39. そして王子は。
目が覚めたとき、真っ白な天井が目に入った。
ここ、どこ……?
足下の窓、その遠くにきらきらと光る湖が見え、ほのかな薬草の匂いが心地良い。
私は治療室の清潔なベッドに寝かされていて、額に冷たい手ぬぐいが乗っていた。枕元には玲が座っていて、何か巻物を読んでいる。
「……玲? 私、なんで……」
起き上がろうとするけれど、ぜんぜん身体に力が入らなかった。
私の声に気付いた玲、巻物を脇に置いて、優しく私を見る。
「ああ、気がついたな。おまえ、縁側で倒れたんだ。
薫は真面目だから、がんばりすぎるんだよな、いつも。
全然顔に血の気なかったし、具合悪いときは休んでていいんだ……」
少しあきれたような口調。でも、いつもより心配そうで、優しい瞳をしている。
「ごめん、……私、皆にありがとうって言おうと思って……」
ぐっと身体に力を入れてどうにか起き上がろうとした私、玲に制される。
「結構熱が高いからまだ寝てろ。こっちに来てからずっと、必死だったもんな。初めての戦だったし疲れすぎたんだろ。……姫教育は今日まで休みにしたから、礼を言うのも明日にしたらいいし、夕方までここで寝ていけばいい」
「今、何時……?」
「ちょうど昼時。朱鷺子は昼飯食いに行ってる……何か食えそうなら食堂から持ってきてやろうか?」
私は少し考える。まったくお腹はすいていなかった。でも、玲もお昼ご飯食べないと。
「……いらない……。玲、食べてきていいよ。私、もうちょっと寝てる……」
「そうか? じゃあ、朱鷺子が戻ってきたら入れ違いで行こうかな」
玲は珍しくのんびりとそう言って、やっぱり優しく私を見る。私は、玲の顔色もさほど良くない風に見えて、そっと聞いている。
「……玲は体調、大丈夫?」
私の声に、彼は少し目を伏せて笑った。
「まあ、戦って疲れるよな……。でも俺はおまえほど悪くない。今日は休みみたいなもんだし、特に問題ないな」
その時の私は、彼が目を伏せたことにも気付かないほど低調で、問題ないと言われて、ほっとして息をついていた。……と、玲は思い出したようにベッド脇の小さな台に置かれた小ぶりの器を手に取る。
「朱鷺子が薬湯置いて行ったんだ。ちょっと起こしてやるから、これ飲みな。楽になると思うぜ」
玲は優しく私の上半身を抱き起こしてくれて、薬をゆっくり飲ませてくれる。
飲むと、苦いけれど清涼感が胸に広がって、少し呼吸が楽になった。
「……ありがと……玲、上手だね、飲ませるの……」
ベッドに横たわらせてくれる玲にそう伝えると、ふと笑う。
「俺は神殿で育ったから……戦の怪我人の手当をするとき、子供の頃から結構手伝ってたんだ。さっきより少しはマシな気分になったか?」
「……うん。でも私、こんなんじゃだめだよね……翡翠の代わり、ちゃんとしなきゃ……」
言いながら、声が震える。
心の中で、夢の場面が再現される。
玲が斬られたりしないように。皆が命を落としたりしないように。私は倒れたりしてる場合じゃない。戦闘訓練も座学ももっと頑張らなければという思いが、初陣に参加したことで加速されていた。
私の言葉を聞いて、少し首をかしげた玲、枕元に出ていた私の手を軽く握った。
玲の手は私より大きくて綺麗な長い指をしている。包み込むみたいに手を握られて、それだけで私は心底安心していた。彼は、囁くように言った。
「こんな小さい手で、精一杯がんばってるだろ? おまえがこの二ヶ月、座学にも剣術にも、馬にも弓にも……必死で食らいついてやってきたってことは皆知ってる。初陣でも、あんなに頑張っただろ。死者ゼロなんて、翡翠にもできなかった。おまえは十分すぎるほどちゃんとやってるよ」
「……でも……」
「でも?」
聞き返す玲に、思わず私の目から涙がこぼれた。
「夢で、……玲が、斬られる夢、見て……私、間に合わなくて」
しゃくりあげる私を、玲は少し悲しそうに見て、そして、言った。
「大丈夫だ」
玲の、心の奥に響くような強い声に、涙が止まり、私は彼をじっと見る。玲は続けた。
「……戦、怖かったよな。ごめんな。
俺は、おまえが戦で、こんな風に傷つくのが嫌だったってのもあるんだよな……。
でも、俺は斬られてないし、誰も死ななかった」
誰も死ななかった、という玲の言葉が力強く私の胸に響く。そして、彼は言った。
「おまえは翡翠じゃない。薫だ。
薫が最初に、『必ず生きて帰ろう』って兵たちの前で言ったとき、俺は驚いて……でも結果的に、誰も死ななかった。
戦のとき、薫の近くにいるとふわっと身体が浮く感じがあって……皆、動きがよくなってた。
助け手は守護の力を持っていると神殿の巻物にも書かれてるから、おまえには何か、そういう、無意識に周りを護る力があるんだと思う。
初陣ではおまえのやり方で皆を引っぱったんだ。これからもそうして行こうぜ。俺もできる限り助けるから……、おまえは俺のことも、皆のことも、もっと頼っていいんだ。
それで、頼むからもう、そんな風に泣くな。夢は夢だから……現実とは、違うからさ」
玲の声が、どこか必死な、言い聞かせるような感じで響いて、私はうん、と頷いていた。
よかった。玲が斬られる夢ばかり見ていたけれど、現実の玲は怪我してないし、優しい……。
助けてくれるんだ。もっと頼っていいんだ。私は心底安心して、夢も見ない深い眠りに落ちていった。




