作戦会議
「その縁談はどうなったのだ?」
急に部屋の空気が緊迫したものに変わった。お父様はルカルディオ陛下に正面から見つめられて冷や汗をかいている。
わかってきたけれど、ルカルディオ陛下は少しだけ嫉妬心が強い。長い間女性恐怖症を患い、清廉潔白な身だから、私にも無意識にそれを求めてるのかもしれない。
「も、もちろんサーラがどの縁談も嫌だと言うので、断りました。サーラは私の目から見ても、ずっと陛下をお慕いしていましたし無理強いは良くないと思いましたから」
「お父様、もうあんまり言わなくていいから」
お父様の話は真実だけど、恥ずかしくなって手のひらを出して止める。陛下は横にいる私に翡翠の瞳を動かし、安心したように微笑んだ。
「そうだったのか、サーラ。もっと早く私に手紙でも送ってくれたら良かったのに」
「陛下に憧れてただけで現実的に考えてたわけじゃないです。たった一度のご縁だけで厚かましく手紙なんて出せません」
顔が熱くて、手で扇ぎながら私は何とか答えた。子供時代に陛下と出会った記憶が甦ってきたせいだ。
私と陛下、そしてサーシャはパーティー会場で共に魔獣に襲われ、一緒に戦うなんていう記憶に強く残る経験をした。あのときは皇太子だったルカルディオ陛下が、14年後も覚えていてくれて、結婚してくれるとは夢にも思わなかった。
「縁もゆかりもない令嬢から厚かましくも『私が陛下の女性嫌いを治して差し上げる』という手紙は良くもらったぞ」
「そんな手紙をもらっていたんですか?!」
急激に頭に血が上って私は声を荒げてしまった。ルカルディオ陛下のことを言えないくらい、私は嫉妬深いのだと初めて気づく。
「とっくに燃やして灰になっているから心配するな。元より女性と会える状態ではなかっただろう、サーラが治してくれるまでは」
控えめに陛下は笑うが、向かいに座るお母様が視線で注意してきた。慎みがない、と言いたいのだろう。
「……声を大きくしてしまい、失礼しました」
「普段のサーラはきちんとしている。今はご両親がいるから気が緩むのだろう。いいことだ」
陛下はさらっと場を治めて、紅茶を一口飲んだ。
「それにしても、フォレスティ伯爵は美しい心がけをお持ちだ。私が今まで見てきたのは、娘を駒のように使う貴族ばかりだった」
まだお父様から何か聞きたいのか、再び陛下は水を向ける。
「勿体ないお言葉です。親としては結婚して欲しい気持ちもありましたが、それは幸せになって欲しいからです。嫌だと言う相手と添わせても、サーラは我慢できる娘ではないとわかっておりましたから。もう一生独身でもいいかと諦めておりましたところ、サーラが陛下の目に留まったことは、この上ない僥倖です。それにサーラと陛下が話すところを拝見していると、サーラをとても理解して下さっているようで……」
お父様は目頭をおさえた。お母様が黙ってハンカチを渡して、お父様は黙って受け取る。私も陛下といつかこんな風に、慣れた関係になるのもいいなと思える光景だった。お母様は眉を下げているものの、却って落ち着いていた。
「サーラ、周りの方の言うことを良く聞いて、慎み深くするのよ。あなたはすぐ無茶するんだから」
「何だかお別れみたいな言い方ね、お母様」
「まだわかってないのね。女性は結婚したら、実家や親とはほとんどお別れなのよ。私もそうだった。それにサーラはまだ婚約だけれど、宮殿に住むのでしょう」
私は横にいる陛下をちらっと見てから、答えようと口を開く。
「そうだけど……会えるように時間は作るから」
「なるべくサーラの希望に沿うようにする。私から何かを強制することはないし、下らないしきたりなど撤廃するつもりだ」
陛下が力強く約束してくれるから、何も心配いらないと私はお母様に微笑みかけた。だけどお母様は、はっきりと違う考えを持っているようだった。
