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鏡映し

 王宮から、貴族が邸宅を連ねる地区にあるフォレスティ邸まではそれ程遠くない。ただし王宮の敷地自体がとにかく広いので、焦る気持ちもあって馬車での道のりは長く感じた。


「実際に見たらわかるばっかりじゃなくて、先に説明してくれてもいいんだけど?」


 私はさっきから一定時間ごとに、同じ質問を同行するジルにぶつけていた。でも、ジルは何も言わない。


 とうとうジルは口笛を吹き始めた。なんなのよ、と呆れて脱力してしまう。口笛は上手だった。



 フォレスティ邸に馬車が到着し、急いで私は自分の部屋へと直行した。今はサーシャが、私になりすまして使っている部屋だ。ノックを省略して勝手に扉を開ける。


「サーシャ、一体なにご……と……」


 目に飛び込んできたのは、サーシャの姿だった。短くも艶やかな黒髪、私と同じ紫の瞳、そして服を着ていてもわかる、鍛え上げられた肉体。見慣れた弟そのものだが、私は口があんぐり開いてしまう。


「何で魔法解けてるの?! どうして?!」

「ごめん、サーラ」

「だ、誰とキスしたの? お父様? お母様?」

「違うよ」


 サーシャは気恥ずかしそうに、それでいてちょっと誇らしげに答える。裏切り者、という単語が喉から出そうになった。でもそれを言ったら負けな気がするのでこらえた。サーシャを愛してる誰かとキスをしたんだ。


「サーラ、落ち着いて。殴るなら僕を殴っていいから」


 後ろからジルが腕を引っ張った。見ると、私の拳がいつの間にか握りしめられている。


「別に殴るつもりはないけど……! でも、ひどい。私だけ取り残されたみたい。大体誰とキスしたの?」

「……ペネロペ」

「私の教え子と、私の姿でキスしたの?!」


 サーシャがとんでもないことを言うので、私はいよいよ掴みかかりたくなった。ジルが後ろから私を押さえつける。


「落ち着いて、ごめん全部悪いのは僕だから」

「ジルは悪くないでしょ?!サーシャ、どうして」


 すごく懐いてくれているかわいい教え子と弟がそんなことになった、なんて聞いて落ち着ける訳がない。でもサーシャは対照的に冷静だった。


「聞いて、サーラ。魔法が解けたということはペネロペは僕を愛してるんだよ。無理やりした訳じゃない。それに、サーラだって僕の姿でルカルディオ陛下となんかしてるよね?本当に僕を責められるの?」

「くっ……!!」


 流石にサーシャは痛いところを突いてくる。確かに私はサーシャを責められない。サーシャ本人が近衛騎士として務めるようになって、ルカルディオ陛下に抱きしめられでもしたらとても問題だ。そこを何とかしなきゃと思っていた。


 私たちは、鏡映しのようだとよく言われるがその通りだった。私がやってることはサーシャもするんだろう。お互いの姿を借りてると大胆になれるのかもしれない。


「だからって、キスまでする?ペネロペはもうお家に帰したの?」

「サーラが落ち着いたら、話に参加してもらおうと別室で待ってもらってるよ」

「じゃあ呼んで。もう騒がないから」



 すぐにペネロペが呼ばれ、見た目ではサーシャが二人並んでいる状況に彼女は少し目を見開く。


「サーラお姉様なのですね、ご無沙汰しております」


 まだ魔法が解けず、サーシャのままの私に向かってペネロペは、にこりと微笑んだ。いつも立ち居振舞い、言葉遣いは決して乱れない、真のご令嬢だ。柔らかなウェーブのかかった薄茶色の髪と、ぱっちりした青い瞳、お人形のように頭にボンネットをつけてフリルたっぷりのドレスを着ている。


 小さくてかわいい、まさにサーシャ好みの女の子だ。ペネロペは自然な動作でサーシャに寄り添う。サーシャは濃い灰色に銀糸の刺繍が入ったベストを着ているが、どう見てもお似合いの二人だった。


