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波紋

「でも、あなたたちは私とルカルディオ陛下の結婚の準備を手伝って下さるのでしょう? 陛下にご挨拶するのは当然です」


 私はエスコートするように、ジータの腕を絡めとって執務室へと連れていこうとした。


「サーラ様おやめ下さい……くっ! なんてお力なの?! びくともしない」


 ジータは抵抗するが、か弱い普通の令嬢が私に敵う訳がなかった。タマラとクレオ、それからベラノヴァ団長は黙って後ろからついてくる。


「ジータ、そんなに抵抗なさらないで下さい。陛下に会うのがお嫌なのですか?」

「まさか!! 恐れ多いだけですわ」

「それでは、淑女らしく静かに参りましょう」


 私は腕をするっと離した。ジータの灰色の瞳が睨み付けてくるが、取り合わず歩を進める。



 ルカルディオ陛下の執務室の扉は白と金色をしていて、獅子の彫刻がされている。私は慣れてしまっているが、3人は扉の模様だけで萎縮しているようだった。改めて、挨拶だけで私はさっきのことは何も言わないと彼女たちに念押ししてから扉を開ける。


「陛下、ただ今戻りました。今日からの新しい侍女を連れて参りましたのでお目通り願えますか?」

「ああ、もちろん」


 扉を開けながら陛下に問うと、気楽ながら貫禄ある返事が返ってきた。


「どうぞ、入って下さい」


 ジータ、タマラ、クレオは猛獣の檻にだってそんなに縮こまって入らないくらいにビクビクしていた。目線は床しか見ていない。


「私をそんなに怖がらなくていいんだが……」


 陛下は最奥の席に座っていたが、苦笑して立ち上がり彼女たちを出迎えるように執務机の前まで進んだ。声は優しく、気遣いに溢れている。


「さあ、顔を上げて。私は君たちのような侍女を怯えさせていたようだな。もう気を使ってもらう必要はないんだ。サーラのおかげでな」


 救いを求める子羊みたいに彼女たちは顔を上げる。そんな彼女たちに向かって、ルカルディオ陛下はそっと微笑んだ。


「あ……陛下に拝謁の機会を頂き、誠に喜びの境地でございます。ジータ・アレッシでございます」

「タマラ・コンテスティでございます」

「クレオ・テルミニでございます」


 声を震わせ、顔を赤らめながら3人は自己紹介をした。全員恋に落ちたなと私は直感してしまった。バレッタ卿やサーシャも部屋にいるけれど、彼女たちの瞳には映っていないようだ。


「これからよろしく頼む。結婚式が無事に終わったら、お前たちには役職をつけよう」

「は、はいぃ」


 陛下は事務的なことを話しているだけだが、何だか部屋の空気が薔薇色に染まって見えた。恋する乙女が3人も居たらそうなるのは必至だ。


 陛下の周りに女性を近付けてはいけないんだと私まで危険思想に染まりそうになった。


 最近は少し慣れてしまっていたけれど、陛下は見るものを感動させるくらいに美しい。端正で知的な白い額から眉、目、鼻、口の造形は国宝級だ。だけど外見だけではない。ただ見た目が綺麗なだけの人なら探せばいるだろうが、陛下は王者の威厳と、包容力の感じられる優しさまで兼ね備えている。


「下がってよい」


 陛下が退室を命じるので、私は彼女たちを連れて一度部屋を出た。所属が普通の侍女棟から紫水晶宮に変わるので、ベラノヴァ団長に案内を頼んだ。引っ越し作業もあるだろうから、明日から本格的に働いてもらうこととした。



