僕が星を落とした日
晩餐会に参加している機械人形達が、楽しそうに喋っているように見えた。
まるで博覧会の見世物のようだが、そこにいるのは血の通った人間だ。用意されてある食事だって、俺達は美味しいぞと主張するように彩られている。
機械人形の駆動音ではない、人の喋る音で食堂内の空気はざわざわと震えていた。
大声で喋らなければ隣の者の声も聞こえないその喧騒に追いやられ、食堂の端でソウスケはハンバーグ定食をつまんでいた。騒ぎ立てる仲間達を見て、突如何かしらの違和感が飛来した。
それは、日常の風景に突如混ざりこんだ異形が如く。けれどもそれに気付けずに、しかしどこか違和感を感じ取って寒気に背筋を震わせるような。そんな気味の悪さだった。
ぞくりと体を震わせて、フォークを置く。
ソウスケが残り半分ほどのハンバーグを一瞥して顔を上げると、ヤマトが目前の空のプレートを見つめていた。
食堂内の空気は、停滞しているせいで重く、気持ち悪い。あらゆる匂いも同時に除去するという触れ込みの換気扇も、子供がぎゅうぎゅうに押し込まれた食堂のむせるような空気には、歯が立たないらしい。見えないアメーバに、天井から見下ろされているようだ。
それが不安を煽り、ソウスケが開いた口を閉じた時だった。
「脱出しよう」
「――――ッ!!」
その言葉は、水に墨汁を垂らしたように、瞬く間に食堂内に伝播していった。いや、ヤマトはわざとそう言ったに違いない。少なくとも、その言葉に遠慮は感じられなかった。
食堂が一瞬静まり、数えきれない眼がソウスケ達を射ぬく。ソウスケの視界の端では、警備兵が銃の安全装置を外しているのが見えた。思わず伸ばした手はヤマトの手を掴んでおり、ひっくり返った料理が、撒き散らされたペンキのように広がっている。
次の判断を間違えれば、ソウスケ達は捕まって、独房行きだ。噂によると、チェーンソーの腕を持った四つ目の大男が、嗜虐的な笑みを浮かべて放り込まれた子供達を解体するらしい。ソウスケは、そんな目にあうのはまっぴらごめんだった。
「あはは……手が滑っちゃった」
なんて、言い訳を言う。それだけで食堂は普段の活気を取り戻し、ソウスケ達を監視する警備兵までもが何事もなかったように沈黙を決め込んだ。警備兵達は、滅多なことがない限り干渉しようとしない。さっきの脱出しよう、はその滅多なことだった訳だが、出来る限り面倒事に巻き込まれたくない。彼らは聞き間違えたのだ。取り戻した喧騒の中で騒ぐ子供達も、無理にはしゃぎたてているように見えた。
顔を上げると、ヤマトが鋭くソウスケを睨み付けていた。ひっくり返されたハンバーグの油の匂いが、鼻につく。ソウスケは非難がましく視線を返すと、ヤマトはふっと視線を下ろした。そしてそのまま、常備されている布巾を二つとって、ソウスケに一つを投げた。
布巾で机の汚れを拭き取りながら、ソウスケはヤマトにぐっと顔を近づけた。ヤマトの丸みがかった茶髪は、相変わらず両目を隠そうとしている。
「お前、ここから逃げ出すってどういうつもりだ?」
それをするという行為がいかほどか。そんなもの、今さら諭されなくても分かりきっているはずだ。ソウスケは出来るだけ言葉を抑えて、聞かれることがないように隣をうかがう。いつの間にか、隣にいた眼鏡の少年が一席分離れていたことに気付いて、ソウスケは違うんだ、と弁解したくなる。僕はヤマトとは同じ部屋なだけだ。けれども、そんな言葉は通じない。問題児とよくつるんでいるというだけで、同じ評価からのスタートになるのは、避けられない運命のようなものだ。
ソウスケは自分の運命を呪う代わりに、ヤマトをなおも睨み付けた。
けれどもヤマトは意に介した様子を見せずに、黙々と汚れを拭き取っていた。今さっきの言葉が一体どれほど危険なのか、それを分かっていないはずはないのに。
そもそも逃げ出すという考えを持つこと自体がいけない。言葉になんてしてしまったら、一体どんな罰が待っているか。それを散々教え込まれてきたはずなのに、ヤマトにその教育は届かなかったらしい。
横目で見えた警備員の銃に背筋が震え、ソウスケはため息をつきたくなった。
ヤマトが布巾から顔をあげ、非難するように目を細める。
ヤマトとは長い付き合いだ。今までだってずっと、ヤマトの無茶ぶりに付き合ってきた。消灯時間後の外出、講義のサボり、果てには女子寮への侵入まで。ソウスケがそれは……と渋りそうなことを頼み込む時、決まってヤマトはそんな目をする。
