09
「こんにちは」
そう言って微笑みを湛える男は、昨日の公園で勉強を教えてもらった人だった。ちなみに今日は日曜日である。
「………こんにちは」
そんな私とお兄さんの様子を見た姉が、キョロっと視線を動かしてから上品に笑った。
あ、と思った時には雰囲気が一転していた。
「紹介するわね。こちら我等が生徒会長の、」
「平岡紀一っていいます。蓮華ちゃんとは、学校の生徒会で一緒なんだよ。良かったら、仲良くしてね」
「はぁ…。妹の萌です」
「女の子で、その名前はちょっと珍しいかもね。“はじめ”ってどうやって書くの?」
「草冠に明るいと書いて、“はじめ”です」
自分の名前の良い所は簡単かつ、要所を纏めて簡潔に説明出来る所にあるのだが、親しい友人の一人は、私の事を「もえもえ」と呼ぶ。非常に不愉快なので止めてほしいと、何度も言ったのだが未だ改善はされていない。
「萌は、ちょっと人見知りが激しいだけなんですよ。会長。普段はとっても面白い子なんです」
面白い子ってなんだ。“この”姉は、私は大嫌いである。早く離れたい。または、平岡さんがどこかへ行ってはくれないだろうか。
「ところで、会長はどうしてここへ?」
「僕?やぁクンが今日、デパートで店を出すって言うから見に来たんだけど、想像以上の出来栄えとお客さんに引いて、とりあえず上の階上がろうかな。って思ったら蓮華ちゃんを見かけたんだよ」
にこやかに笑うお兄さんは、良い人オーラが不思議と全く出ていない。きっと腹の中は「飽きた」の三文字で終わっている事だろう。
「へぇ!そうなんですか。やぁ君のお店だったら、パンダ塗れなんでしょうね」
「うん。見事なまでにパンダ。蓮華ちゃんと萌ちゃんも行ってみたらどうかな。それとも、僕と一緒に行動する?」
「はい。後で行ってみますね。萌、服は決まった?」
こちらを見た姉の目は、大変穏やかではなかった。顔は笑っているのに、目は死んでいた。まるで、いつか見たホラー映画の幽霊役の役者のようだ。
「う、うん。ワンピース、にした、よ」
「そっか。じゃあ、会計して行こうか」
「僕も行くよ」
ナンデダヨ。
そう姉の背中は物語っていた。きっとそれがわかるのは姉妹である私だけであろう。
姉には友人というものが居ない。何故ならば、姉は人気者であるからだ。人気者であるから、姉に近付いて仲良くなり、姉を理解していると錯覚を起こしている人間は幾人も居るだろう。そして多分、姉はその事についてなんの疑問も抱かない。それが姉の仲で普通と化しているからというのもあるが、私と姉は、友人に近しいものがあるから姉が“友人”というものを特別、必要だと思ってないのが原因の一つだ。と勝手に解釈して、“心から仲の良い人間”である私は、胸を張ってエッヘンとドヤ顔したい。
会計を済まして、下の階へ降りると、先ほど見たパンダの店に入る。私の機嫌はただいまマックスに良い。
「流石、やぁ君ね」
「ね?やぁクンのお店凄いでしょ」
はい。最高です。特にこのクッションサイズの丸っこいパンダのぬいぐるみが最高に可愛くて、最高の肌触りで、最高の柔らかさで、私のツボを強く強く刺激します。すっごく欲しい。が、値段が…。なんで5ケタに行きそうな数字を叩き出してるんだ。このぬいぐるみ欲しい、けど……。あ、そうだ。
「服、返してくる」
「「ダメ」」
平岡さんと姉が同じタイミングで反対された。買った服の中には、平岡さんが「これ、萌ちゃんに似合いそう」と言って、何着か勝手に買って押し付けられた物がある。それの服のセンスをいたくお気に召した姉が「流石、会長!わかってますね!」と言っていた。
「萌ちゃんが気に入ったんなら、それも買ってあげるよ」
「か、会長!それは、ダメです。あれだけ萌に服を買ってくださったのに、ぬいぐるみまでなんて…!」
「服を返」
「「ダメ」」
言い切ってない内にまた反対された。さてどうしたもんか。と思っていれば、後ろから声が掛かった。
「あれー?会長と蓮華ちゃん」
「やぁ君」
「それ、暑くないの?」
「愛があれば全然!」
振り返ると、パンダマンの着ぐるみが手を振っていた。私の興奮は頂点に達した。パンダマンは、私も好きである。コンビニでやってるパンダマンの一番くじは必ずやっている程の熱である。
「「ダメ」」
何も言ってないどころか、何も思ってもいません。
「あれ、このぬいぐるみ買うの?可愛いよね」
コクコクと頭を上下に振る。さり気なくパンダマンの体をサスサスと撫でていると、平岡さんに頭を掴まれ、左右に激しく揺さぶられて、大変気分が悪くなった。
おえっぷ。
「会長の彼女?」
「やぁクンは随分と面白い事言うね」
平岡さんの目が全くと言っていい程笑っていない。まるでゴミ虫を見ているかのようだ。依然、私の頭は掴まれたままだ。
「その子、どうしたんですか」
「私の妹の萌よ」
「いもうと?」
なんとなく、なんとなくだが、パンダマンの周りが輝きだしたような気がした。漫画でいうなら、キラキラトーンをふんだんにあしらった一コマが出来ている事だろう。
「俺も妹欲しい!帰ったら、マミーに強請ろうかな」
「やぁクン。可哀想だから辞めてあげようね」
パンダマンの中身の人の事情を知っているような口ぶりで言う平岡さんは、視線をパンダマンから逸らす。一体どういった事情があるのだろうか。少しツッコミたい気持ちとあんまり関わるとなぁ、という薄情な気持ちがある。
「妹なら、ほら。萌ちゃんで我慢しなさい」
口振りがまるで、母親のようだ。
平岡さんの後ろで、なんか納得いってない顔をする姉はきっと「萌は私だけの妹なのに!」と思っているだろう。後で愚痴を聞いてあげようと思う。
「萌ちゃん、きっとやぁクンより年下だよ。中学生ぐらいかな」
姉が腹を抱えて笑いだしそうになるのを耐えている。その証拠に唇が震えている。漫画で描かれるなら、その口は波打っているであろう。
「高校二年生です」
沈黙が下りた。
尚も、姉は唇を歪ませて、笑うのを耐えていた。
「高校二年生です」
もう一度同じ事を言うと、平岡さんとパンダマンはサッと私から視線を逸らした。




