幕間 第一王子の後悔
この国には、数百年に一度、魔女が生まれる。愛の魔女と呼ばれるその女には、普通とは違う魔力があるという。それは氷の魔力だ。
だがしかし、彼女は魅了の術を使うという。詳しいことは書物に残っていないのだが、前回の革命には魔女が関わっているという。
未遂に終わったからこそ、こうして王家は存在しているが、国の中枢にいた者たちがことごとく惑わされたとだけ伝わっている。今回のように。
一体魔女は、氷の魔力をして、どのように人の心を操るのだろうか――。
王家の者としては珍しく、私たちは家族仲が良かったと思う。父も母もたくさんの愛情を注いでくれた。そして、だからこそ、双子の弟のことを考えると私たちは胸が張り裂けそうだった。
一緒にいると涙を見せてしまう。きっと不審に思うだろう。
だから、両親は弟に話し相手となる同世代の侍従をつけて、自分たちは夜中に弟の寝顔を見に行くようにしていたのだ。
その代わりに、彼の部屋にはたくさんの玩具を置いた。
字が読める年齢になると、それは書物に代わり、弟が読んだものを報告させ、その嗜好を探りながら書物を入れ替えていった。
魔女の本を選んだのは、弟がこの国の伝承に興味を示したからだった。また、父からそろそろ魔女が現れるかもしれないと言われていたこともある。
弟の本を選ぶ役目は、私に一任されていた。
だから、広い城の図書室から美しい装丁の古びた絵本を二冊選んで、弟に届けさせた。
一冊は『愛の魔女』。そしてもう一冊は『雪の聖女』。この二冊は対になっているのだ。
魔女が生まれる時代には、必ず聖女も生まれる。
聖女についての記述もほとんど残っていない。むしろ魔女以上に謎の多い存在だ。唯一現存するこの絵本でさえ、ところどころページが抜けてしまっている。
ただし、わかることがいくつかある。
聖女には魔女の術が効かないということ。雪の魔力を持っていること。そして、白い精霊を連れていること。
学園の温室で、フルールに絵本が一冊しかなかったと指摘されたとき、すぐに調べなかったことを私はひどく後悔している。
フルールが倒れた後に改めて調査をした。ドニが隠し持っていることがわかった。彼は、ジルベルトに与えられていたものをすべて届けてはいなかったのだ。手紙も贈り物も。物によっては売り払っていたようだが、この絵本は古物商に持ち込んだところ、貴重なものをなぜと怪しまれ、売ることも捨てることもできずにいたらしい。
あの時すぐに、調べていれば。そうすれば、このようなことにはならなかった。
いや、そもそもドニの悪感情に気づいていれば? それとも、弟を一人きりにしなければ――?考えても考えても、決定的な分かれ道はわからなかった。
フルールのてのひらに、青い光とともにふわりと新雪が積もった。あの瞬間、雷を打たれたような気持ちだった。フルールこそが聖女だと気がついたからだ。
雪の魔力は、水を凍らせることができる。雪を溶かすこともできる。しかし、氷の魔力で雪を出すことはできないと、本にあった。
かつて、魔女が聖女になり代わろうとしたことから、このような違いも記録されたようだ。
ところが、弟とディディエの娘がやってきて、あの悪夢が起きた。
何を血迷ったのか、ディディエの娘は突然ジルベルトに刃を向けた。そして、それをかばったフルールが倒れてしまった。
私たちは兄弟揃ってその場から動けずにいた。誰よりも早く駆けてきたのは、侍女見習いになったばかりのサロメという女だった。
彼女は真っ白な顔をして走ってきて、フルールの体にすがって泣き叫んだ。
ディディエの娘は、ぷっつりと糸が切れたように動かず、しかし、ぶつぶつと意味のわからないことをつぶやき続けていた。
衛兵たちが集まってきて、スピカ・ディディエを羽交い締めにする。彼女は、か弱い令嬢とは思えないほどの力で暴れだした。そして、自分は悪くないというようなことを叫んでいるらしかった。
サロメはすっと立ち上がると、ごっそりと表情のぬけ落ちた顔でディディエの娘を見やり、てのひらをかざした。そこに、黒いコスモスの紋が浮かび上がったかと思うと、氷の刃が飛び出し、スピカ・ディディエに襲いかかった。
ディディエの娘は耳をつんざくような叫び声を上げたが、怪我はない。氷の刃は、女の鼻先で止まっていた。その後、放心してへたりと座り込んだ彼女を衛兵たちが引きずるようにして連れて行った。
「――フルール?」
フルールに突き飛ばされたまま、固まっていたジルベルトが、よろよろと動き出した。倒れ伏したフルールの頬に手を添え、なにかに驚いたのか弾かれたようにぱっと手を離した。
フルールの瞳は固く閉じられたまま動かない。銀の睫毛の端に、真珠のようにぷくりと涙が残っていた。
ようやく我に返った私は、遅れて彼女のもとへ急ぎ、その手に触れる。つい先ほどまで温かかったのに、今は氷のように冷たい。かすかに胸が上下しているから、まだ息はあるようだ。
ほっとした私は大声を出し、侍医を呼ばせた。どうして動けなかったのだと己を叱咤する気持ちでいっぱいだった。
「兄上……」
ジルベルトがぽつりとつぶやく。そちらを見ると、フルールの背中に刺さった短剣が、すうっと雪に包まれて消えていくところだった。そして、傷跡を隠すように青色の、雪の結晶の形をした紋が浮かび上がる。その光を中心にして、波紋が広がるように、彼女の体を薄い雪の膜が覆っていくのが見えた。




