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「ねぇ、きいちゃん」

「ん?」

昨日の日曜日、あれから、はじめちゃんという、蓮華ちゃんの妹は蓮華ちゃんを連れて帰って行ってしまった。ほっぺたパンパンにして怒っていますと顔に出している妹ちゃんは面白い子だった。

「蓮華ちゃんって、あんなに表情豊かなんだね」

「………そうだね」

今日は、たっちゃんもアキも蓮華ちゃんも居ないので、きいちゃんと二人っきりなう。まぁ、きいちゃんが全く手を付けない書類を俺が処理して、きいちゃんはハードカバーで分厚い本を読んでいる。ちなみに俺のお勧めの推理物ホラーである。

「怒った顔なんて、見た事なかったな」

「…………いつも笑顔しか見せないからね。だから、実は凄く淡泊な人なんだと思ってた。たっちゃんなんか、『あの人は色んな人に媚売ってる』って言ってたよ。事実は違うのにねぇ」

「うん。蓮華ちゃんの笑顔は、言わば鉄壁の守りだからね。絶対に内側には入らせないっていう確固たる信念さえ感じる。所詮、蓮華ちゃんも僕等と一緒って事だよ」

誰もが持つ闇。

それは、俺達にとって色濃く残っている傷跡。きいちゃんも家で何かあったようで、決して家の事を話したがらない。話す気がないとでもいうのだろうか。まぁ、どちらにせよ、聞く気はない。それはデリカシーのない人間がやる事だ。

「やぁクン。一つ聞きたい事があったんだ。答えてくれる?」

「質問内容によりまーす」

パソコンをカタカタ打ちながら、きいちゃんの仕事を消化していく。「自分の仕事もあるんですけどー」ときいちゃんに言えば、「やぁクンは出来る子だから出来るよね」と言われた。ニッコリ笑う会長と、苦笑を漏らすしかない俺は、結構仲良しだと思う。

「萌ちゃんの言ってた、飼育員さんってやぁクン?」

「そうだよ」

佐賀動物園は、最近出来たばかりの動物園なのだが、そこが今凄く人気を集めているらしい。雑誌にも載る様になったし、今度はテレビ取材も来るし、経営者としては嬉しい限りである。

「でも驚いたなぁ。まさかまた会うとは思ってなかったよ」

「嘘つき」

「……本当だよ。きいちゃん。その子ね、俺に言ったんだ。『もう会う事ないと思うんで』って。それってつまり、俺の動物園にはもう来ないし、街で見掛けても無視するって事でしょう」

仕事が終わって、メモリスティックにデータを移す作業も終わらせると、タイミングを図ったかのようにきいちゃんから追加の書類を机に置かれる。

「えー!!会長仕事溜め過ぎ!」

「会長は、本を読むのに忙しいのです」

「屁理屈!」

書類を一枚手に取ると、期限間近の書類がほとんどだった。思わず溜め息を吐きたくなる。

「もしかしてショックだった?萌ちゃんにそう言われたの」

ピタリと止まった自分の手に、戸惑いを覚えた。ショック…だったの、かな。

「………」

さっきまで何を考えて打っていたのか忘れてしまって、すっかりペースを崩されてしまった。手を額にやろうとして、黒いマニキュアで塗られた自分の爪が目に入った。

「やぁクンの悪い所はね、周囲に対しては物凄く敏感なのに、自分の事になると途端に鈍感になる所だよ」

パタンと本を閉じたきいちゃんは、机に置かれていた紅茶を一口飲むとそれを植木鉢に捨ててしまった。

「君は優しいから、なんでもかんでも抱え込まないでね。出来る協力はするけど出来ない協力はしないよ」

そう言って、きいちゃんは生徒会室を出て行ってしまった。何気なく俺の机の上に置かれた白いひよこのマグカップの底には、紅茶の温度では溶けきれなかった砂糖が残っている。

まるでそれは、周囲の人間に合わせたはずなのに溶け込む事が出来なかった俺みたいだった。


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