探しもの
「ジルはサーシャを治してくれたじゃない、気にしないで」
私はジルの背中を軽くたたく。悄気かえっているジルには、優しい気持ちを取り戻せた。
「そうじゃないんだよ、僕はわざと時間をかけたんだ」
「……そうなの」
とりあえず私とジルは馬車に戻り、乗り込んだ。詳しく説明してくれなくても、大体の事情はわかってしまった。ジルは、私とルカルディオ陛下の交際が本格化するのを先延ばしにしたくて、治療を遅らせていたようだ。
御者のかけ声で馬が走り出すと、ジルがいつもの遮音魔法を唱える。ジルがため息をつき、話し出す前にと私は口を開いた。
「あのね、私も今の環境が気に入ってたの。この日々がずっと続けばいいなって。だから、本当に気にしないで。それにサーシャとペネロペは誰に強制されたわけでもなく、勝手にああなったんだし。喜ばしいことよ」
「サーシャの治療だけじゃない」
弱々しく首を振って、ジルは言う。
「僕はルカに嘘をついてる。サーラの正体に気付いてないふりをしなきゃいけない、そうじゃないと魔法が解けてしまうって。そうやって、二人の気持ちがすれ違うようにしてた」
ジルの青と緑の瞳に、涙がたまってきていた。
「前、サーラは僕に大人だって言ってくれたけど、全然大人じゃないよ。僕はわがままな子供なんだよ、精神的に」
「ジル……今はその気持ち、すごくよくわかるわ。さっきの二人に見せつけられたから。私も全然大人になれない。私も同じ立場なら、同じことをしたと思う。本当に気にしないで」
私は向かいに座るジルの手を取りたくなった。私もサーシャとペネロペ両方が大好きなのに、まだ素直には応援できない。どちらも間違いなく、いずれは誰かと結婚すると理解してたのに、なぜか喪失感と疎外感があった。喜ぶべきなのに。
「もうちょっとしたら受け入れられると思うけど今日はまだ無理だったわ。ジルには恥ずかしいとこ見せちゃった」
「人と人の関係って変わり続けるものなんだってさ。母さんに言われた」
さりげなく目頭をおさえるジルだけど、声は詰まったものになっている。ジルのお母さん、輝石の魔女はなかなかいいことを言うなと思った。
「……ねえ、僕がいつか、誰かと付き合うって言ったらサーラは嫉妬してくれる?」
「うん、なぜか嫉妬して、寂しいと思っちゃう。それにルカルディオ陛下だってああ見えてめちゃくちゃ妬くと思う」
「そっか。なら、今は僕が寂しいと思う番なんだね」
奇妙な理論だけど、一理ある。順番にある種の役回りは訪れるものらしい。ジルは満足したように口端を上げる。
「サーラ。今度こそちゃんと協力するよ」
「どういうこと?」
「やっぱりさ、元の姿に戻るときはルカにキスしてもらうのが一番でしょ?」
「な……」
そんなの答えられずに私は視線をさまよわせる。だってルカルディオ陛下が本当に私を愛してくれてるのか自信が持てないし、キスなんて、百年後くらいの未来にあったらいいななんて夢想はしてたけど、急には無理。心の準備をしていない。
「大丈夫だから。僕がロマンチックな演出するから。そうやっておとなしくしてれば大丈夫、ルカならやってくれる」
「ちょっと、何する気?」
新たな楽しみを見いだしたようで、ジルは薄笑いをする。そしてまた王宮までの移動中、ジルは私の質問に一切答えなかった。
王宮に着いたあと、ジルは離宮のひとつである紫水晶宮に私を連れてきた。周囲には紫の花畑が広がり、幻想的な場所である。建物は純粋な帝国風ではなく、海の向こう、砂漠地帯の様式を少し取り入れていた。ガラスに複雑な模様を描く真鍮を張りつけ、窓枠自体も四角ではなく全て丸い。
「きれいな場所」
「今は誰も使ってないけどね」
ジルは宮殿の扉の鍵を魔法で開け、中へと私を導く。西日によって、室内は温まっていた。静かすぎて不気味とも思える廊下を進んだ。
「この部屋で待ってて。ルカを呼んでくるから」
「ここで?」
