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他のビルとそんなに変わらない高層ビルの一つの高層階に、一人の年配の男と、若い男と、それから僕が居た。

僕の名前は滝瀬斗鬼(タツセ トキ)。割と派手な分類に入るが、あの個性の濃過ぎる生徒会に居ると、自分という個性が霞んでいくのもしょうがないと思う事にしている。

目の前に居る、年配の男は、歳をそれなりに食っているはずなのにも関わらずその無駄な美貌が健在で、偉そうに黒革のソファに座っている。この男は、僕の父であり、大手芸能事務所の社長でもある。

「考え直しなさい。斗鬼。ダンサーになりたいなんて、そんな夢は捨てるんだ」

「考え直しません。僕は、ダンサーになりたい」

「あの女と同じ夢は追わせんっ」

僕の母は、今現在も世界を飛び回るトップダンサーだ。別の、他の男の手を取って父の元からも、僕の元からも去った。父は、母の事を最低な女呼ばわりしていたが、僕にとって母は、彼女は憧れのダンサーだった。

「最悪、会社の後を継がなくてもいいと思っていた。が、ダンサーは辞めるんだ。ダンサー以外なら協力は惜しまない」

「僕は、」

「頼む」

プライドが高く、誰かに頭を下げるのは仕事以外でした事のない父が僕に頭を下げた。

心が揺れた。

小さな頃からダンスが好きだった。母はとても厳しかったけど、僕を「良いダンサーになれるわ」と褒めてくれた。だから、本気でダンスにのめり込んだ。有名なダンスの大会でも、何度も優勝した。なのに、父は依然、僕を認めてはくれない。





図書館に足を運ぶと、いつも座っている席は、空席だった。

適当に選んだ本を開いて、潤む眼を無視して読書しているフリを続ける。

今の夢を諦めたら、何をすべきなのだろうか。いっそ、あの人達に着いて行くのもありだ。父はダンサー以外なら何をしても許してくれるそうだから。

だけど、

「…諦めるって、どうすればいいのさ…」

誰かが、諦めるのは簡単だなんて言っていたような気がするけど、簡単じゃ、ないじゃん。凄く難しいじゃん。そんな、簡単に諦められるぐらいならもっと前に諦めてた。隠れてコソコソ、努力する訳ない。語学だって、本当は苦手なのに頑張って勉強した。筋トレだって頑張ったのにっ!

「とっきー?」

零れた涙を拭って、顔を上げるとそこにはいつもの席に座った萌が居た。

「どうしたの?泣いてるの?」

「なんでもない。放っておいてよ」

今、一番会いたくない人が目の前に座っていて、凄く逃げたくなった。彼女が言いたい事なんて決まっている。

「どんまい。次があるさ」

だと思ったよっ…!!!





「僕、ダンサーになりたかったんだよね」

「なれないの?」

「……努力が実を結ばない事なんて沢山ある。僕はその中の一人にすぎないから」

図書館を出て、人気の少ない喫茶店に入ると、萌を相手に話し始めた。その時点で僕は相談相手を間違えていると思っている。

「どうして?」

「…父さんが、ダンサーをやっている母さんの事が嫌いだからだよ」

小さな頃に、僕に向って母が言った事は今でも覚えている。幼心を深く傷付け、立ち直れなくさせるには十分な一言だった。母は、「母さんって誰の事?」と言って、僕をきつく睨み付け、僕の頬を平手で叩いた。自分の事を名前で呼ばせ、母は僕に厳しくダンスの指導をした。少し上達すれば母は褒めてくれ、初めて母に認められ舞い上がった幼い僕をやる気にさせた。

だけど、母は父と僕をあっさりと捨てて他の男と一緒に海外に行ってしまった。元々愛のない夫婦だったけど、父は母に対して、今でも嫌悪感を抱き続けている。だから、僕がダンサーになる事は元から反対していた。母を思い出すから。

「…斗鬼は、諦めたいの?」

「諦めたいわけなんてないよ。出来る事なら、ダンサーになって母さんに会って話をしたい。親子じゃなくてダンサーとしてなら分かり合える気がするから」

「斗鬼のそれは、なんだかダンス以外でお母さんと話せる事が出来ないって言ってるように聞こえる。斗鬼にとって、ダンスだけがお母さんとの繋がりなの?」

そんな訳がない。と言い切る自信がなくて黙って、膝に置いた手をギュッと握った。

「……母さんにとって、僕は数多居る子供とそう変わりない存在なんだよ。僕と他の子との違いはなくて、ただ母親の居ない可哀想な子、としか認識していない」

「?」

「母さんは、僕の事を産んだ覚えがないんだと言ってた」

僕を産んだ時、母は精神的におかしくなっていたらしい。だから、僕を産んだ記憶がすっぽり抜け落ちて、母は、僕を父の不倫相手の子だと思っている。

「いつからか、僕は母さんの子である事を諦めた。だけど、父さんの事が好きなんだ。母さんが出て行ってから、父さんは憑き物が落ちたように僕との父子関係を大切にしてくれた。遊んでくれたし、旅行にも沢山連れて行ってくれた」

今思えば、父さんにとって母さんはただただ、重荷でしかなかったのだと思う。父さんはいつも僕の事を考えてくれていた。参加日も、遠足も、仕事が忙しいのに必ず来てくれた。それが嬉しかったから、余計に父さんの事を裏切れなかった。だから、ダンスを諦めきれない癖に、諦めようと躍起になっている。

「僕は、父さんを裏切りたくない」

また泣きそうな僕に萌は、ペシッと頭を叩いたかと思えば、そのまま頭を撫でてきた。

「………斗鬼は優柔不断だね。選んだって頭ではそう思ってるのに、心がその事を拒んでいるんだね。ダンスも好きで、お父さんの事も好きで、斗鬼は大変だけど、きっと斗鬼の事が大好きなお父さんなら、今は無理でも、時間をいっぱい掛けて斗鬼の夢を応援してくれるって思うな」

鼻の奥がツーンとして、目が潤み始め、熱くなる。

萌は、僕に夢を諦めるなと、遠回しに言ってくれているような気がした。このボケがそんな気の利いた事言えないのはわかっているつもりだし、深い意味がないのはわかりきっているけど、萌が言ってくれたその言葉が今はとても、嬉しかった。

「……っそうだと、いいな…」

無理矢理上げた口角は、思いの外上がらなかった。


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