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3月その④

自室で制服の袖に腕を通す。


鏡の前で格好を確認するけどいつも通りで問題はない。


この制服を着るのも今日で最後だ。


そんなにイベントの多い学生生活でもなかったけれど、それでも今日で終わりかと思えば一抹の寂しさを感じるところはあった。


だからといって予定が変わるわけでもなく、今までだって何度も繰り返してきたイベントでもあるんだけど。


三年前の中学の卒業式はもうあまり覚えてないし。


大学を卒業する頃には、同じように今日の卒業式も遠い過去のように思えるのかな。


そう考えると気楽なようでもあり、同時に忘却への寂しさも覚える。


とはいえきっと俺はこの先もずっとそんな性分なのだろう。


スマホを手にとって充電コードを引き抜く。


ぱっと明るくなった画面にはメッセージが一つ。


それは後回しにして時計を見ると、まだ時間には余裕があるけれど家を出て早すぎるという程でもないのでそのまま登校をすることにする。


最後の日に慌ただしいのもアレだしな。


なんて思いつつバッグを持って部屋を出る。


「行ってきます」


声をかけて家を出ると、三月の冷えた空気が首筋を撫でた。




「センパーイ」


通学路を歩いている最中、後ろからの呼び掛けに振り替えると、女子生徒が隣を通りすぎていく。


首を戻すと同級生と知らない女子生徒が並んで歩きながら笑いあっていた。


思わず振り向いてしまったけど、俺のことじゃなかったらしい。


恥ずかしい……。


当人が俺に反応してなかったのが救いだ。


つーかこんなとこに後輩がいる訳ないわな……。


学校の近くならともかく、ここに現れるなら遠回りをする必要があるわけで、そんなことをするわけもなく。


そんなことをするのは待ち合わせをしているか、もしくはそうするだけの関係があるか、そのどっちかくらいだろう。


そして今はそのどちらでもない。




教室に着いてクラスメイトと雑談を交わしていると、担任が現れてホームルームが始まる。


とはいえ登校日は今日で最後だ。


伝達事項と言えばこの後の卒業式のことと、忘れ物をしないようにってことくらい。


もう私物は残っていないので、持ち帰るのは上履きのみ。


そんな話のあとに、担任が教室の前の戸を引くと、順番に生徒が入ってくる。


制服を見ると二年生。


卒業式で制服の胸に付ける花飾りを後輩が付けてくれるという説明を受けて、そういえば去年もそんなことやったなあなんて今更思い出した。


去年は俺が付ける側だったけど。


そんな後輩たちの中に見慣れた顔がないかと探してみるが見つからない。


そうか、三年と二年でA組から順番に同じクラスが担当するなら来るのは後輩とは別のクラスか。


まあどっちにしろ、三十人越えのクラスで偶然担当になることなんてどっちにしろないだろうけど。


なんて思いながら、一人ずつコサージュを手に持った後輩たちがクラスメイトの前に立って制服の胸に付けていく。


俺も「卒業おめでとうございます」と言う言葉と共にショートカットの女子に付けてもらうと、知らない相手でもこうやって言われると結構嬉しいもんだなあと思ったり思わなかったり。


