戦士の国の狂女王と下賤な魔法使い
玉座の前の赤じゅうたんに、どさりと投げ出される。
「ぐっ……!」
両手は後ろ手に固められ、足首も氷漬けにされて動けない。
芋虫のようだった。
俺の横に、誰かがひざまずく。
昨日助けた少女だった。肌が白く、髪が白く、瞳は赤い。
年は俺と同じくらいだろう。肩まで伸びた髪とくりくりした眼が可愛らしいが、俺を拘束して転がした張本人だ。
一体、昨日からすべてがおかしい。
玉座のある謁見の間。
白髪紅瞳の少女。
そして手足を固める不思議な氷。
日本で高校生をしていた俺の生活には、一切存在しなかったものだった。
「おいっ、ここはどこだ! 俺をどうするつもりだ!」
顔をねじり、少女に向かって叫ぶ。
「~~~~~~~~~~」
灰色のシンプルなワンピースを着た少女は、聞いたこともない音を口から発した。
外国?
昨日まで確かに俺は日本にいた。
戸惑う俺を見て、少女がそっと肩に手を置く。
『もうすぐ女王がおなりになられます。静かにしていて』
頭の中に、いきなり意味が出現した。まるで俺がそう考えたかのようだった。
「うおっ……!」
『私もあなたの言葉が判りません。伝えたいことを考えてください。ふれていれば判ります』
少女が紅い瞳をこちらに向け、軽くうなずく。
にわかには信じがたいが、この唐突に生まれた思考は少女の意志らしい。
そんなことができる人間がいるのか。しかし、現実にそうなっている。
『あんた、誰なんだ』
そう頭の中で思い浮かべてみた。
『私は、サヤ。サヤ・ベラといいます』
通じた。心の中に別人がいるようで、混乱する。
しかし、聞きたいことが山のようにある。
『ここはどこだ? この氷はなんだ? 俺はどうなる?』
疑問を、浮かぶままに思考へ垂れ流す。
そのとき、バグパイプのような音が響き渡った。
『女王様のおなりです』
サヤは肩にふれたまま、玉座に正対して顔を伏せた。
しゅるり、しゅるりと衣ずれの音がする。
眼だけ向けると、モンシロチョウのようなひらひらが何千とついた、白いロングスカートを床に引きずって、誰かが歩いてきた。
そして、脚を高く蹴り上げて玉座に座る。
太ももまで見えて、こんな状況だというのにどきどきした。
「~~~~~~」
前に座ったモノが、サヤと同じ奇妙な音を発する。
『面を上げよ』
また頭の中にサヤが現れる。どうやら、通訳をしてくれるらしい。
上体そらしの要領で、顔をあげた。
玉座に座っているのは、黒髪の女だった。
俺の知っている感じで言えば、ラテン系の顔だ。
年上に見えるが、三十はいっていないと思う。
真っ赤な口紅をつけた唇が、大きく持ち上がっている。
美しいといえる顔立ちだったが、笑みが普通ではない。
『女王フワナである』
サヤが、再び頭を下げた。女王は、細かく震える黒目で俺をじっと見つめてくる。
『天より出でし戦士とはそなたのことか。我がサルダーの民のようにも見えるが……名を申せ』
天より出でしというのは、俺がこの『世界』に来たときのことか。
『た、竹宮永人……』
自分の名前を思い浮かべる。
『エイト、とな。我が国では聞かぬ名であるな。言葉も知らぬと見える。それで、下賤なコルドゥの力を借りておるのか』
女王がサヤをちらりと見る。下賤、と聞いたときに、サヤの表情がなくなった。
『コ、コルドゥってなんだよ』
女王の顔が険しくなり、ひゅっと股間が縮み上がる。
『女王に対する口のきき方ではないな。ものの分別もつかぬ野蛮人か。まあよい、妾は寛容であるからな。下賤なコルドゥよ、汝のことを教えてやれ』
サヤの身体がびくりと震える。
『はい……コルドゥとは、私たち魔法使いの民のことでございます』
『その回答は不正確だ。もう一度言え』
女王の言葉に、サヤは唇を噛む。
『コルドゥとは、私たち下賤な魔法使いの民のことでございます。わが父祖は、偉大なる戦士の国サルダーに歯向かい、国を滅ぼされた愚か者にございます』
涙目で答えたサヤに、女王は満足そうにうなずいた。
コルドゥもサルダーも、世界史の授業で聞いたことがない。
だが、女王のあまりに傲慢な言動に、怒りがこみ上げた。
『あんたの態度、気にいらねえ』
俺の思考に、サヤがはっと顔を向けた。
女王の口端が、ますます高く持ち上がっている。
