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婚約

「正面玄関口でジルが待ってるから、とりあえず出よう。サーラの侍女を呼ぶにもそれがいい」


 私の手を取ったまま、陛下はそう言った。


「今はあまり、ジルに会いたくないですけど」

「なぜ?」

「ジルの思惑通りになったのが悔しいのと恥ずかしいのと、半々ですね」


 それに、私は無事に幻覚魔法をルカルディオ陛下に解いてもらってサーラに戻った。これはつまり、キスをしましたって顔に大きく書いてあるようなものだ。こういうのはもう少しの間、二人の秘め事にしたかった。


 陛下は苦笑する。


「ジルはやってくれたな、本当に。まんまと転がされた」

「ええ」

「騙されても本気で怒る気にならないのは、ジルとサーラだけだ」


 私たちは揃って紫水晶宮を出た。そこにはしっかりとジルが待っていた。


 ジルは元に戻っている私の姿を見るなり、ふっ、と笑った。想像では激しくからかってくるとかだったのに、何も言わなかった。それは最高に私の羞恥を煽ったけれど、私は努めて冷静に振る舞う。


「色々あったけど、戻れたわ。協力してくれてありがとう、ジル」

「僕は大したことしてないよ。むしろ今まで引っかき回してごめんね」


 ジルがあまりに殊勝な態度だったので、それ以上何も言えなくなった。


 外は日が沈み、薄暗くなり始めていた。ルカルディオ陛下が辺りを見回した。


「あとでジルの知ってることを今度こそ包み隠さず話してくれ。サーラが誰と魔法を解くつもりだったのかも……」

「あっ、それサーシャだよ」


 私が止める間もなく、ジルが簡単に答えた。


「バッ………!!」


 ついバカと言いかけてしまって何とか口をつぐむ。


「ごめんねえ、ルカに言い忘れてたね。ほら、サーシャも同じ魔法使ってたからさ。手っ取り早く双子同士で解除する予定だったんだ。でも向こうは向こうで勝手に解いちゃって、それでサーラは意地張るから困ってルカに」

「なんだ、弟か。あまり良くはないが、良かった」


 ジルはペラペラと軽快に説明をしていく。陛下は安心したように質問を重ね、私が唸っているうちにすっかり情報は共有された。


「その弟くんもそろそろ来る頃かな?」


 ジルが庭園に目を凝らす。どうやら手筈を整えてくれたらしく、フォレスティ家からの馬車が見えていた。


「サーシャが来るの?」

「うん。魔法なしだとちょっときついけどサーシャに女装してもらって、サーラとして王宮に入らせた。後は着替えれば、サーラとサーシャの入れ替わりはこれで終了だね」

「なるほど……」


 数ヶ月に及ぶ偽装生活は、こうして慌ただしく終わりを告げた。



 私は久しぶりにドレスを着付けてもらい、カツラを被って陛下と夕食を共にすることになった。陛下の客という形だ。でも周囲に給仕の者や、近衛騎士副団長もいるので、当たり障りのないことしか話せない。


「私的な晩餐など、父上が生きていたとき以来だ。しかも、こんなにきれいなサーラが横にいるなんて」


 陛下は嬉しそうに微笑む。すごく広い食堂室の、長テーブルの一番奥の席に陛下は座り、私はその斜め横の席に座っていた。私もこういうのは久しぶりだった。最近は近衛騎士の食堂で気軽に食べることに慣れていたので少し緊張する。


「照れてしまいます、そんなに見つめられると」

「私もだ。私の食べ方はおかしくないか? サーラは家庭教師をしていて、マナーも教えていたのだろう?」

「陛下は完璧ですよ。私は一応、教えてはいましたが失敗することもあります」


 ルカルディオ陛下は指先とナイフやフォークが一体化してるかのように、優美な手つきだ。


「これからは気軽に注意してくれ。皇帝になってから、細かいことは誰も指摘してくれないし、私が手を滑らせても笑ってもらえないんだ」


 そう言いながら、陛下は前菜のお皿に載っている黒すぐりの実をフォークで何度も突き刺し損ね、コロコロと転がした。


「……食べ物で遊んじゃいけませんよ」


 仕方なく私が注意すると、陛下がやけに嬉しそうに笑った。少年のようでもあるし、私が緊張しないようにわざとふざけて気遣ってくれる紳士でもある。


「今夜の食事はうまいな」

「はい、とてもおいしいです」


 だけど、ここにジルもいてくれたらと私は思った。ジルは表向き、親すら不明の侍従という身分なので同席はできない。無理に同じ席につかせれば人々の注目を集め、面倒なことになってしまう。


「実はほとんどの夜は、軽食を執務室に運ばせて手伝いの者と食べている。明日はサーラも付き合ってくれるか?」


 私の心を読んだかのように陛下はそう提案した。知らなかったけど、陛下は普段、執務室でジルと夕食を摂っていたらしい。


「素敵ですね。喜んで、ご一緒いたします」

「ありがとう。本当はサーラには毎日贅沢をさせたいんだが」

「陛下のお傍にいられるのが一番の贅沢です」


 私は言ってから恥ずかしくなったが、陛下も少し照れていた。



 翌日、私の両親を呼んで正式に婚約を交わす運びになった。


 ルカルディオ陛下と私が一緒に応接室に入ると、すでに待機していたお父様、お母様と目が合う。かなり緊張して不安そうだった。


 私は、陛下はそんなに怖い人じゃないと言いたくて陛下の後ろでそっと笑ってみせた。だけど二人とも、陛下へのご挨拶をしなければならず、ふざけてる場合じゃないようだった。


 一通り挨拶が済むと着席し、すぐに書記官が婚約に際しての誓約書などをテーブルに広げる。お父様がフォレスティ伯爵として署名して、ルカルディオ陛下が署名するだけのものだ。なんと私は名前を書く必要はない。


 親同士が決めた許嫁、なんて話がよくあるけど本当に婚約に関しては当人の意思は関係ないのだ。陛下は事前に私に気持ちを確認してくれたけど、おかしな世の中だと思ってしまう。


 一方、陛下は陛下より偉い人がいないので、誓約書は自分で自分に承諾するみたいな文章だった。


「……これで、婚約が成立か。フォレスティ家には後程、婚約の贈答品を送る」

「陛下のお心に感謝し、有り難く頂戴いたします」


 陛下はそんなに威張っていないけど、お父様は畏まっていた。お母様も同様だ。


「フォレスティ伯爵、夫人、これからあなた方との付き合いも多くなるだろう。日を改めて晩餐にも招待するが、もっと胸襟を開いて欲しい。こんなに素晴らしい淑女を育て上げた夫妻を、私は尊敬しているのだから」


 運ばれてきたお茶と茶菓子を勧めてから、陛下は柔らかく微笑んだ。政務中には見せない顔だった。


「勿体ないお言葉です。実を申しますと、本当にサーラが陛下の奥方になるのかと未だに信じられず不安が大きくて……」

「心配ですわ、何もかもご了承の上かとは存じますが、突拍子もないことをする子ですから」


 お父様とお母様が口々にそんなことを言う。私がサーシャの身代わりなんかをして、この座についたことを案じているようだった。はっきり言って、二人は過剰なくらい心配性、過保護なのだ。


「そうか? サーラは今まで結婚していなかったのが不思議なくらい美しく優しい淑女だ」

「一応縁談はあるにはありましたが……」

「ほう?」


 お父様が余計なことを言うので、陛下が興味深げに体を少し前に乗り出す。

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