「ありがとう」と返しておくと、後輩ちゃんはニコリと笑って他の後輩たちと教室から出ていった。


案外こういうのが、卒業式のイベントとして何年か経ったあとにも思い出されたりするのかもな。




ホームルームが終わり、次は体育館へと移動する。


並べられたパイプ椅子の配置は前から三年、二年、一年、保護者で三年以外は既に体育館へと集まっていた。


中はまだ肌寒く、業務用のヒーターを焚いていても広さに対して熱量が足りていないのがわかる。


手袋ほしくなってきた。


実際手袋してたら注意されるだろうけど。


それでも先月先々月よりは大分マシだし耐えられないほどの寒さじゃないのが救いか。


まあ本当に耐えられなかったらそんなところで卒業式なんてやんなって話だしな。


そのまま自分のクラスの列のパイプ椅子に座って、式が始まる前にスマホの電源が切れていることをもう一度確認する。


うん、大丈夫。


そのままスマホは胸の内ポケットにしまって、式が始まるまでしばらく待った。


卒業式の内容といえば長い話を聞くか校歌を歌うか卒業証書を受け取るかくらいなのでぶっちゃけ大半の時間は暇なんだよね。


あと無駄に立ったり座ったりを挟むのがめんどい。


ぶっちゃけ許されるならスマホ見てたいレベルだわ、許されないけど。


それから校長の長い話が終わり、三年がクラス毎に五十音順で名前を呼ばれていく。


俺の番になって返事をして立ち上がり、先に呼ばれたクラスメイトの後ろに間をあけて続いて壇上に登る。


卒業おめでとう、という言葉と共に渡された卒業証書はとても軽かった。


そのまま流れ作業のように壇を降りる最中、少しだけ高い位置から体育館の中が見渡せる。


三年の席の後ろ、二年の列に見慣れた顔を見つけた。


あちらもこちらを見ていて、俺の視線に気付いたように後輩がウィンクをするので俺も他の人には気付かれない程度に笑っておいた。


そんな一幕のあとは特に言うこともなく、卒業式が終わる。


校歌斉唱の時に女子生徒が何人か泣いていたりもしたけれど、俺には関係のない話だった。




卒業式後、最後のホームルームでの担任の挨拶を終えて教室を出る。


三年の教室が並ぶ廊下ではこの後の予定を話し合う声や、卒業証書を持って記念撮影する同級生や、泣きながら教師に感謝の言葉を伝える姿など、様々な人のかたまりができている。


