訓練と、新しい侍女
翌日から、私は慈善事業の計画書を練った。
とりあえずは帝都内の養護院などに出向き、食糧や医薬品の寄付をする予定だ。教育や職業訓練など、実家のフォレスティ伯爵領でもやっていることを始めるにはまだまだ準備が必要そうだった。
当面の日程を組み、養護院に訪問の伺いを立てる手紙を書き上げる。横ではサーシャが単純な書類作業に苦しんでいた。今は封蝋を押す作業をしていた。
サーシャは私より、体や剣術を鍛えることに力を注いできた。書類作業は不慣れであるためミスも多く、まだしばらくは横で見守る必要がありそうだ。黙ってサーシャの腕をつつき、ぐちゃっとした封蝋のやり直しを指示する。
「お前たち双子を見てると飽きないな。仕事中の癒しだ」
ルカルディオ陛下がぽつりと、それでもよく通る声で呟く。陛下の執務室は広いので距離は十分あるが、私たちは観察しやすいところに席を置かれている。ちょっとした見世物みたいになっていた。
「陛下。お手が止まってますよ、さっきから」
「わかってる。だがお前たちを見てると面白いんだ。同じタイミングで髪を触ったり、無言で会話を成立させたり」
私の注意を受け流して、陛下はにっこりした。無邪気な微笑みすぎてそれ以上注意できない。何にしても陛下が幸せそうにしてくれるのが、私の幸せだ。守りたいなと思う。
その為には、皇太后陛下をどうにかしなければならないだろう。彼女こそ、陛下の悩みの種そのものだ。私は慈善事業と並行して自らがおとりとなる作戦を考えていた。
ノックの音がして、ベラノヴァ団長がやってきた。私は勢い良く立ち上がる。
「サーラ様、ご準備よろしいでしょうか?」
「もちろんです!」
今日はベラノヴァ団長に、魔法を使った護身術を習う約束をしていた。危険に身を晒しても、負傷するつもりは全くない。
「では、陛下。私は鍛練場まで行って参りますね」
「ああ……怪我をしないようにな」
あまり嬉しそうではない陛下を背にして、私は颯爽と部屋を出た。
◆
土埃が舞う近衛騎士用の鍛練場は、この時間は無人であった。踏みかためられた黄土色の土と、ひび割れた石塀が静かに陽射しを浴びている。かつてベラノヴァ団長と決闘をしたとき、物見高い騎士たちで埋まっていたことが嘘のようだった。
「サーラ様、こちらをご覧下さい」
ベラノヴァ団長が懐から取り出したのは、手のひら大の羊皮紙だった。複雑な魔法紋が描かれている。丸の中に、三角や四角や楕円形が重なり合うものだ。
「これは?」
「先日、サーラ様のお足元に使って転ばせた魔法です。この図形を完璧に暗記できますか?」
「今すぐにですか?」
「はい」
私は羊皮紙を受け取って、指で魔法紋をなぞり、記憶に焼き付けようと繰り返した。転ばされかけたあの屈辱、晴らさでおくべきかと若干の憎しみが常ならぬ集中力を私にもたらす。
「……覚えました」
「流石ですね。では私の足元に使ってみて下さい。魔法紋を思い描くだけで、呪文の詠唱は必要ありません」
そんなに便利な魔法があるものかと私は疑った。でも言われた通りに今覚えた魔法紋を目で彼の足元に描こうと凝視する。その間にベラノヴァ団長は羊皮紙を私の手から取り返し、燃やしてしまった。
「どうですか?!」
「ふむ、出来ています。魔力消費も少ないでしょう?」
ベラノヴァ団長の靴先は、コツコツと見えない何かを蹴飛ばす。
「ええ、魔力の少ない私でも連発できそうです……」
こんなの人を転ばし放題だ。集中を解くと、ベラノヴァ団長の足が何にも当たらず空を蹴る。
「こんなに簡単で、かつ危険な魔法があるなんて……これって禁止魔法ではないのですか?」
「ベラノヴァ家に伝わる秘術です。我が伴侶になる方にのみ伝授するつもりでしたが、サーラ様は特別ですよ」
逆光のせいか、ベラノヴァ団長の微笑みは怪しげだった。
「そういった言い方、ルカルディオ陛下の前でなさらないで下さいね」
「もちろん、サーラ様と私の間の秘密です」