 再び執務室に戻ってから、私は陛下についつい文句を言いたくなる。


「陛下、未婚の年頃の女性にはあんな笑顔を向けないで下さい。あまりにも効果が抜群すぎます」

「妬いたのか?」


 今度はやや意地悪そうな笑みで、陛下はそう言った。その通りなので顔に血が上る感じがした。


「そうですね」

「心配しなくとも、私は老若男女の心を掴むことができる」

「そうでしょうね」


 それは心配することだと思うけど、私は力なく同意した。


「だが、私が生涯愛する伴侶はサーラだけだ。早く正式に結婚したいものだな、一年は長い」

「ありがとうございます……本当に、早く結婚式をあげたいです」


 伴侶と言ってくれるのは嬉しかった。どこまで行っても同じ位置に立てるとは思わないけど、そうなりたいと思う。陛下が私の頭を軽く撫でた。


「私だって我慢しているんだ」

「え?」

「……何でもない。さあ、お喋りは終わりだ」


 確かにやることはいっぱいあるし、さっきからバレッタ卿やサーシャの視線が突き刺さっている。何も二人に見守られながらイチャイチャする趣味はない。私は重い足取りで自分の席に向かった。



 その晩、執務室で夕食を済ませてから紫水晶宮に戻ると、部屋に手紙がたくさん届いていた。


 私と陛下の婚約があちこちに伝わり、親戚や友人――それほど親しくない人を含めて――からお祝いの手紙が来ているようだった。


 次期皇后となる私との繋がりを強固にしたいのだろう。権限が私に与えられるのかどうか私はまだ知らないのに。どちらかというと面倒な気持ちで開封して、中身をざっと読んでいく。


 そのうちのひとつ、封筒の差出人の名前に覚えがないもので手が止まった。ジョルジオ・カリッサーノなんて人は知らない。


「ここに置かれてるってことは、呪いとか変なものがないか調査されてるはずだけど」


 ひとりきりの部屋で、私は辺りを見回す。紫水晶宮の警備は万全だし、神官が出入りする物品を調べてくれてるらしい。もし呪いがあっても、ルカルディオ陛下のとこに駆けつければ大丈夫かな。気になりだした私の指は止まらず、封蝋を剥がして中身の便箋を取り出した。


 かなり達筆な文字で、こう書かれていた。


『親愛なるサーラ・フォレスティ様


 あなたはどのようなお気持ちでこの手紙を読まれているのでしょうか。婚約のお祝いの手紙に紛れ込ませた非礼をお詫び致します。


 どうか、最後に一度お会いする機会を私にくれないでしょうか。次に月が満ちる晩、碧玉宮から西にある池の前でお待ちしております。どうかおひとりでお越し下さい。でも弟君だけなら一緒でも良いです』


「誰……」


 差出人がわからない私は、誰に相談するべきか悩んだ。だけど、待ち合わせ場所の碧玉宮というのは皇太后陛下が暮らしている離宮だ。すごく罠の可能性が高い。


 私が夜中に逢い引きしてると騒ぎたて、陛下との婚約の破談に持ち込みたいのだろうか?


 ひとまずサーシャに相談しようかと私は寝巻きのまま部屋を出た。陛下は私ひとりでは寂しかろうと、サーシャを同じ紫水晶宮に住まわせた。すぐ近くにある扉を叩く。


「ねえ、サーシャちょっといい?」

「……うん」


 サーシャの眠そうな声が返ってきた。鍵のかかってない扉を開き、真っ暗な室内に目をこらす。サーシャはもうしっかりベッドに入っていた。


「変な手紙をもらったんだけど、ちょっと見てよ」

「不幸の手紙みたいなやつ?」

「そんなのじゃないけど」


 ランプを魔法で灯して、サーシャに手紙を押し付ける。


「何これ。サーラってこの人と付き合ってたの?」

「違う!! 罠だと思う。陛下に見せても大丈夫だと思う?」

「うーん……」


 サーシャは目を閉じて、顎先をつまんだ。考えているのか寝ているのか判然としない。


「サーシャ起きてる?」

「起きてるよ。うん、後ろめたいことがないならさっさと陛下に相談した方がいいね」

「あるわけないでしょ」


 それは自信を持って言える。でも、今すぐに陛下がお休みになってる翡翠宮殿まで行って騒げるほどには、緊急性を感じなかった。サーシャみたいにもう寝てるかもしれないし、次の満月の晩まで10日ある。


「明日にするわ。起こしてごめんね、おやすみなさい」

「うん。おやすみ、サーラ」

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