ジルの秘密
この一話はジル視点です。
サーラが出ていったあと、ジルはベッドに倒れこんだ。
「僕のことを尊敬してるだって? サーラって本当に救いようのないバカ……」
まだ遮音の魔法は残っているので誰に聞かれることもない。ジルは、嘘をついている自分に耐えられずひとりごととして消化するのが癖になっていた。
「うぐ……」
体に巻き付けていた毛布のまま、ジルはひとりで転がった。いっそ芋虫になりたかった。ジルがサーラの不安の原因を作ったというのに、親愛やら感謝やら尊敬の念を向けられてひどく苦しい。
ジルは、サーラとルカルディオの思いが通じ合わないように邪魔をしていた。
はじめはサーラを受け入れるつもりでいた。最愛のルカルディオを取られるのは嫌だけど、サーシャの外見を纏ったサーラという、存在しない人物を愛してしまう前に、と協力をしていた。
しかし事態が変わった。ルカルディオは、流石の観察眼でサーラの幻覚魔法及び正体を見抜いた。そのことを相談されたジルは突発的に、「正体を言い当てると、その瞬間に魔法が解けてしまう。だから知らないふりをしなきゃいけない」と嘘をついたのだった。
ルカルディオは政治と呪術が専門で、魔法についてだけはジルの方が詳しい。ルカルディオはあっさりとジルを信じた。
そうしてジルは、頼まれたサーシャの体調の回復もわざと遅らせている。サーシャを苦しませず、だが近衛騎士としては務まらない程度に調整して魔法薬を飲ませていた。
だからルカルディオもサーラも、未だにお互いに気持ちを伝えられずぎくしゃくしている。
ジルは瞳を使って、隣の部屋に眠っているだろうルカルディオを探った。大きな橙色の炎と、眩しい白い炎が薄く揺らぎ、眠っていると確認できた。
他人の心に宿る愛情を炎のようなものとして実際に見る、それがジルの瞳の能力だった。母である、輝石の魔女譲りのものだ。
壁一枚くらいなら見透せるし、炎の色でそれがどんな種類の愛情なのか、誰に向かっているのか判別できる。今はルカルディオから暖かな炎が自分に向き、もうひとつの炎はサーラに向かっていた。
ジルの瞳の能力には名前が付いていないが、素晴らしいものだと思っていた。愛されている証拠がありありと見えるし、他人の人間関係も容易に探れる。うまく使えば危険な人物を遠ざけられる。そうしてジルは、つい最近までルカルディオからの愛情を独占してきたのだ。
だからどうしてもサーラに嫉妬してしまう。二人が自分抜きで愛を囁きあう光景を想像して、ジルは身悶える。絶対に受け入れられない。
ジルは目蓋をきつく閉じた。
◆
翌日の昼間、ジルはそっと王宮を抜け出して久しぶりに母、エメラルダスの元を訪ねた。輝石の魔女と呼ばれ、深い森の奥に住んでいるが、ジルにとってはルカルディオ以外に唯一頼れる存在だ。
「楽しくやってるようね?」
塔の外階段を登ると扉はひとりでに開き、エメラルダスが出迎えた。いつ見ても変わらない。彼女はどんな魔法を使っているのか、ジルが物心ついた頃から歳をとっていない。ジルが瞳を使うと、大きすぎる愛情の炎がジルの眼前を埋め尽くした。母の愛は重いくらいのもので、十代の頃は避けていた。
「うん、楽しくやってるよ……母さんの送り込んできた人のおかげでね」
「面白い子でしょ?気に入ってくれて良かったわ」
サーラのことを言っているが、ジルはここで名前は何となく言いたくなかった。
「ねえ、どうしてあの人を僕らのところに寄越したの? 弟の呪いを解くにしたって、母さんなら本当はできたんじゃないの?」
「私を買い被りすぎよ。あれは、サーラ自身でどうにかするしかなかった」
エメラルダスの緑の瞳は、少し遠くを見る目付きになっていた。見られている、とジルは緊張に身を固くする。母からどのように見えるのか知りたくて来たのだが、いくらかは恥ずかしかった。自分の愛の炎は自分で見られない。
「ふうん……あらまあ」
「な、何? どうなってるの?」
「ジルあなた、サーラが好きなのね?」
ジルは顔を赤くした。
「それはサーラが無遠慮に僕を好きになるから、そんなの見せられてたらちょっとは好きになるよ。でもそういうのじゃないよね? 色が違うよね? 僕が愛してるのは母さんとルカだけだ」
他人と深い関わりを避けてきたジルには、今の自分の気持ちがわからなかった。
そもそもサーラと親しくなろうと思ったこともない。だが、サーラは風変わりな存在だった。ジルがどれだけ雑な物言いをしても、嫌みを言っても、だらしない格好をしても、何故かどんどん好感度を上げていく。恋愛的な色ではないとわかっていても、見ていると胸が一杯になる。なぜなら、素のままのジルに向けられた好意だからだ。
「ええ。ジルがサーラに持ってるのは、親愛の情。だけど他人をこんなに好きになるなんて初めてよね、だから戸惑ってるのかしら。いいお友達になれてるようなのに」
「友達……」
エメラルダスの判別を受けて、ジルの心はやっと少し楽になった。
「最高の友は、恋人よりも得難いものよ。良かったわね」
「友達と兄がくっつくのを応援できないのって普通?」
「友達も大好きなお兄ちゃんも、独占したくなるものよね。少し炎が濁ってる」
エメラルダスは艶のある唇で笑うが、ジルは必死だった。
「そうなのかな? だから僕、サーラとルカの邪魔をしてるのかな? もう自分がわからなくて……」
「よくあることよ。私も昔、魔法の知識を悪用してそんなことをしたことがあるわ。ジルは私に似てしまったのね」
エメラルダスは人差し指でジルの胸をつつく。ジルがやっている悪事を知っている態度だった。
「うぐ……だって」
「悲しいけれど、いつまでも続く関係はないの。ジルなんか9歳で私を捨てたじゃない。ジルはあっさりルカくんに惹かれちゃって、これからは王宮に住むんだって。私はすごーく寂しくて苦しかったわよ」
「……」
それを言われると何も言えなくなるジルだった。エメラルダスからの愛情は大きすぎるくらいなのに、笑顔で送り出してくれた。
「なんてね。私の厄介な体質を受け継がせてごめんなさいね」
エメラルダスはそっとジルを引き寄せて頭を撫でる。エメラルダスからするといつまでも小さなジルだが、実際にはかなり身長が伸びていて、踵の高い靴を履いていても差があった。
「厄介な体質って、愛が見えること? それとも愛しちゃいけない人を愛してしまうこと?」
「さあ、どっちかしら」
曖昧なままにしておきたいと、エメラルダスは首を振る。
「僕は幸せだよ。母さんの愛はずっと見えるし、サーラもルカも僕を好きでいてくれるってすごくわかってるんだ」
「欲望ってきりがないのよね」
「でも、母さんは僕の好きなようにさせてくれた」
ようやくジルは、もう終わりにしようと決断をする。本来あるべき以上に引き伸ばしている現在の状況は、どこかに亀裂を生んでいるかもしれない。
「困ったことがあったらいつでも私を呼んでいいのよ。まあ、普段からある程度は見ているけれど」
「ありがとう」
底が知れないところがあるエメラルダスの魔法の片鱗を感じて、ジルは笑った。どんな魔法で見ているのか、まだジルには教えられていなかった。