「だから……!!」
ベラノヴァ団長は、鍛練場の隅にある剣を2本拾ってきて、片方を私に投げて寄越す。私は格好つけたくて、回転しながら飛んで来る剣を空中で捕まえた。
「いいですね。サーラ様は動体視力が良いですし、瞬発力があります。今伝授した魔法さえあれば、大抵の接近戦は問題ありませんし、集団から逃げる際の足止めもできるでしょう。馬にも使えます」
「素晴らしい魔法をありがとうございます」
「では、実戦でどれだけ発動させられるか、練習しましょうか」
身を低くして、ベラノヴァ団長が踏み込んでくる。刺突の構えだ。背筋に興奮が駆け抜けた。
――この人、魔法を発動させる隙なんてない。
剣の峰で攻撃を受け止め、ビリビリとした衝撃に私は歯噛みする。
「魔法はどうしました?」
「今やってるところです!」
◆
たっぷり打ち合いの稽古をした後、私は満足して執務室へと戻る。鍛練場からかなりの距離があるので、そこまではベラノヴァ団長も随行してくれた。
「団長の腕は本当にお見事です。もう一度決闘をしたら私が負けるでしょうね」
「ああいった魔法を用意しての決闘かと思っていましたから、かなり虚をつかれました。サーラ様の横にはジルがいましたし。彼は魔法にかなり詳しいですよね?」
ベラノヴァ団長はどさくさ紛れにジルの正体を聞こうとしてくるけれど、その手には乗らない。
「いいえ。ジルはただの侍従です」
「それにしては、陛下とサーラ様が重用しているではありませんか」
「ジルはいい人ですから。あと、かわいいので」
ふっとベラノヴァ団長が笑う。
「そうですか。かわいい、ねえ……」
何がおかしいのかわからないけれど、面倒なので私は愛想笑いだけして話を終わらせる。途中にある広いホールに差し掛かったとき、女性が3人立っていた。私と同じくらいの年齢の、どこかのご令嬢と思われた。
「恐れ入ります。サーラ・フォレスティ様でしょうか?」
「はい、そうです」
真ん中に立つ金髪の令嬢に訊ねられ、私は単純に答えた。
「お初にお目にかかります。本日よりサーラ様の侍女を務めさせていただきます、ジータ・アレッシです」
「タマラ・コンテスティです」
「クレオ・テルミニです」
次々と自己紹介をする彼女たちの名に覚えがあった。ルカルディオ陛下から打診された、私の新しい侍女だ。私は胸に手を当てる騎士の礼をした。
「話は聞いております。これからどうぞよろしくお願いいたします」
「はい。それにしてもサーラ様は本当に騎士のような方なのですね。髪が短くて、騎士の服をお召しになって……そこがルカルディオ陛下の心を掴んだ秘訣なのでしょうか?こんな稀有なお方、帝国中探してもいませんものね」
ジータは普通に嫌みとして取れる言葉を並べ立ててきた。私の心に、鍛練中とはまた違う炎が燃える。女同士の舌戦でも、やろうと思えば負けはしない。――でもこれは、不正な手段を経て陛下の婚約者となった私への一種の洗礼だろう。穏便に流しておこう。
「褒めてくださってありがとうございます」
「まあ、サーラ様ったら独特の感性をお持ちなのですね。鈍いというか何というか」
ジータの横にいる、タマラとクレオは困ったように愛想笑いをしていた。この3人が幼なじみという情報は、身の上書から得ていた。まあゆっくり関係を構築しよう。
「こんなところで長話していたら、ほかの方の通行の邪魔になってしまいますから、行きましょうか」
「どちらへ?」
「ルカルディオ陛下のところへ」
嫌がらせでもなく、今後のために顔合わせは必要と思っただけなのに、彼女たちは一様に顔を引きつらせた。何だか、私が親とか先生に言いつけると言ったみたいな空気だ。
「そ、そんなご迷惑なこと出来ませんわ……!!」
「大丈夫ですよ、この時間はまだ執務室にいらっしゃいますし、ご挨拶なさって」
「倒れられたら大変です!!」
陛下はまだまだ女性嫌いのイメージが強いようだった。




