうな分厚い本を取り出して押し付けてくる。本を読むだけで済むはずがないが、私は適当に中程を開き読んでみた。――上に立つ者たる態度は、口ごもったり、どもったり、迷ったりしてはいけないなどとあった。確かに陛下は『み、右か左かわからない、どうしよう……』みたいな話し方は絶対にしない。
いつも堂々として即断即決、即行動がルカルディオ陛下だ。誰が何をするのか決めるのも陛下。他者に決定権は委ねない。なのに私には、どうするか決めさせてくれたことが多々あった。あれって、すごく特別なことだったんだ――
「何をにやけてるんですか?」
ジータが冷たく私を観察していた。
「いえ、何でもありません。ジータはこの内容を全て覚えているのですか?」
鏡越しに私とジータは見つめ合う。美しさは比べるものではないと陛下やジルに説かれたけれど、波打つ金髪に華やかなドレスを纏うジータは、十分に美しい。ジータだって子爵家の令嬢だから、陛下と付き合える可能性はあったのだ。陛下は政略結婚を嫌うので、公爵家などでなくとも良いから。
「そうですわ。ルカルディオ陛下ならいつか女性嫌いを克服されると信じてきました。アレッシ家は子爵位ながら、先帝陛下から現在の陛下に至るまで、侍女や文官として大変重用して頂いています。私もお役に立てるよう、母から教育されてきました。まさかサーラ様のような方が突然ぽっと現れて、さっとその座を奪うなんて思ってもおりませんでしたけど」
「ごめんなさい」
私もまさかルカルディオ陛下と婚約するとは思っていなかった。しかし私の謝罪はかえってジータを苛立たせたらしい。激しい怒気によってか、呼吸を荒らげていて少し怖い。
「……そっくりの双子の弟を使ってお顔立ちに慣れてもらってルカルディオ陛下に近付いて誘惑したって噂ですわ。サーラ様は策略家だって! 今でもこんな近衛騎士の格好をされてるじゃないですか。でも私が、どんな格好をしていようが関係ないくらい、サーラ様を誰よりも女性らしく、美しくして差し上げますから!!」
「それはありがとうございます」
たしかにサーシャの身分を使って、陛下の心の隙に入り込んだのは事実だ。幻覚魔法を使ったとは公表できないが、似たようなものだった。
「ふ、ふん! 私の手技を舐めないで下さいます? でも美しすぎて愛想をつかされても私はあくまで侍女として全力を尽くしただけなんですからね!」
「ジータは真面目なんですね」
「アレッシ家の誇りですわ」
陛下はあまり他人の見た目にこだわらない人だと思うが、美しくしてもらえるならありがたかった。ジータの技術によって、私のお肌や髪の毛はつやつやになった。
「このお化粧品はどれも最高級のものですから、毎日使えばもっと良くなりますわ」
使い終わった道具を片付けながらジータは部屋を見回した。
「ところで、お部屋の乱れは心の乱れでございます。あの散らかった手紙は婚約のお祝いでしょうか?サーラ様はお忙しいでしょうから、私が返事の下書きを致しましょうか?」
書き物机の上には、昨夜私が放置したまま寝た手紙が山となって積まれていた。
「いいんですか? そうしてくれると助かります。ほとんど仲よくない方ですし」
「あら?この手紙は……」
私ははっとした。一番上にあるのは、ジョルジオ・カリッサーノという、知らない人からの謎の手紙だった。
「何ですのこれは?! サーラ様!! ルカルディオ陛下という素晴らしい方と婚約されたばかりで浮気ですか?!」
ジータがものすごい早さで手紙を読み取り、大声をあげた。




