15.逃亡劇
「──父さんはどうした」
ジュールは、──アーロン王子は、その金の目を憎しみに燃やしていた。シェハーブは不思議そうな顔で首をかしげると、「始末してから来ましたが?」と言う。
彼は聞かずともわかっていたのだろう。表情を変えず、けれども顔が紙のように白くなっていく。
ジュールがその場に崩れ落ちそうになった。慌てて駆け寄ってくると、その体を支えたのは、シェハーブであった。
「あの男など、ただの異国の平民ではありませんか」
ジュールはなにか言おうとしていたが、それは声にならず、はくはくとした息になって消えた。どんどんその顔色が悪くなっていく。
「あなたは聖女を連れ去ることに成功しました。これからは王城で暮らすことが叶うでしょう」
誇らしそうに告げるシェハーブ。
ジュールは、青白い顔をしたまま、のろのろと飛びかかった。
彼は避けることなどしなかったが、ジュールの振り上げられたこぶしをかんたんに止め、どうしたのだろう、というような顔で彼を見つめていた。
突然のことだった。前方でどおんと爆発音のような音が響き、船がぐらりと揺れた。あちらこちらで怒号や悲鳴が上がっている。
シェハーブは「あとで迎えに来ます」と言うと、慌てて部屋を出ていった。
ジュールはぺたりと座り込み、壁際では王子であった男が伸びている。
フルールはすっかり途方に暮れてしまったが、折よく、船室の窓が外側から開けられた。
「アンリ!」
「ーー今のうちに逃げよう。陸が見えてきたが、外の様子がなんだかきな臭いんだ」
フルールはジュールの華奢な身体をなんとか引き上げるようにして抱え、アンリには王子を背負わせた。
「こいつは置いていってもいいんじゃないか」というアンリに「ーー彼はわが国の民です」と言うと、彼は状況が見えないようで目を白黒させていた。
階段を駆け上がり、外に出る。久しぶりに見る空は白く眩しい。
「王子!」
息を切らして駆けてきたのはシェハーブだった。アンリが攻撃魔法を打とうと身構えるが、彼はそれを気にもとめず、ジュールのもとへと駆け寄った。
「ーー申し訳ありません。私が浅慮でした。……あなたに王城での暮らしをと思ったのに」
船のすぐそばで、水柱が上がった。それは頭上高くまできらきらと上り、フルールたちの身体をぐっしょりと濡らした。
陸が近づいてきていたが、船の後方には、フルールたちが乗っているものよりもずっと大きな船が、追うように迫ってきているのが見えた。帆には、書物で見た、砂の王国の紋章がある。
あそこから砲弾が打ち込まれているのだ。
「今は、まず逃げるのが先決ではなくて?」
男たちがはっとこちらを見た。
フルールは、思いのほか冷たい声が出たな、と気になったが、このような非常事態だというのに、男たちときたらまるで使いものにならなかったのだ。
気弱なアンリはおろおろしているし、王子は気絶したまま。ジュールもシェハーブもひどく落ち込んでいる。もちろん、彼らの気持ちもわかる。わかるのだが、このままでは生き残れない。
ジュールの身体をシェハーブに預けると、船のまわりを点検した。小舟のようなものは見当たらない。
アンリが使えるのは水魔法であるし、実は敵ではなさそうなシェハーブは火魔法のようなのでこの場では相性が悪すぎる。逃げるためには自分がなんとかするしかないと思った。
フルールはドレスの裾をめくりあげ、固結びにして丈を詰めると、船から飛び降りた。
「ーーフルール!」
船の上から慌てたように男たちが顔を出す。
そうして、海の上に立っているフルールを見て、ふたたび驚きの表情を浮かべたのであった。