「ペネロペ、以前からサーシャが好きだったの?それともサーシャに迫られたの?」


 つい口調が厳しくなってしまうが、ペネロペは首を振った。


「どちらも違いますわ。ただその、フォレスティ邸に居るのはサーラお姉様ではなく、サーシャ様だとはすぐわかってしまいました。私がお姉様に会えた嬉しさで、はしたなくも抱きついてしまったので……」


 ぽっと頬を染めるペネロペは悪くない。ペネロペはそういう子だ。


「サーシャ、ダメって言ったじゃない」

「だって突き飛ばすなんてできないよ」


 私はため息をつくしかなかった。わかっていて、訪問をやめさせなかった私の責任もある。


「ごめんなさいお姉様、でも安心してください。私はこのことを決して口外しませんわ。だって……」

「ペネロペ」


 見つめあうサーシャとペネロペは甘ったるい雰囲気を醸し出した。


「そう、偶然にも抱きついてしまって、あっという間に恋に落ちたのね? それでルカルディオ陛下との縁談を止めようと名前の刺繍入りハンカチまで送って来たの?」

「うん、そうなんだ。あのハンカチ、僕の宝物だからあとで返してね」


 サーシャはあっさりと認め、ペネロペはキャッと照れる。胸焼けしそうなくらいだけど、羨ましくもある。


 私とサーシャが使った幻覚魔法は、触れれば感触で実体がわかる。なのに陛下は、私を抱きしめても何も言ってくれなかった。皇帝という責任ある立場だから、なんだろうか。それとも私の体型が――


 落ちてしまいそうな気分を切り替え、私はサーシャを見据えた。


「……サーシャ、きちんと責任取りなさいよ」

「わかってるよ。これからペネロペのご両親には挨拶に伺って、婚約の承諾をお願いするよ」


 とりあえずサーシャには責任を取ってもらいたい。私が大事に大事に教え育ててきたペネロペは、真のご令嬢で、モンカルヴォ侯爵の箱入り娘なのだから。


「サーシャを認めてくれるのかしら?」

「そりゃ、皇帝陛下と比べたら僕は見劣りするとわかってる。でも、僕はペネロペを愛してるし、ペネロペだってそうだ。必ず幸せにする。それに皇帝陛下はサーラが好きなんでしょ?」


 問題ないはず、とサーシャは言い張るが私は自信がなかった。ルカルディオ陛下は本当に私を好きなのかどうか。


「……教えて。ペネロペはサーシャでいいの? ついさっきまで本当の姿を見せていなかった男なのに」


 何となく聞きたくなって、私はペネロペに問う。ペネロペは愛らしい青い瞳を細めた。


「はい、サーシャ様と他愛ないおしゃべりをしながら一緒に刺繍をしているうちに、この方とずっと、歳をとっても、皺くちゃになっても、いつまでもこうしてお側に居たいと思うようになりました」

「そうなの……」


 お人形のような見た目にそぐわず、ペネロペの恋愛観は老成しすぎだが非の打ち所がなかった。末永く仲良くやっていけそうだ。


「それでキスをしたの?」

「ええと、それは何というか。見つめ合ってるうちに自然と、ですわ。魔法が解けるなんて思っていませんでした」


 ペネロペは赤く染まる両頬に手を当てる。


「でもサーシャはわかっててやったでしょ」

「ペネロペの気持ちが知りたくて、つい」


 私はサーシャを睨むが、サーシャはへらっと笑ってかわした。わかっていたけど、サーシャは強かなところがある。甘いもの、かわいいもの、刺繍などを好み、私よりよほど一般的な女の子みたいな感覚を持ってるのに、ときどき男だ。


「サーラはどうするの?」


 痛い質問をサーシャは突きつけてくる。どうするの、とは私が誰とキスして魔法を解くのかという意味だろう。屈辱感に耐えかね、私は背を向けた。


「私は自分で何とかする。サーシャには頼らない」


 お互いの状況が対等でない以上、姉弟でキスなんてバカみたいなことできない。何ならいっそ、この姿のまま暮らしてもいい。


「えっ? そんな意地張らなくても……」

「大丈夫だから。じゃあ、またね。ペネロペ、サーシャをよろしくね」


 私は早足で部屋を出た。ジルが慌ててついてくる。


「ごめん、僕のせいだ。僕がサーシャの治療を遅くしたから」

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