自分もこの後クラスの友達と遊びに行く予定があるが、その前に済まさないといけない用事があった。


人混みの中を縫うように抜けて、スマホに通知がないことを確認して目的地を目指す。


三年の教室の並ぶ廊下から階段を降りて渡り廊下を抜け、部室の並ぶ廊下に着くとすっかり人の気配が遠くなって喧騒が別の世界のもののように聞こえる。


通い慣れたドアの前について、本来なら施錠されているはずのドアノブを捻ると、予想通り、抵抗なくそれは開いた。




「センパイ」


「やっぱりここにいたか」


ここで一番多く見た顔が、いつもの席に座ってこちらに視線を向ける。


俺も向かいのいつもの席に腰を下ろすと、後輩が口を開いた。


「会いに来たくれたんですか?」


「ああ、忘れ物を受け取りにな」


「忘れ物?」


「卒業祝いの言葉。それくらい貰ってもいいだろ?」


「そうですね」


偶然再会した一年前から、この部室と中と外で、結構な時間を共に過ごした。


少なくとも挨拶もせずにお別れするような仲ではないし、後輩も、そう思ったからここで待っていたんだろう。


学校でこうして顔を会わせるのは今日が最後なんだから。


「こうしてるとなんだか懐かしい気がしますね」


「そうだな」


入試も終わり登校することもなくなったので、最近はこの部室ともご無沙汰だった。


平日はほぼ毎日通っていたことを思い出すと、一ヶ月程度の空白も懐かしさを覚えるくらいには長く感じられる。


「後輩は髪伸びたよなあ」


思い出すのは一年前のこと。


あの頃はまだ首筋の高さにあった髪が今は肩を越えて背中にまで届いてて、今とは受ける印象がかなり違う。


「綺麗になりましたか?」


「かわいいって言うよりは、綺麗って印象に寄ったかな」


まあ喋れば前から変わらずの後輩なんだけど。


「もう、そこは素直に誉めてくださいよ」


「綺麗だぞ」


「えへへ、ありがとうございます」


照れたように素直に笑う後輩は、やっぱり綺麗と言うよりかわいいかもしれない。


「センパイは変わりませんね」


「悪かったな代わり映えしなくて」


「悪いとは言ってませんよ」


まあ元から人に褒められるような所がないのは自覚してる。


「でも卒業証書受け取るセンパイ結構かっこよかったですよ」


「そりゃどうも」


「あとそのあとステージから降りてくるときこっち見ましたよね」


「見てないぞ」


「絶対嘘ですよ。笑ってましたもん」


なんかアイドルと目があったって言ってる追っかけみたいな台詞だな。


「カメラ撮れれば良かったんですけど」


「はずいから絶対やめろ」


保護者ならともかく後輩に卒業式で撮られるとか恥ずかしいってレベルじゃない。


「でも折角卒業なのに写真撮らないのも寂しいじゃないですか」


「なら今撮れば良いだろ」


「たしかに、それもそうですね」


ということで立ち上がった後輩が窓際まで移動してこちらに手招きをする。


「ほら、センパイもこっち来てください」


「別に良いけど、なんでここ?」


「だって外が綺麗ですよ」


後輩の視線に釣られて外を見ると、そこには満開の桜が並んでいる。


確かに綺麗だし、卒業式には相応しい光景かもしれない。


「どうしてこんな遅い時期に卒業式やるんだろうな」


なぜかうちの学校の卒業式は他の学校のそれより遅く、毎年三月の後半に行われている。


お陰で新生活のための引っ越しやらのスケジュールはカツカツだ。


「良いじゃないですか、そのおかげで良いものも見れましたし」


「まあそうだけど」


後輩の横に並んで窓の外を覗くと、眼下に卒業の記念に写真を撮っている様子が見えた。


「というわけで私たちも写真撮りましょう」


「撮ってくれる人いないぞ」


「いいじゃないですか、ってこの会話ずっと前にもしましたよね」


「そうだったかな」


腕を伸ばしてスマホのカメラを向ける後輩に、あの時のように顔を寄せる。


パシャッと鳴ったのを確認してから、画面を見た後輩がこちらを向く。


「やっぱり普通に撮った写真も欲しいですね」


部室の中の小物を使って、机の上に器用にスマホの台を作った後輩が角度を調整してこちらへ並ぶ。


シャッターが切られる前に後輩が俺の腰に腕を回すので、俺も同じように腕を伸ばす。


なんだか同じ傘に入った時のことを思い出すな。


まああの頃みたいに一々反応したりはしないけど、なんて思っているとそのままシャッターが切られた。


パシャリ。


撮った写真を一緒に眺めると、ふたりとも自然体で笑っている。


「卒業式って感じだな」


「ですね」


普通は正門の前とかで撮るシチュエーションの写真を、部室で撮っているというのはちょっと変でおもしろい。


おかしそうに笑った後輩が視線を上げずに口を開く。


「センパイは、卒業式で泣いたことありますか?」


「いや、無いな」


小学校も中学も高校も、人並みに充実していたと思うが、どれも泣いた記憶はない。


まあ小学校の頃の記憶なんてほとんど覚えてないけど。


とはいえ、今日も周りで泣いてるのはほぼ女子だったのでそういうもんじゃないだろうか。


「後輩は泣いたことあるか?」


「私も無いですね」


「無いんかい」


女子なのに、なんていうと文句を言われそうだけど。


「こうして見ると、沢山写真撮りましたね」


「そうだなあ」


