50. 玲の秘密
翡翠が私を抱きしめたとき、身体の冷たさや傷の痛みが、ふわりと緩和された感じがした。
錯覚なのかな?
でも、さっきも同じように、足先の感覚が戻った。今も、どうしてかほんの少し、身体が軽くなっていた。
そして、翡翠は私ともう一度目を合わせて、とても大事なことを言うように頷き、続けた。
「ひとつだけ。きっとあなたが知らないことを教えてあげる。
……玲を大事にして。あなたの世界に行ったことで、あの子の身体の奥は、とても弱っているから」
……心臓がとまるかと思った。
ここに来てすぐの頃、熱を出して寝込んでいた玲。
はぐらかしたいことがあると目を伏せる玲の癖。私には言えない何か。
一体何があるんだろうと、南の谷での戦の時も、速水を助けに行こうとして論争になった時も、救出した時に息を乱してる玲の姿を見たときも。毎回思った。
そういうことだったのか……!
身体が弱っているから、どこか笑顔が儚くて切ない雰囲気だった?
そして玲自身が私のことをカバーできないかもしれないとき、怒るということ?
胸が苦しくなって涙が零れそうになる。でも、泣いてる場合じゃない。私は強く頷いた。
「わかった。ありがとう、翡翠。
私、玲も、東軍も絶対に守って、この先どうするか皆と考えるから!」
その瞬間、ドアの向こうで叫び声が大きくなり、剣戟の音が近づいてきた。
翡翠が私の手を握って囁く。
「行って、薫。あなたに会えてよかった」
私は翡翠をまっすぐ見て、頷いた。私に生命力があるとするなら、どうか、この一人でがんばろうとしていた姫将軍にも、気力を分けてあげられますようにと、強く思った。
「翡翠。がんばろう。一緒に、なんとかしよう。私も東軍でがんばるから……翡翠も、がんばって……!」
翡翠はかすかに笑って、でも、たしかに頷いたんだ。
そして私は、水牢の外に一歩踏み出す。
転ばないよう神経を集中させてゆっくり歩く。寒さに震えながら、牢の壁を伝って階段をよじ登るように進む。速水に切られた腕の傷が疼くように痛む。
意識がもうろうとして、足元がふらつくけど、ここで倒れるわけにいかない。
階段をやっとの思いで登り切ると、目の前に見えたのは黒毛の美しい馬……天藍! 玲の馬だった。こんな奥まで、馬を走らせてきてくれた……。力強い天藍のいななきが、その場に響く。
「薫……!」
その低い声に、息が止まった。
玲。
天藍から飛び降りた玲、返り血と土にまみれた姿で私に駆け寄ってくる。私は力尽きて玲に倒れかかり、受け止めた玲の長い腕にしがみつくような格好になった。
「薫……見つけた……!」
そのままぎゅっと抱きしめられた。吐息まじりの玲の声が耳元で響く。
「速水も無事だ、夏野が連れて先に行った。安心しろ」
玲の声は、心底ほっとした響きで私の耳に届いた。夏野が一緒に来てくれたんだ……。私は目がかすんで意識が薄れそうな中、玲の温かさにすがるようにしがみつく。
「……傷が……身体も冷えきってるな……」
玲は着ていたマントを手早く脱ぎ、ふわりと私の身をそれでくるんだ。震えながらも、玲のマントの温もりと仄かに漂う香の匂いに包まれた安心感から、凍えた身体が少しだけ暖まるような気がした。
私はどうにか意識を保ちながら、どうしても伝えたいことが頭をよぎって、力を振り絞りかすれる声で言う。
「玲……私、翡翠と、会ったよ……翡翠が、助けてくれたの……」
玲の瞳が一瞬揺れた気がした。翡翠の悲しげな微笑みが頭に浮かぶ。
一緒になんとかしよう、と私は翡翠に言った。
翡翠、約束だよ。皆で、この戦いを終わらせよう。
私は朦朧とする意識の中で、そう心に誓った。




