23.波乱の結婚式
城下町の大教会で行われた結婚式の様子を、彼女は遠く離れた市民席から眺めていた。
聖堂にはオルガンの音と、聖歌隊の賛美歌とが美しく調和して響き渡っている。彼女が人の波に合わせて背伸びをくり返していると、隣にいた男がオペラグラスを差し出した。
彼女は栗色の巻毛を揺らして男のほうを振り仰ぐと、とろけるような微笑みを浮かべ、小さな声で礼を述べた。
男は硬直してしまった。その耳はわずかに赤い。
扉が開き、最初に入場してきたのは、この国の第二王子であるジルベルト・クロード・ネージュニクスであった。
いささか不機嫌そうに吊り上がった目をしてはいるが、普段とは違う、ふわふわとしたくせ毛を後ろに撫でつけ、銀の礼服に身を包んだ彼は、王族らしい威厳に満ちていた。
ジルベルトが祭壇の前で足を留めると、続いて、マリアベールで顔を隠した花嫁が入場した。公爵家の長女であり、雪の聖女と呼ばれるフルール・ルル・フレージュである。
父公爵にエスコートされながら、彼女はしずしずとヴァージンロードを進んでいった。
「ドレスで隠れて上品に見えるけれど……、実際には足を蹴り出すように大きく前に出しているのよね」
女性がぽつりとこぼす。
日本という国に暮らしていたときと同じような、この式典の流れ。
やはり、ここがゲームの世界だからなのだろうか。ーー彼女はふとそう思った。そして決意する。
「ーー止めなければ」
事が起こったのは、ジルベルト王子が、フレージュ公爵令嬢の手を取ったそのときであった。
すぐそばで歌っていた聖歌隊の男が、二人の前へと飛び出したのだ。
攻撃魔法を打とうとしているのだろう。男のてのひらが、まっすぐ令嬢へと向けられる。
近づこうとしているということは、大して魔力量がないのであろう。土魔法で岩を鋭くしたものであろうか。
市民席から小さな悲鳴が上がる。
だが、彼が魔法を打つことはなかった。
聖歌隊の男は、驚いてきょろきょろとあたりを見渡している。そこには何もないのに、先へ進めないのだ。
やがて、男のほうにだけ、猛烈な吹雪が襲ってきた。男は抗い、全身を風に乗せるようにしてなんとか進もうとしたが、ずるずると後ろへ押し流されてしまった。
「ーー聖獣だな」
市民席にいた男が、ぽつりとこぼした。
ネージュニクス王国の雪の聖女には、猫のような姿をした聖獣がついていると、今では市民でも絵物語を通して知っている。
栗毛の女は驚いて、口をぽかんと開けており、昏倒した襲撃者は、近衛兵に捕らえられて行った。
「……あの人は」
「あの様子だと、操られていたのだろう。この国は失敗に対して他国より寛容だからな。大した咎めにはならぬだろう」
男は飄々として調子で言った。
危険は去ったかと思われた。
「あっ……」
ふたたび、市民席から声が上がる。
オルガン奏者がいつのまにか、氷の弓を構えていたのだ。つららのように鋭く尖った矢は、すでに放たれたあとであった。
「ーーなるほど、やはり愛の魔女と関わりがあるのだろうな」
男は頷くが、その顔は不快そうに歪められている。
「やだ、ずいぶんお粗末なのではなくて?」
その声は、しんとした教会を揺らすように響いた。
「あれは、サロメ……?」
栗毛の女が呆然としたようにつぶやき、顔をくしゃりと歪める。
オルガン奏者と王子たちの間に、耳のあたりでぶどう色の髪を切りそろえた、妖艶な印象の女が立っていた。
彼女は片手をかざしており、そこから生まれた氷が、矢を跳ね返していたのだ。
女が片手を上に向けると、その動きに合わせて氷の壁はじゅっと溶けるように消えた。
それから彼女はオルガン奏者に氷を差し向け、壁に服を縫い止めるようにして捕らえてしまったのである。
「いや、あの人は、研究者のロザーラ・トレムリエ。そういった名だったはずだ」
男が答えた。
ところが、神父の動きに気づいたものは居なかった。どこから取り出したのか、それは氷柱のように鋭い、氷の刃である。
彼が振り下ろしたそれは、フルール・ルル・フレージュ公爵令嬢の胸に深々と突き刺さったのであった。