後輩のスマホのアルバムは、俺と一緒に居た時の写真が沢山並んでいる。


初詣の時の写真、文化祭の時のメイド服の写真、寝てる後輩の写真、水着の写真、裸足の写真、天の川の写真、猫と撮った写真、エトセトラエトセトラ。


そして時系列を順逆に見ていくと、一番最後は桜を背景に顔を寄せて撮った写真。


まだちょっと距離感があるその写真は特に懐かしい。


「懐かしいですね」


一年という時間は懐かしむには早すぎるかもしれないけれど、その一年間の出来事と互いの変化はやっぱりそう思わせるだけの積み重ねがあった。


「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


同じスマホを覗き込んでいた後輩が視線を上げてこちらを見る。


「もう一年、ここで一緒に学生しませんか?」


「それは、魅力的な提案だな」


もう一年後輩と一緒に居られるなら、それはきっと、楽しい。


「センパイが留年したら、同じクラスになれるかもですよ」


「そしたら席が隣同士になって、机を並べて授業を受けられるかもな」


「私が後ろで、センパイが前の席でもいいですよ」


「そしたら絶対、授業中にいたずらしてくるだろ」


「そんなことしませんよ」


「一ミリも信じられねえ……」


「授業中に寝てたらちゃんと起こしてあげるので安心してください」


「じゃあ代わりに後輩が当てられたら教科書のページ教えてやるよ」


「でも、センパイが留年したらセンパイじゃなくなっちゃいますね」


「クラスメイトだからなあ、名前で呼ぶか?」


「んー。 センパイはセンパイなので、留年しても特別にセンパイって呼んであげます」


「じゃあ後輩はクラスメイトになっても後輩だな」


「日直を二人で組むことになったりして」


「机くっつけて昼飯一緒に食べたり?」


「いや、それはないですね」


「まじかよ」


「でもたまにならここで一緒に食べてあげてもいいですよ」


「菓子も用意しとかないとな」


「修学旅行も一緒に行けますね」


「文化祭も同じクラスか」


「留年生でぼっちのセンパイが浮いててもちゃんと話しかけてあげますからね」


「放課後もここで一緒に勉強するか」


「たまには遊びにいくのもいいですね」


「受験生なんだから程ほどにな」


「たまにならいいじゃないですか」


「本当にたまにならな」


「あと長期休暇も遊びたいですね」


「やっぱり遊んでばっかりじゃねえか」


「息抜きですよ、息抜き。 ダメですか?」


「まあ、ダメじゃないけどな」


「私と一緒に遊びたいって素直に言ってもいいいんですよー?」


「後輩と一緒なら楽しいしな」


「でもやっぱり、ここでこうしてるのが一番落ち着きますかね」


「そうだな」


そんなふうに語るのは有り得ない未来で。


だからこそそれを指摘せずに互いに言葉を重ねる。


「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


俯いた後輩が消えそうな声で呟く。


「卒業しちゃ嫌です」


「うん」


「卒業しちゃ、嫌ですよ……」


絞り出したようなその一言で、後輩の目から涙がこぼれる。


それは止まることなくあふれ続け、感情が決壊した後輩をゆっくりと抱き寄せた。


抵抗なく俺の胸に顔を埋めた後輩はそのまま嗚咽を漏らしてシャツが涙で濡れていく。


「うっ……、うぅ……」


落ち着けるように頭を撫でるとより一層激しくなる泣き声。


初めて見た後輩の泣く姿は今日見た他の誰よりも強い感情で涙を流している。


俺は無理にそれをなだめようとせず後輩が泣き止むまでずっとそうしていた。




「落ち着いたか?」


「はい……」


しばらくしてやっと涙が止まった後輩が視線を上げるとその目が赤くなっている。


「ごめんなさい、笑って見送るつもりだったんですけど、ダメですね」


「気にするな」


泣くほど慕われてるという体験が初めてなので、こういうのも悪くないと思ってしまったのは本人には言えないけど。


「センパイは、どうですか?」


「俺も寂しいよ」


だからって泣くことはないけれど、後輩と一緒にいた時間は確かに代え難いものだった。


出来ることならまだ一緒に居たい。


だけどそれは叶わない願いだ。


俺と後輩の人生の道は今日で別れるのだから。


「センパイ、雪降ってますよ」


「……、本当だ」


後輩に釣られて外を見ると、そこにはぱらぱらと雪が舞い落ちてくるのが見えた。


空は雲もなく晴れてるのにな。




「そろそろ帰るか」


話していればずっと同じ時間を過ごして居られると思うけど、だからといってここでずっと一緒に居られるわけじゃない。


だから名残惜しくても区切りをつけなければいけなかった。


「センパイ」


少し離れた俺に窓際に立ったままの後輩の声が聞こえる。


振り返ると窓の外には卒業を祝うように桜が咲いていて、それに抵抗するように雪が緩やかに舞っていた。


そんな背景を背負って、こちらを見る後輩の表情には複数の感情がごちゃ混ぜになっているように俺の目には映る。


目を赤くして、それでも笑顔を作る後輩の頬に、未練を搾りきるように一筋の涙が溢れた。




「卒業、おめでとうございます」




※続きます。

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