16.海を走る
国から遠く海の上まで連れ去られて、船には砲弾が打ち込まれている。
甲板に出てその様子を見たとき、ーーああ、これは死んでしまうのだなとフルールは思った。
こみ上げてきたのは恐怖や涙ではなくて、怒りと、……ほんの少しの痛み、そして数多の記憶だった。
まるで走馬灯のようだ。脳裏に幼いころから今までのジルベルトの顔が浮かぶ。
家族を恋しがって泣きながら礼拝堂で倒れていた彼。フルールを試すように悪態ばかりつく一方で、こっそりとフルールの好きなものばかり用意させていた彼。スピカ・ディディエを侍らせて婚約破棄を突きつけてきた、彼。ーーそれから、フルールが眠りにつく直前に見た彼の、ガラス玉のような瞳。
ジルベルトはもうノエミと婚約したのだろうか。そう思うと、胸のあたりが焦げ付くようにちりちりと痛んだ。
船から飛び降りたフルールは、足元の水を凍らせた。
「港町まで走るのか? 無茶だ!」
アンリが言う。
「いいえ。森が見えるでしょう。あれはたぶん、妖精の森と呼ばれる場所だわ。なんとかあれを抜けられたら、ルスリエース王国に保護を求められると思うの」
フルールは、王子妃教育で学んだ地理を頭の中からひねり出し、決めた。甲板に立つ男たちは顔を見合わせ、互いに睨み合ったが、まずは生き残ることを選んだらしい。次々に降り立ってきた。
フルールは先頭に立ち、走る。想像力を途切れさせないように気をつけながら、氷の道を作っていく。薄くてはいけない。調整が難しかった。
飛んできた砲弾はアンリが落とし、シェハーブは王子を背負い走ってくる。正気を取り戻したジュールも、よろよろとだがついてきていた。
「それにしても、どうして奴らは後ろから来たんだろう。陸のほうから来られたら、こちらに退路はなかったというのに……」
アンリが不思議そうに言う。
「ーー大義名分を作ったのでしょう。王子が逆賊に誘拐されたことにし、攻撃をする。
そのためには、一度沖まで出て、追いかけているように見せかけねばならないでしょうからね」
シェハーブが苦虫を噛み潰したような顔で言った。それから「結局、王族たちにとってアーロン様ははずれ王子のままだったのだ」とつぶやいた。
「ーーはずれ王子?」
不愉快な言葉が聞こえて、フルールは思わず振り返った。後ろを走ってきたアンリがフルールにぶつかり、つるりと海に落ちそうになって「フルール!」と怒った。
フルールは慌てて氷の道を作り直し、足を止めずに、シェハーブの言葉を聞いた。
「アーロン様は、生まれたときからそう蔑まれておりました。
あの国は黒色を至上のものとしています。金髪金目のアーロン様を、ほかの王族たちは、ただその色だけで“はずれ王子”と呼んでいたのです。あまつさえ、間諜にしろと追放し、似た容姿のこの者を王族に迎え入れた」
シェハーブは、肩に抱えた、王子であった少年をぎろりと睨めつけた。
少年は気絶したままだったので、その壮絶な視線には気づかずにいたが、先程殴り飛ばされたため、顔はひどく腫れていた。
「この者に教育を施さなかったのは、いずれアーロン様を迎え入れるためだと思っていました。現にそう聞いていたのです。
だからこそ、私は……」
シェハーブは青い顔をして言う。
「ーー使いこなしてるんだな、魔力」
走りながらアンリが言った。感心したような、それでいてどこか悔しそうな、不思議な表情だった。
「囚われている間、時間だけはたっぷりあったから。
あのね、他の人の魔法ではどうかわからないけれど……。少なくとも、私の力についてわかったことがあるのよ。
想像するのがとても大事なの。どんな魔法が出るのかを、絵画のようにはっきりと想像すること」
「喋っている暇はない! 来るぞ!」
後ろからシェハーブが叫ぶ。アンリはちらりと船のほうに目をやると、飛んできた砲弾にてのひらを向けた。巨大な水球が飛び出し、砲弾はボールのように軽々と、遠くまで弾かれ、飛んでいった。
「ーーなるほどな、俺にも有効な方法みたいだ」
アンリはそう言うと不敵に笑った。
五人はなんとか陸地まで渡りきった。
サーブルザント王国の船は、進路を氷で固めて進めないようにしておいたのだが、兵士らしき男たちが海に飛び込むのが見えた。
追いつかれぬように急ぐしかない。
ところが、五人が森の入口に差し掛かったときだった。ひゅっと音がして、ジュールの眼前に矢が迫っていた。