「静かに歳をとっていく私たちのことはどうかお気遣いなきよう、申し上げます。あなたたちにはもっと、やるべきことがあるのでしょう」
その後お父様とお母様は揃って陛下に頭を下げて私を頼み込み、婚約の手続きは終わった。私と陛下は城内の廊下を歩いて執務室へと向かう。
「良いご両親だな。サーラを奪ってしまって胸が痛む」
「私が独身で居続けても両親の胸をひどく痛めたと思いますから、気にしないで下さい。喜んでくれてましたよ」
「サーラをもっともっと大事にしないとな」
陛下は私の肩を抱きよせる。後ろにいる文官や近衛騎士がほお、みたいな息を吐いたがもう婚約したんだし堂々としていいはずだった。
「陛下、両親は恐れ多くて言えなかったと思いますけど……」
「うむ、何だ?」
「私の親を、陛下の親と思って頂けたら嬉しいです。もちろん面倒は自分で見てもらいますが、相談相手のひとりくらいにはなるかと」
目を大きくして、陛下は瞬きを繰り返した。私は焦りながら続ける。
「例えば、私が陛下を困らせてしまったときなどは是非、両親を頼って下さい。私の味方はしなくていいって伝えておきますから」
陛下は私の肩を抱いたまま、優しくぽんぽんと叩いた。
「私に父母はもういないから、ありがたいことだ」
「陛下……」
正確には陛下の母君は生きているが、頼れるような親ではない。だってあの皇太后陛下だ。そう言うのも仕方ないことだった。
正式に婚約をして、私は前より陛下を知れた気がする。浮き彫りになったのは、陛下の孤独だ。
頼れる親も無しに、あらゆる責務を負ってきたルカルディオ陛下を私が幸せにしてあげなきゃと、大それた願望が胸に膨らむ。
誰に何と言われても、だ。弟を使って陛下の婚約者の座を射止めた悪女と呼ばれるのは別にいい。
だけど私は身の安全に気をつけなきゃなと思う。陛下も同じことを考えてたいたようで、物憂げだった。
「皇太后は今後、サーラの命を狙ってくる可能性が高い。婚約の破談狙いやらドレス破りでは済まないだろう」
言いたいことはわかってしまう。まだまだ陛下とはそんな関係じゃないけど私は一応、将来的には陛下の子供を生む可能性がある。
ニヴェスリア皇太后陛下からしたら私は邪魔な存在だ。彼女は陛下の父親違いの息子、アントニオを次期皇帝にしたがっている。
「部屋で今後の作戦会議をしないとな」
「はい」
陛下の執務室には、バレッタ卿、サーシャ、ジルが待機していた。サーシャは早速バレッタ卿にしごかれているようで、周りに書類が山積みだった。
「終わりましたか。ご婚約おめでとうございます」
バレッタ卿がかしこまって、私達に一礼をした。陛下は落ち着いて返礼を述べたが私は照れくさくゴニョゴニョと何かをつぶやいた。この部屋にいる人物は全員、私とサーシャの入れ替わりについて情報を共有している。
「さて、サーラ様。ささやかですが約束のものです。婚約のお祝いの品は別に送ります」
私の気持ちを察してか、バレッタ卿は今度は気軽にハンカチを手渡してくる。私が以前貸した無地のハンカチは、きれいな真っ白のレースのハンカチになって返ってきた。本当にバレッタ卿は騎士の鑑だ。
「バレッタ卿、ありがとう。婚約のお祝いはこれだけで十分です」
「いいえ送ります。それと、もう未来の皇后陛下なのですから、私をバイアルドと名前で呼んで下さっていいですよ」
「慣れてしまいましたし、バレッタ卿と呼ばせて下さい」
私はすごく暖かい気持ちになってハンカチを握りしめた。陛下が横で咳払いをする。
「バイアルドと気が合っているのは良いことだが、サーラの護衛にはつけられない」
「あ、ええそうですよね」
バレッタ卿は陛下の側仕えだし、政務に関しても欠かせない存在だ。
「ベラノヴァ団長が帰ってきたから、サーラの護衛は彼に任せる」
「ベラノヴァ団長ですか?」
やだ、と心で叫んだ。




