19.王妃フラヴィア
「ーークレメント殿下?」
フルールは、まだ夢の中にいるようにふわふわした感覚が残っていたが、自分をクレメントが抱きしめていることに気がつき、慌てた。
「君をまた失ってしまったかと思った」
肩口にやわらかな金色の髪がかかる。クレメントの身体は震えていたが、ーーきっとこれは都合のいい夢なのだろう。だって、この場にいるはずのないあの人が見えたのだから。
「君を妃に迎えたい。頷いてくれるね?」
クレメントは、堅く抱きとめていた腕をほどくと、フルールの顔を覗き込んだ。フルールは目を瞬かせた。クレメントの身体に視界を遮られていたから、彼女は気がつかなかった。そのとき、ジルベルトが出て行ったことに。その顔が青ざめていたことにも。
「なんだかずいぶんこじれているわね」
周りに残っていた人たちを残らず追い出すと、フラヴィア王妃はそばに腰を下ろした。
フルールが寝かされていた棺のようなものは、魔力を少しずつ回復させる魔道具なのだという。
その近くには、テーブルセットが置かれており、フラヴィア王妃は湯気を立てるカップに、優雅な仕草で口をつけた。
「それで? 貴女は誰が好みなの?」
彼女は大して興味がなさそうな感じで訊いた。フルールは答えに詰まり、うつむく。
「ーー貴女って、わたくしが嫌いな子に少し似ているわ」
王妃は口を尖らせた。
「容姿は……貴女のほうがいいわね。野心とか悪意といったものも見当たらない、わね。……あら? そう考えると、あまり似ていないのかしら?」
「あの、王妃様。お話の途中ですみません。これまでのことをお教えいただくことはできますでしょうか」
「貴女が妖精の森で倒れた後のこと?」
王妃の話はこうだった。
ある日、妖精の森から使いが飛んできた。曰く、森に不思議な一行が迷い込んだという。彼らは誰かに負われており、二人が死にかけている。そのうちの一人は、遠い国の精霊、あるいは神のようなものの気配を持っている。どうしたらいいのか、と。
「わたくしは、妖精の愛し子なのだそうよ。だから、昔から妖精とは話せるし、何だったら一緒に暮らしていた時期もあるの。ちょうど里帰りもしたかったから、森に寄ったのよ」
そこで王妃自らが森に入り、一行を見つけた。
毒を受けていたシェハーブにはすぐさま治癒を施したが、フルールは魔力を使いすぎて倒れているようだ。そこで、開発中の魔道具に入れてみたのだという。
「そうこうしているうちに、ネージュニクス王国から王子が二人もやってきたのよ。あの国は王子が二人しかいないのよね?
ふたりとも出てくるなんて大丈夫なの?」
フラヴィア王妃は、信じられないといったふうに問うた。
「ーー二人?」
「ええ。王太子クレメント殿下に、第二王子ジルベルト殿下。兄弟揃って貴女を迎えにくるなんてね」
「ジルベルト様が、わたくしを……?」
フラヴィア王妃の妖艶な瞳が弧を描く。
「あらあら、あの子が本命なの」
「クレメント殿下」
フラヴィア王妃が出て行ったあと、フルールはクレメントを呼んだ。棺のような不吉な形の魔道具に、しばらく半身だけでも入れておいたほうが良いというのだ。
「フルール!」
クレメントは目が合うなり輝くような笑顔を見せ、駆け寄ってきた。
「どうしてこんな遠くまでいらしたのですか」
「君が攫われたと聞いて、居ても立っても居られなかったのだ」
「ーーあなたは王太子ですよ」
「君のほうが大切だ」
フルールは違和感を覚えた。
この人はいつだって、王子であることを優先していた。わがままを言わず、ただ国のために努力を重ねてきた。
跪くように座るクレメントを見る。その目は不安げに揺れていて、ーーフルールは気がついた。
「違ったらごめんなさい。ーークレメント様は、もしかして、あのとき、ーーわたくしがジルベルト殿下を庇ったときのことを後悔なさっているのですか」
クレメントはたじろいだ。それが答えであった。




