44. 夜闇に紛れて忍び込む。
すっかり暗くなった時間帯。私たちは南の谷奥、西軍の基地に忍び込む。
南の谷での戦いから、まだ三週間くらいしか経っていない。
夜闇の中、あの時の記憶をまざまざと思い出す。
脇の崖から急に駆け下りてきた敵兵、兵士達の叫び声、血の匂い。剣が激しくぶつかる金属音、肉を斬る異様な感触、うめき声。
ここで今夜、速水を助け出す。
滝が先に立って走り、玲と私が後ろから、息をひそめて進む。
滝は足音も立てず夜の岩陰をスムーズに進む。180 cm近くてがっしりしている滝の背中が大きくて心強い。大柄なのに身軽なんだよね。いつも豪快に笑いながら、私を厳しく指導する「剣は流れだ!」って太い声が思い出される。
でも、それが今は、静かではりつめた気配に変わっていた。
玲が私の後ろで、眼を鋭く光らせて周囲を警戒する。
「薫、気を抜くなよ。その先、蔵の陰に敵兵がいる。三人だ」
低い声で囁く。私は頷いて、慎重に進む。
雲が切れ、月の光で視界が少し明るみ、蔵を守るように立つ三人の兵士の姿が見えてくる。三人とも槍を持っている……その時、滝が岩陰から合図を送り、音もなく飛び出した。
次の瞬間。滝の剣が閃いて端に立つ兵士を背後から峰打ち、相手は静かに崩れた……!
「なんだ!?」
「敵襲か!」
残り二人が槍を構えたその時、滝は東軍ナンバー2剣士という異名の通り、風みたいに軽く剣を翻し、二人目のみぞおちに剣の柄を打ち込み気絶させる。
駆け寄った玲が三人目の首筋に手刀をたたき込み、どさりと地面に倒した。
あっと言う間、二人とも異様に強い……。
私も剣を片手に構えていたけれど、二人の抜群の戦闘能力に言葉もなかった。
「俺と玲は翡翠軍の三本の指に入る」と、昨日、滝が言っていたことを思い出す。
訓練の時や、初陣の時に目にしてわかっていたことではあったけれど、改めて至近距離でそのスピードと正確な技術を目にした私、滝の言葉は真実なのだと実感していた。
「行くぞ」
玲の低い声を合図に先に進む。滝はたっと身軽に駆け出し、私たちも彼に続く。
「薫、俺の後ろからついてきたらいい」
玲が剣を抜いて私の前を走る。玲の動き、全然無駄がないけれど、さっきの攻撃で少し息が乱れてる? 本調子じゃないのかなという気持ちがうっすらと頭をかすめた。
いや、でも、もしそうだったとしても私は援護するしかない!
そう気持ちを立て直して、滝と玲の後に続く。
土がむき出しになっている道を進む中、暗がりの中から数人の兵が飛び出してくる。滝が斬り、突き出された槍を、私も剣で受けて防戦する。
……重い!
耐えきれないと思った時、横から玲が凄い速さで剣を振って、敵兵の槍を弾き飛ばした。そして私を後ろからかばうように抱き寄せて脇にやり、振り向きざまに相手を斬り仕留める。
敵兵の悲鳴、倒れる音、そして玲の息遣いは、やっぱり少し荒い。
「……薫、大丈夫か?」
息を整えながら振り返った玲の真剣な眼、私を刺すように見る。
「大丈夫、ありがとう!」
言いながら、少しわかった。玲自身に余裕がないんだ。
おそらく体調が万全じゃない。だから私が来るのを強硬に否定したのかもしれない。
滝が言っていた。
「俺と玲の二人で、速水を抱えて薫まで守るのは至難の業だ」、と。
そして昨日、私の肩をつかんだときの、異様に冷たい玲の手。
あのひやりとした感触が蘇る。玲が考えていたことも、ほとんど滝と同じだったのかもしれなかった。
そしてその原因が、彼の体調不良にあったとしたら……?
私は剣を構え、改めて玲の背中をフォローするために周囲を警戒する。
言ってくれたらいいのに、という気持ちと、どうして言わないんだろう? という疑問を心の奥に抱えながら、私は滝と玲に続いて先に進んだ。
私はひとりでこの風雅の国に飛び込んで来た。そして知らない世界で、いなくなった翡翠の代わりをつとめてる。ここまで来て、何を内緒にする必要があるっていうんだろう?
それはこれまでにも、何度か感じていた疑問だった。
玲の、いつもの目を伏せる癖。最近のどこか儚い笑顔。
敢えてそれを直接聞いて、事を荒立てたくは無かった。玲に嫌われたらここにいる意味がなくなってしまうというのは、私の中で恐怖に近い気持ちだった。
でも。
玲は一体、何を隠しているんだろう?




