後日談 グラソンベリーの果樹園にて(3)
いつの間にか春になっていた。ドニがこの場所にやってきてから二度目の春だ。
以前は隣にアデルがいて、やわらかくほほ笑んでいた。でも、彼女はもういない。
ドニは、もう何度目になるかわからない涙を流した。そして、これからの身の振り方に悩んでいた。
アデルの埋葬を済ませたあと、ドニはそのまま果樹園に残り、アデルの父を手伝った。
彼はいつも気まずそうにしていたし、姉のニコルのほうが近寄ってくるのは不快だったが、ほかに行く宛もない。
そもそも、ドニは追われている身なのだ。
春になってやってきたハリーは、アデルの死を知ってひどく取り乱した。この男も彼女を好いていたのかもしれない、と思った。
ハリーは王都の噂をいろいろと置いていった。その中には、懐かしい第二王子の話もあった。何でも愛の魔女にそそのかされていたのだとか。婚約者だったフルール嬢が実は聖女だとわかったが、王子をかばって倒れたのだとか。
ドニは、少なからず自分がその一因を担っていることに気づいた。そして、生まれてはじめて懺悔の気持ちが芽生えた。
考えたくはなかったが、アデルの死は、自分への罰だったと思えてならなかったのだ。
ある日、グラソンベリーの剪定をしていると、アデルが仲良くしていた熊がやってきた。
彼女亡き今、ただの巨大な獣であるそれと対峙して、ドニは心臓が嫌な音を立てるのを感じた。
彼女のいない世界なんていらないと確かに思っていたはずなのに……。そう思うとドニは、情けなくなった。
熊はじっとドニを見つめると、くるりと背を向けた。そして、ちらちらとこちらに視線を寄越す。まるで、ついてこいと言っているかのようだった。
ドニは一定の距離を取って、熊のあとをついていくことにした。
しばらく獣道を進んで、辿り着いたのは森の泉だった。そういえばいつだったか、アデルが森の秘密を教えてくれたことがある。
「この森はね、迫害された異国の王女さまの隠れ家だったの。私たちはたぶんその末裔。ほら、この国の人にはない目の色をしているでしょう?」
アデルは、グラソンベリーと同じ赤い瞳を指差した。
「それでね、ここからは言い伝えで、どこまで本当なのかはわからない。でも、森の中に秘密の泉があるのですって。王女さまは、強大な魔力を恐れられ、国から追放されたの。その魔力を溶かした泉があって、そこにいくと、見たいものが視えるんだって母さまが言ってたわ」
ドニは、透きとおっているのに底の見えないその泉のそばに跪いた。そして、アデルにもう一度会いたいと願った。
ところが、いつまで経ってもなにも変化はなかった。凪いだ水面すれすれの場所を蝶が走るように飛んでいく。
「どうして、あの子が死ななければならなかったんだ……」
ドニはぽつりと漏らした。そして、つう、と落ちてきた涙を手の甲で拭って、上を向いた。
そのときだった。泉が淡く光ったかと思うと、そこに過去の出来事が、投影されたのだ。
森で会話する行商人のハリーと姉妹の父親。その様子を物陰から窺うニコル。声は聞こえなかったが、ドニは王城にいたときに読唇術を身につけていた。
ドニは、自分の正体が知られていたことに驚く。父親はそんな素振りを決して見せずに、今まで通りにドニに接してくれていたのだ。家族に疎まれてきたドニは、胸が震えるようなうれしさを感じた。
そして、知ってしまった。ニコルがアデルに吹き込んできた毒の数々を。それはさながら、ドニが王子にしたのと同じ方法だった。
だから自分を避けるようになったのかと、ドニは落胆した。一方で、急にニコルが接触してきた理由もわかった。
。
ふたたび場面は切り替わる。それは、アデルが亡くなったあの日のことだった。
「グラソンベリーの収穫を代わってくれない?」
ニコルは確かにそう言っていた。
「いいわよ。家の中の仕事は、アデルの方が得意だしね」
そう言うとアデルは、かごを持って出ていってしまった。
ドニは思わず大声を上げていた。無意味だとわかっていても、止めたかった。このままだと君は、雪崩に巻き込まれて、崖から落ちてしまうのだーー。
アデルが出て行ったあと、ニコルはこてんと首をかしげた。
「上手くいくといいのだけれど......」
そう言うと、てのひらにふわりと炎を出す。
それを見てドニはわかってしまった。雪崩が起きた理由を。炎魔法を使って、地表を温めたのだろうーー。
体中の血が沸騰しそうな激情が湧き上がってくる。今にも駆け出したいのをなんとか押さえて、荒く息を吐き、少しずつ呼吸を整えていった。
数日後、ドニは茶番をくり広げた。記憶が今しがた戻ったふりをしたのだ。そうしてニコルに求婚し、共に王都へ向かうことにした。
父親に知られるわけにはいかなかったので、心苦しかったが、靴底に埋め込んであった宝石と置き手紙を残して、二人、旅に出た。
また、村に出たときに働き手も数人、信用できる人間を見繕って依頼してある。
王都に着いた。すると、ニコルは狙い通りに動いてくれた。ドニの財布を奪い、消えたのだ。
彼女はドニを愛していたわけではない。王都まで連れて行ってくれる便利な道具がほしかっただけだ。
でも、ドニは知っている。なにも知らずに田舎から出てきた若い女が、たいていどうなるのかを。ニコルをじっと見ている男がいる。あれは、人攫いだろう。裏町に出入りしていたときに見覚えがある。
その日以来、ニコルの姿を見ることはなかった。
ドニは、自分のやるべきことをするために、振り返らずにその場を後にした。
そうして、王城の門をくぐった。
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ドニ・デ・ボンタンは、ボンタン伯爵家の三男である。
彼は、魔女事件に直接の関わりはなかったが、第二王子の侍従だったものを放逐されている。彼が第二王子の人格形成に大きな影響を与えたと言われている。
ところが、事件から一年後。ドニは再び王宮に迎え入れられた。
その後の彼の活躍は目覚ましいものがあった。グラソンベリーの薬用性に気づいたり、王都でも栽培できるように改良したりと、植物にまつわる分野で突出していた。
一方で、国防に関しても詳しく、深い知識の持ち主であったとされている。
第二王子とは、晩年、仲良く肩を組む姿が見られている。
なお、私生活においては、生涯妻を持たなかったとされている。
ピエール・サリム・モンデュー著
『ネージュニクス王国研究史 愛の魔女と雪の聖女』(初版:王国歴1019年)
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