6. 薫に会うために?
フウガの国ってどこなのかな、と聞いたら、速水がきらきらした瞳で、でもとても落ち着いた様子で説明してくれた。
私、薫は正直言って、混乱の最中にいた。
翡翠?
姫将軍?
風の神様と、神殿???
どれをとっても、かっこいい響きだったけれど……高校受験の時の歴史の知識を頼るしかないのかと思って、思わず頭を抱えてしまう。
でも、今聞いた名前は社会の教科書に、まったく出てこなかったような気がした。
思わずぽかんとしている私に気付いたのか、少し微笑みながら、速水は続けた。
「それで、玲、さん……えっと、僕が知っている玲さまと、薫が言っている玲さんってひとが同じ人だとするならば、なんだけどね」
私は、うんうん、と頷く。あきらって名前の人を速水は知っているのか。そうしたら、ひとまず同じ玲だと仮定して話をしようと思った。
「僕が知ってる玲さまは……以前亡くなった神官の奏さまという方の一人息子で、今、この国でたった一人の、神官家系の直系の方なんだ。
まだ十七歳なのに神童と言われるくらいすごい人で、去年の秋、姫将軍の翡翠さまの父上……巽さまが亡くなられてからは、玲さまと、玲さまの親友の夏野さまが二人で、翡翠軍……っていうのは東軍の別名なんだけど、その参謀役をされてるんだ。
僕、本当に尊敬していて、いつも玲さまって呼んでるんだ」
速水は少し照れながら、でもとても誇らしそうにそう言った。
玲のお母さんが、彼が小さな頃に亡くなった話は、玲と一緒に過ごす中で少し聞いたことがあった……。でも、私は半信半疑で速水の言葉を繰り返す。
「玲が、十七歳で、神官? 参謀??? なにそれ、かっこいいって言うか……信じられない……」
私は興奮も驚きも一緒になったような気持ちでそう呟いている。
先週の誕生日で十六歳になったと思っていたけれど、本当は十七歳になったということなのか。
たしかに玲は高校一年って年齢に似合わない落ち着きというか、冷静な感じがしていたけれど……実は年がひとつ上で、そんな大きな役割を持つ人だったなんて?
速水が言っている玲さまと、私が探している玲が同じ人だったら、という前提はあるけれど……。
でも、何かが直感的に私に告げていた。
玲の部屋に出現していたブラックホールに飛び込んで、たどり着いたのが、ここ、速水の家。
速水の話に出てきた『玲さま』は、私の知っている玲その人に違いない、ということを。
速水は話を続けた。
「玲さま、ここ数ヶ月、ずっといらっしゃらなかったんだ。そして、翡翠さまも不在みたいなんだ。
それがなぜかは僕には知らされていないんだけど。
でも、僕、さっき薫が言ってた、ぱられるなんとかってよくわからないけど、薫と玲さまがお付き合いしていたんだったら、もしかしたら、玲さまは薫に会うために、薫の世界に行かれてたのかもしれないね!」
速水が無邪気ににっこり笑う。
仔犬がじゃれついてくるみたいな速水の素直な感じに、私は思わず胸に熱い何かが込み上げてくるのを感じた。
……玲が、私に会うために、私の世界に来ていた……?
そんな、自分に都合良く考えられないと思ったけれど、でも。胸の奥がぎゅっと締め付けられて、気づけば私の目には涙が浮かんでいた。
「……」
ぽろりと涙が零れる。
私、どうしてこんな、初対面の年下の子の前で、突然泣いちゃってるんだろう。
玲の笑顔、いつも隣にあったのに、急に黙っていなくなってしまったのはどうしてなんだろう。
そして私はこんな訳のわからないところに飛ばされて、……でも、速水の言葉で『玲が私に会うために』と聞いたとき、玲が日本にいたとき、私のことを思ってくれてたことは嘘じゃなかったんじゃない? って思ったら、その瞬間に、胸がいっぱいになってしまってた。
「……薫、どうしたの? ごめん、僕、変なこと言ったかな……」
速水は、急に泣き出した私を見て、ものすごく焦ってる。
突然縁側に倒れていた見知らぬ私に物怖じせずに接してくれる彼の純粋さに、私は余計に涙腺が緩んでしまう。
玲がこの風雅の国というところから、私に会うために、日本に来てくれていたとするならば。
……もちろん、仮定の話だと思っていて、でも、それでも。
そうだったとしたら、それはとても、うれしいことだった。
「速水のせいじゃないよ……なんか、玲が急にいなくなって、黒い渦みたいなところに飛び込んだ後、私は気がついたら知らない所にいて、……でも、もし玲がここの世界の人で、私に会いにきてくれてたかもと思ったら、急に泣けてきたんだ……」
私は掌で涙を拭いて、なんとか速水を見て少し笑って見せた。こんな初対面の年下の子の前で泣くな、かっこわるいぞ、薫。と自分に言い聞かせながら。
「そっか。……ねえ、薫。今、夕方の四時くらいなんだけど……もし、玲さまが、薫が来たときより前にこの国に戻ってきているとしたら、今の時間帯はいつも、夏野さまと軍議をしているはずなんだ。
僕、夕方は翡翠宮ってお隣の宮殿で、軍議の時のお茶を片付けるのを手伝っていて、知ってるんだけど……これから、会いに行ってみない?」
速水がぱっと思い付いたように笑って、きらきらした瞳でそう提案してきた。
軍議? 軍隊のことを会議で話すってことなのかな。
そういう場所に急に行ってもいいのかわからなかった。でも、玲に繋がるならなんでもいい、とも思った。
「え、……それは、行ってみたい。というか、行く。案内してもらっていい?」
私は勢いをつけて立ち上がり、即座にそう言っていた。
速水は私の勢いに少し驚いた顔をして、でも次の瞬間、頷いた。
私は心臓がどきどきして……でも、玲に通じる手がかりは何でも試してみたかった。
「草履はここに置いてるものを履いてもらって……」
じっと私のソックスを見つめて速水が言う。
「薫の履いてる長い足袋みたいなのって指が分かれてないんだね。
足袋を貸してあげる。ちょっと待ってて!」
速水は和室の障子をがらりと開けて、縁側に出た。私はそんな速水の華奢な背中を追いかける。
そして足袋と草履を借りて速水の家から出た。
風雅の国、家の外の世界はどんなところが広がっているんだろう?