ソウスケは自分の意思をしっかりと心の中核に縫い付けた。ヤマトの誘いに心動かされないためだ。このいつになく真剣な表情、そして先の脱出しようという言葉。間違いなく、面倒事だ。ソウスケはきっぱりと断ってやろう、と唾を飲み込んだ。
「逃げよう」
今回は、きちんとソウスケにしか伝わらないよう、声は抑えられていた。けれどもその分、ソウスケは食堂内の人間全員分の衝撃を一人で受けてしまった。
呼吸を忘れ、時間を忘れ。鼻につく匂いは酸っぱく、聞こえる音はぐちゃぐちゃに混ざりあい、潰れている。肌を撫でるのは二酸化炭素が普段よりも多く含まれた不快な空気だ。そういったそれらの情報は、この瞬間、敏感にソウスケに伝えられていた。鋭敏に研ぎ澄まされたかのような感覚に、ヤマトの顔だけがソウスケの目に映る。だからこそ、いつも以上に、ヤマトが何を考えているのかがよくわかる。
この地下施設を、お前も違和感に感じているんだろう? まるで俺達は人の皮を被ったことに気付いていない化け物のようだ。
ああやってはしゃいでいる連中は、そうプログラムされたから騒いでいるようで、ひどく気持ち悪い。
なぁ、ソウスケ。俺と一緒に地上を目指さないか? この心のモヤモヤを、晴らしに行こう。
その言葉が至って真剣なものだということは、ヤマトの目を見れば分かる。頭がとうとう狂ってしまったか、と考えるには、十分だった。
ソウスケは拾い上げたハンバーグにフォークを挿し込み、途中でそれを止めてゆっくりと食堂内を見渡した。次に横目で警備兵を盗み見る。だが、ヘルメットに隠されたその表情は伺いしれない。テーブルの上の水を飲み干し、ふぅ、と息を吐いた。そして再び、ヤマトの顔を見る。
どうやらそれが本気だということを理解すると、熱が出た時と同じようなめまいが起きた。体のエラーが起きたのだ。
演算処理がソウスケの許容範囲を越えている。膨大な量の取捨選択を行い、処理しきれずに、体が熱を発したのだ。
講義であらゆる知識は得たけれど、こういった場面での正しい対処方法などは習わなかった。親友に固く禁じられたルールを共に破ろう、と誘われた時になんと答えればいいのか。
警備兵へと密告するのも、共に逃げるのも。そのどちらを選んでも後悔しそうだというのはわかった。
逡巡し、ソウスケの頭に浮かんだのは、規律は守るからこそ規律なのだという言葉。
そこでソウスケははっと我に返り、この地下施設外への外出を禁じるというルールを思いだした。
そうだ、一体こいつは、何を言ってるんだ?
違反だ。警備兵へと報告を――、
「ソウスケ。俺には、準備が出来ている。知りたいだろう、自分が何なのか」
あるいは、悪魔の問いだった。
一番の誤算は、ヤマトが純真かつ決意した瞳をしていたこと。物心ついた時からこの施設で育てられたソウスケにとって、その瞳はあまりに深く心に突き刺さった。
子供達を監視する警備兵は皆ヘルメットにその顔を隠され、誰一人としてその素顔が明かされたことはない。
子供達に講義を教えるロボット達だって、入力されたプログラムに従っているだけで、そこに感情だなんてものが入り込む余地はないのだ。
施設の子供達は物心付いた頃からの道徳・倫理教育によって、向ける感情は皆一様だ。そこに慈しみ優しさ同情はあれど、怒り妬み失望はない。
つまり、ソウスケは感情というものを初めて向けられたのだ。
それは銃弾となって心に一筋ほどの隙間を空けた。
自分が何なのか。
先ほど感じた違和感を思い出す。それはきっと、その場にいた子供達が誰一人として自分という自我を知らないから、その不自然さ、不適合さにパッチワークのような継ぎ接ぎを感じただけ。
赤ん坊の頃に親と離され、この地下施設に集められたソウスケ達の会話相手は同じ子供達だけだ。悩みはロボット達が口当たりのいい言葉でうやむやにしてくれる。警備兵は一言をも発さない。
ソウスケはぎゅっと拳を握りしめた。
ヤマト共にこの地下施設から逃げだすことで、自分というものを知ることが出来るのならば。
食堂内の空気は急速に循環して、新しい空気が滑り込む。換気扇が回る音が、遠い残響となって耳に残る。形のない違和感は、微かながら容貌が見えてきた。熱気とは別の熱さが、じわじわと体中に広がっていく。
「――――」
言葉は、ない。けれどもヤマトは笑った。講義さぼろうぜ、と意地悪に笑顔を浮かべていた時と、同じ顔だった。
「それじゃあ脱出の第一段階、開始だ」
誰だったか、地上には銃を持たない大人がいるんだと言っていたことを、思い出した。




