43. 再び南の谷へ。
翌朝の翡翠宮。
寒い朝だった。裏口を抜けて歩く自分の息が、白く見える。
いつもより少し早く青の間に行くと、早朝に偵察隊からの報告が届いていた。
南の谷での戦の後、西軍の大部分はもともとの本陣である西の砦の方に戻っていて、南の谷の西軍基地には現在、三十人ほどの兵が配置されているらしい。西羅自身がそこにいるかどうかは不明だったけれど、黎彩の予測通り、速水は南の谷の西軍基地に囚われているようだった。
私が顔を出したとき、青の間では夏野と黎彩が地図を広げ、速水の救出経路を検討し始めていた。
「薫、出発は夕方五時だ。昼間は目立つからな。南の谷に七時過ぎに着くように行く。斬り合いになる可能性もあるから、蔵から鎧持ってきとけよ。夕方になったら鎧を着けて、剣も持って出ようぜ」
玲が真剣な表情で私に声をかける。
私はすぐに馬に乗ってもいいように、朝から乗馬用の袴姿で青の間に来ていた。この前の初陣での怪我が回復した後、蔵に鎧を片付けていた。私は甲冑を取りに蔵へと向かった。
滝は午前中はいつも通り軍の訓練を受けて、午後から青の間に来るとのことだった。普段通り、元気いっぱいだ。私もほとんどいつもと変わらず、午前中は朱鷺子の薬草と医術の講義を受ける。黎彩からの戦術指南も同様に受けるけれど、我ながら気もそぞろだった。
「薫、今日は上の空だな」
いつも厳しい顔をしている黎彩が、珍しく少し笑う。
「ごめん、黎彩……速水のことが気になって」
当初、私は黎彩にもさん付けをしていたのだけれど、翡翠と同じように呼び捨てで呼んでくれと言われて、それ以来呼び捨てで呼ぶことにしていた。黎彩はふむと頷く。
「気持ちはわかるが、戦術の種類を多く知ることが、今日に役立つこともある。もう一度、今のところを繰り返すぞ」
私は頷き、できるだけ集中して講義に臨むことにした。
夕方になり、私は鎧を身につけ、玲と滝と並んで青の間に立つ。三人とも戦装束に着替えていて、刀を腰に差している。玲が私を見つめて、言った。
「薫、無茶するなよ。今回も冷静にいくぞ」
昨日、ものすごい剣幕で私の同行を止めたときの玲の表情が頭に浮かぶ。あの冷たい目を思い出すだけでテンションが下がりそうだった。
「分かってるよ。……速水、怖い思いしてると思う。早く行こう」
私が素っ気なくそう言うと、玲は何か言いたそうに、ちらりと私を見た。すると滝が、青の間の重い扉を開けながら、にやりと笑って楽しそうに言った。
「どうせ玲は、現場に着いたら薫も速水も庇うつもりなんだろ? そしたら俺は、玲が敵の刃を受けないように動けばいいよな♪」
滝は玲の一つ年下、子供の頃から神殿の剣術稽古を玲と夏野と一緒に受けていたらしく、三人とも兄弟みたいに仲が良い。いつも、何を言っても許されるって雰囲気で話してる。
えっ、そうだったの! と玲を見ると、玲は私には視線を流さず滝を睨んだ。
「本っ当にお前は一言多いな! そういう種明かしみてえなことを行く前からするな!」
「ははっ! 図星指されて腹立ってんだろ!」
ふざけて逃げるように翡翠宮の玄関の方に走って行く滝を見ながら、玲は肩をすくめ、私は苦笑する。
滝は私たちの気を紛らわせてくれたんだな……と心の中で私は思っていた。
でも、玲がそういう風に考えてくれていたなら、とてもうれしいと思ったとき。
走って行く滝を見ながら、ふと、玲が軽く私の頭を撫でた。私は驚いて玲を見上げる。
彼は、まっすぐ前を見て、ぶっきらぼうな口調で言った。
「……ま、できるだけ気楽に行こうぜ。力が入りすぎると怪我につながるからな」
私は少し微笑んで、わかった、と頷いた。
行くよ、速水。無事でいて。
厩舎に着いて、各自、自分の馬に鞍を着け跨る。紅玉は優しい目で私を見てくれていて、勇気づけられる。夕闇が迫る中、玲の天藍が、そして滝の炎群が一緒に門の外に出る。
速水を絶対に取り戻す。
そんな決意を胸に、南の谷に向かって私たちは馬を走らせた。




