47. 身代わり姫、術中にはまる
速水のお母さんの馬だったというその馬は、胡桃という名前で、赤褐色の毛色をした馬だった。
夜明け前、遠くの空が薄い青になりはじめた時間帯。速水は神殿の厩舎から丁寧な手つきで胡桃を出して、二人乗り用の鞍を装着した。
「行くよ」
言葉少なめに私を誘導して、私は鞍の前側に座り、速水は後ろで馬を操るらしい。
そのまま速水に連れられて、私が再び南の谷の西軍基地、その最奥に辿り着いたときには夜はすっかり明け、おそらく朝八時頃になっていた。
昨夜、私たちが速水を見つけた牢のような石造りの建物、それを通り過ぎて曲がりくねった道を行くと、一番奥に、岩と土壁を組み合わせた砦のような建物がそびえていた。
冬の朝、白く明るい光の中で、松明の火が揺れていた。今は一月、真冬で風を遮る場所もない谷の奥。大きな松明は明かりの他に暖を取る意味もあるのかもしれないと、ぼんやり思いながら進む。
すると、ぽっかりと空いた広場のような所で西軍の兵が数人、私を待ち構えていた。
ああ、そうか……昨夜、治療室で滝が、速水を助けた時に西軍は手薄だったと言っていた。
本当の目的は速水を操って私を捕らえることだったのか。
そのことを最初から、玲も夏野も言っていたのだ。まんまと術中にはまった私のことを、玲は怒っているだろうか?
「今の姫将軍がおまえか……こないだの戦は、こんなガキに手こずらされたとはなあ」
その数名の中では格上らしい男が、にやりと笑った。敵将の西羅ではないんだろうな。顔に傷があり、荒っぽい感じが表情に出ていて軍を率いる最高位の将という雰囲気ではなかった。埃まみれで汗の匂いが鼻につく。不快な感じがして、私は眉をしかめて男を見た。
速水は私の後ろで、最初に私を切りつけた短刀を構え、無言で立っている。
「……速水……ごめんね、助けたつもりだったのに……」
私の呟きに速水は微動だにせず、西軍のひとり、髪の長い細身の男が蔑むように笑った。
「その子供には西羅さまの術がかかっている。もうお前の味方ではない。
……姫将軍の替玉はこっちに来い」
男が私の肩をつかもうと手を伸ばしたけれど、私はとっさに飛び退き、速水の手から短刀を叩き落とした。地面にからんと刀が落ちる。
「速水! 目を覚まして! 薫だよ!」
私の大きな声が叫び声のように岩場に響いた。速水の瞳が一瞬揺れて……でも、すぐにまた何も映していない空っぽな感じの瞳に戻ってしまう。
「何をしても無駄だ。西羅さまの術を解けるやつなどいやしねえよ」
最初に話した傷のある男が、笑いながら私の襟首をつかむ。次の瞬間、みぞおちの辺りに衝撃が走り、意識が薄れる。男たちの笑い声だけが遠くに聞こえた。
「……あきら……」
玲の名を私は声に出したのか、心の中で呟いたのか?
それすら自分でもわからないまま次第に視界が暗くなり、私の意識は闇の中に落ちていった。




