キャンディフラワーの真心(2)
「ーー君は、僕のことを嫌っていたのか?」
ドニと僕は、庭園のガゼボに向かい合って座っていた。二人きりで話し合うのを母が良しとしなかったためだ。
従者に戻ったのだから、どうせそのうち二人で行動するというのに。
僕の問いに、ドニは片方の眉を上げて考え込んだ。どう答えようか迷っているようだった。
「ええ。私はあなたが嫌いでした」
「ーー敬語を取り払うようにと伝えたであろう」
僕が眉根を寄せると、ドニはため息をついて「わかったよ」と答えた。
「俺は、第二王子ジルベルトを嫌っていた。だから、あなた宛てのものを奪ったり、周囲にあなたの噂をばら撒いたりしていたんだ」
「……そうか」
覚悟はしていたが、いざ言葉に出されてみると、なかなか心を抉られるものだった。
僕は、こんなにも鋭利な言葉を、いつもフルールに投げかけてきたのかと悔やまれた。
「ーーただ」
ドニがばつの悪そうな顔をして続けた。
「俺の『嫌い』という感情には、根底に、ある気持ちが眠っていた。
それは、あなたへの妬みだ。
あなたは、俺がほしいものをなんでも持っている。それでいて、そのことに気づかず頓着せず、あまつさえ傷つけて捨てようとしている。
そんな様子を見ていたらむしゃくしゃして仕方がなかったんだ」
ドニは僕と目を合わせずに言った。
その感情には心当たりがある。自分とは異なり、外を自由に駆け回れるフルールに感じたことがあった。
「研究者であり、従者である君だが、僕は、友だちになれたらいいと思っている」
僕が言うと、ドニは目を見開いた。
「俺がなにをしてきたか、わかっているのか?」
「ーーああ」
「フレージュ嬢へのあなたの気持ちを、負の方向へ錯覚させたのはこの俺だぞ? すべての元凶なんだぞ?」
ドニは幼子にするように、何度も確認してきた。だが、僕は鷹揚に頷いた。
「すべて承知の上だ。ーー僕はもう、昔の僕ではない。その上で、君とも新しい関係を構築していきたいと思うのだ」
僕が言うと、ドニは乾いた笑いを漏らした。
「俺は、やっぱりあなたが嫌いだ」
彼は、泣きそうに笑った。僕は胸をぎゅっとつかまれたような痛みを感じた。
「フルール、今日はドニと話すことができた」
礼拝堂で眠り続けるフルールに、僕は話して聞かせた。
真っ白な肌に頬紅が乗ったような赤みがさし、くちびるも桜桃のように生気のある色をしているのに、フルールは目覚めない。
「君が母に進言してくれていたことを感謝する。僕の不名誉なあだ名を打ち消そうとしてくれていたのも君だったのだな。--僕はきっと、君にたくさん助けられていたのだろう」
フルールを覆う、真っ白な雪の繭のうえに、命魔法を込めた花束を置いた。そうして握ることの叶わぬ手に、膜越しで触れた。
「僕にとってはね、ドニは、兄のような存在だったのだ。たとえ嫌われていたのだとしても、悲しくはあるが、--嫌いになどなれぬ。
家族の見舞いがない中、それが仕事であるとはいえ、ドニだけがいつでもそばにいてくれたのだから。よく話しかけてくれたし、癇癪にも付き合ってくれていた。
熱を出せば冷たいタオルを額に乗せてくれていたのも彼だったし、部屋の温度管理にもよく気を配ってくれていたのだ。だから、僕は、彼と新しい関係を築いていきたいと思っている」
フルールの瞼は固く閉じており、返事はなかった。
彼女のそばに跪く、氷漬けの魔女にも目をやる。彼女を見るたびに僕は、苦々しい気持ちになった。
二人きりになることもできぬのか、と。
兄の言っていた処分してしまいたいという気持ちがわかり、驚くとともに、だがもしフルールが目覚めた時のことを思うと、彼女が悲しむこともしたくないなと感じるのだった。
礼拝堂を出ると、扉の前でドニが待機していた。
彼の頭には粉雪が積もっており、指先は赤くなっている。
「話しかけても答えの返ってこない相手に声をかける意味なんて、あるのか?」
ドニの問いに、僕は首を傾げる。
「でも、フルールだってドニだってそうしてくれていたじゃないか。
ドニ、君に関しては、口下手な僕に本当に根気強く付き合ってくれていたと、今は感謝している」
僕が言うと、ドニは目を見開き、それからさっと顔を背けた。耳がわずかに赤くなっていた。
それからしばらくして、王城の温室にあったグラソンベリーの木が運び出された。ドニの指示であった。
温室の中は、植物に合わせた温度管理や水やりの魔法が働いている。にもかかわらず、ついぞグラソンベリーの実がつくことはなかった。
ドニが、仮説を立てたのだ。
「グラソンベリーの世話に関する魔法の記録を見たが、適切な温度がわからないため、春の気温に設定されていた。
それこそが実をつけない理由だと俺は考えている。
果樹園のグラソンベリーの木は、秋に花をつける。秋と言ってもすでに雪が降っている露月のあたりだ。そうして、冬の本当に寒い時期にしか実をつけない」
グラソンベリーの木は、礼拝堂にほど近い丘の上に植え付けられた。
僕が礼拝堂に通っている間、ドニは日々グラソンベリーの世話と観察に明け暮れていた。
そして露月。
ちらちらと粉雪が振る中で、グラソンベリーがつぼみをつけた。それは真っ白でこぶりなつぼみであった。
「この花は、雪に触れると色が変わるんだ。そうだな、--明日あたりには咲くだろうから、見てみるか?」
ドニが聞き、僕は頷いた。
翌朝、僕たちは、夜明け前にグラソンベリーの木の下へとやってきた。雪は止んでおり、銀色の雪原に、沈みゆく月が反射していた。
敷物を何枚も重ねて、日が昇るのをただただ待った。
「見ろ、--夜が明けるぞ」
ドニが東の空を指差した。少しずつ山際が明るくなってきて、太陽が顔を出す。
その光を浴びると、まるで、朝に目を覚ますのと同じように、つぼみがむくむくと動き出した。
そして、花びらが、一枚いちまいほどかれるように、静かに開いていった。
「おあつらえ向きだな。そろそろ雪が降るぞ」
ドニの言葉を皮切りに、ひとつ、またひとつと雪のかけらが降ってきた。綿菓子をちぎって投げたようなふわふわの雪だった。
ひとひらの雪が、グラソンベリーの白い花にふわりと落ちる。それがじゅわりと溶けたかと思うと、花の色が変わった。透き通った水晶のように。
「これは、美しいな……」
僕が言うと、ドニはにやりと笑った。
それからドニの許可を得て、花をいくつか折りとった。グラソンベリーの果実を甘くするために、間引いておいた方がいいらしい。
僕はてのひらでふわりと透明な花を包み、命魔法を込めながら、礼拝堂に急いだ。そして、眠るフルールの胸の上にそっと花を置いた。