『ふむ。おぬしは、妾が誰か判っておらぬようだな。妾はおぬしの生き死にを決められる者であるのだぞ』
冗談か本気なのか判らない。少なくとも、昨日までの世界で、面と向かってこんなことを言う奴はいなかった。
『それが……どうしたよっ』
背中で震える冷たさを我慢して、強がりを口にする。
『安心するがよい。おぬしを殺す気はない。その力、妾のために使うがよい』
安堵が一瞬駆け抜け、女王の口がぱかりと開く。
『エイトとやらに命ずる。今よりそのコルドゥの娘とともに、邪なる魔王を討ち果たしてまいれ』
は? と声をあげると同時に、紺色のドレスを着て灰色の髪をひっつめにした初老の女が、どたどたと駆けこんできた。
『女王陛下! いえ、フワナ! あなたは何を考えているのですか。こんな正体も知れぬ男と、穢わしい魔法使いを宮廷に上げるだけでも失神しそうになったというのに、魔王討伐を命じるなど、あなたは本当に狂ったのですか!』
『皇太后陛下、今の女王は妾です。下がりなさい、耄碌マ〇コ』
女王の母らしき初老の女は、ヒッと息を詰まらせ、背中から棒のように倒れてしまった。
通訳をしているサヤの顔が、首筋まで赤くなっている。
ふう、とフワナ女王はため息をついた。
『魔王討伐の正規軍は、エイトよ、そなたが全員叩きのめしてしまったものなあ』
「くっ……」
あれは魔王討伐軍だったのか。
女王は、眼は蔑んでいるのに、口は実に楽しそうに曲がっていた。
『その責めを受けてもらおう』
玉座から、するりとフワナが立ち上がる。
音もなく、長く白いスカートを引きずってこちらに向かってくる。
そして、俺の前にしゃがみこんだ。
『あれを』
若い侍女が、黒塗りの箱を持ってしずしずと現れる。
箱を女王に渡す手が、わずかに震えていた。
その箱は、黒地に金の唐草模様のようなもので覆われていて、ぱっと見ただけで嫌な予感がする。
『ふふ……エイトよ、妾に忠誠と、魔王討伐を誓うか? あの、憎い、憎い、憎い、憎い魔王をこの世から一片の肉片さえ残さず消し去るのだ』
魔王と口にするたびに、女王の顔が歪んでいく。その恐ろしさに顎がかたかたと鳴り、返事さえできなかった。
『誓うがよい』
フワナ女王は黒箱を開け、何かをつまみあげる。
それは、黄色と緑のまだら模様で全身をおおった、十五センチほどの芋虫だった。
しかし、俺の知っている芋虫とは違って、活きたエビのようにぴちぴちと女王の指にはさまれて暴れている。
何をしようというのか。
女王は、跳ねる芋虫を顔の高さまで持ち上げると、紅をさした口をあんぐりと開いた。
そして、指を離す。
芋虫は、つるりと女王の口へ滑りこんでいった。
女王がもぐもぐと口を動かすたび、ぷちっ、くちゃっと嫌な音がする。
直視できなかった。
充分噛んだ後で、女王は俺のあごをつかんで持ち上げた。
口をぎゅっと閉じた女王の顔が近づいてくる。
まさか。
女王の唇が、俺の唇にぴったりとくっついた。
生温かいものが、どろどろと口の中に流れこんでくる。
「んんんんんっ!」
顔を外そうとすると、サヤの手が首筋に当てられる。
『ごめんなさい』
焼けるような冷たい手だった。
首がずんと重くなる。
固められたように、顔が動かせなくなった。
女王の唾液を混ぜた芋虫の中身を大量に送りこまれ、頭は混乱しきっていた。
キスは初めてだったのに。
唇を当てたまま、女王は顔を上に向かせる。
芋虫ジュースが喉の奥に落ち、ごくんと飲み下してしまった。
ようやく女王が離れる。白い袖で口を拭うと、口紅と芋虫の茶色がべったりと付いてすごいことになっていた。
「げほっ……」
口の中に残る甘ったるさが余計に気持ち悪くて、吐き出そうとえずく。
『誓いの呪いじゃ。違えた者は、その身を糧として幾万の蝶を生むことになる』
女王が、ズレた口紅で汚れた顔に、狂った笑みを浮かべて立ち上がった。
そして、長いスカートを肩までまくりあげる。
すらりと伸びた白く長い脚の終わりには、何も履いていなかった。
「……っ」
サヤが顔をそらす。
女王が、がっと両足を大きく開いた。
『餞別じゃ』
両脚のつけねから、透明な液体が雨のように降りかかる。
『ハハハハハ』
女王が高らかに笑った。
『ハハハハハ、見ておれ、魔王め』
怒りも屈辱も、ただ狂女王への恐怖で塗りつぶされていた。