「そう。ここは皇帝専用の図書室になってて、僕かルカしか入れないから」
かなり大規模な図書室の扉を開けて、ジルは素早く居なくなってしまった。残された私は、やることもなくぐるっと周囲にある本棚を見回した。どれもかなり古そうな本が納められている。
「古代魔法……少数民族の魔法……禁忌の魔法」
こんなの私が見ても、魔力不足でどうせ扱えないだろうと思いつつ、革が貼られた重たい本を抜き出してみる。近くの机に置いて開き、破かないようにヨレヨレのページをめくった。
「髪の毛が早く伸びる魔法……! こんなのあるの?」
元の生活に戻ってドレスを着るなら、長い髪はやはり必要だ。カツラは暑そうだから。興味を持って掠れた文字を読んでいると、背後で物音がした。
「サーシャ? いるのか?」
ルカルディオ陛下がやって来ていた。私は慌てて本を閉じる。
「陛下! 来てくれたんですね」
ジルは本当に陛下を呼んできてくれたけど、私はこの後どうしたらいいのか全然わからなかった。陛下はまだ私を『サーシャ』と呼んでるし、何でもない顔をしている。ということは、ジルからはまだ、何も説明してないと思われた。
「ああ。フォレスティ邸の方の問題は大丈夫だったのか?」
「はい、もういいんです。あっちは」
「何を読んでいたんだ?」
陛下は私が読んでいた本の表題を見て、眉間に皺を寄せた。
「確実に身体に変化を与えるが副作用が強く廃れた魔法?やめてくれ、こんなもの」
「はい、そうします」
私も読んでてひどいと思った魔法書だった。髪の毛を早く伸ばす魔法は、髪だけでなく全身の毛が伸びる。だから別途、毛が抜ける魔法を使わなきゃいけなくなると書いてあった。
「それはともかく。ジルが、私が探している本がここにあると教えてくれた。サーシャも一緒に探してくれるか?」
「何ていう題名ですか?」
ジルったら、それしか話さなかったんだろうか。まあそれくらいならと私は安請け合いをする。
「希少生物の素材を触媒に使う古代魔法、だそうだ」
「わかりました」
私は口の中で暗唱しながら、部屋中を埋め尽くす本棚にその題名を探した。古い本が多いので文字が消えかえていたり、活字ではなく手書きによる背表紙もあるので作業は難航した。どうしてジルはこんなことやらせたいんだろう?
「あっ……これでしょうか?」
私はすごく狭い通路を通り、本棚の一番下の段に、それらしき本を見つける。臙脂色の大冊の本に、うっすら『希少生物』と書いてあった痕跡がある。
「中に、千舌鳥の羽根を使った魔法の記述はあるか?」
「待ってください……ええと……あります」
「よくやった。見せてくれ」
机に本を置き、陛下と肩を並べてページをめくる。なんだか二人で宝探しか謎解きゲームをしているみたいで、ワクワクした気持ちになれた。これがジルの言うロマンチックな雰囲気なのかな。
「ここですね。なになに、千舌鳥の羽根による、げ、幻覚魔法?!」
嫌な予感が背筋に走り、私は本を閉じたくなった。しかしルカルディオ陛下が私の手を遮り、問題の箇所を読み上げる。
「千舌鳥は七色の羽根を持つ美しい魔獣の一種であるが、力は弱い。その為、雛を守るために強い魔獣に化ける生態を持つ。これは戦闘の最中に傷を負っても決して解けない。餌を与えるため、真に親鳥を愛する雛の嘴が嘴に触れるまで続く。この性質を利用し、羽根を触媒とした当幻覚魔法は被魔法者を愛する人からのキスを受けるまで解けることはなく、機密活動に適した魔法と言える……なるほど、お前はこの魔法を使っているんだな?」
陛下の声は徐々に低くなり、怒っているようだった。
「そうかもしれないですね」
私だって魔法の原理や触媒までは知らなかった。だけど間違いなくこれだろう。元に戻る方法がキスだ。陛下は翡翠色の瞳を細め、どんどん私に近付いてくる。
「陛下?」
「どうして言ってくれなかったんだ。誰とキスするつもりだったんだ」




