38. 身代わり姫は昏倒し、
初陣から戻ってきた朝。
私は青の間を出て治療室に向かい、朱鷺子からもう一度、丁寧に腕の傷の手当をしてもらった。
「熱が出るかもしれないから休んで行きなさい」
朱鷺子が優しく言ってくれたけれど、遠慮した私は鎧だけ治療室で脱がせてもらい、速水の家に帰ることにした。その方が気を遣わずにぐっすり眠れるんじゃないかって気もしていた。
屋敷の裏口から入ると、速水とばったり会った。ちょうど神殿の学び舎に出かけようと家を出るところだったらしい。初陣のことは朱鷺子から、前日に伝えてもらっていた。
「ただいま、速水……」
いつもながら素直な性質の速水、ふらふらな私の姿を見て青くなる。
「薫! ……ひどい顔色だよ。初陣どうだったかなって思ってたんだ。
すぐ布団敷いてあげるから、横になって」
「うん……ごめん速水……。初陣、大変すぎた……なんとか勝ったよ……」
私は息も絶え絶えという感じだった。速水は私の左腕の包帯にも目を留める。
「腕に包帯……怪我したの?」
「うん……軽い傷で、朱鷺子さんに手当してもらったから、ちょっと寝てたら治ると思う……」
「わかった! 僕、今日は学び舎から早めに帰ってくるから、とにかく寝て!」
手早く布団を敷いてくれる速水にお礼を言って、私はお風呂を沸かしたり入ったりする気力もなく、ざっと身体を拭いただけで浴衣に着替え、気絶するように眠りに落ちた。
そして私は、夢を見た。
夜の闇を縫って、シュン! シュン! と放たれた矢音が響く。
兵士たちの怒号。剣がぶつかる重々しい金属音と、叫び声。
「危ない! 玲!」
叫ぶ。目の前に、私をかばうように立つ玲。
間に合わない……!
私の目の前で玲が斬られて血しぶきが舞う。
待って。
死なないで玲!
実際の戦場では懸命に堪えていた涙がぼろぼろと零れる。
私ははっと目を開けた。
「……ゆ、め……」
急にひどく寒気を感じて、ぶるっと震える。
「あきら、……今……」
いや、今のは夢だ。玲が斬られて血だらけで倒れるなんて、悪趣味な夢だ。玲と一緒に青の間で、私は夏野と桔梗さんに戦果の報告をした。死者ゼロだったと夏野が笑っていたではないか。
私は自分の濡れた頬に触れる。涙が止まらず流れ続けていた。
どうしよう。……もし今の夢みたいなことが起こったら、どうしたらいいんだろう。
急激に寒さを感じて、震える身体を自分で抱きしめた。寒い。そして怖い。
今回は誰も死ななかった。私は軽傷で、玲も怪我はしなかった。
でも、次は?
傷が鈍く痛み、刺すような寒さを感じながら、再び私の意識は遠のく。
こんな戦いは終わりにしなければならないのではないか?
その日、私は疲れと傷から高熱を出した。
お昼過ぎに神殿の学び舎から帰ってきた速水、私の状態を見て、もう一度神殿に戻って熱冷ましの薬をもらってきてくれた。そして一生懸命看病をしてくれたけれど、熱がさほど下がらないまま、翌々日の朝を迎えた。
私は何度も悪夢にうなされて飛び起き、ろくに眠れていない状態だったけれど、青の間に顔を出して皆に一言お礼を言わなければと、朝からどうにか着物に着替えた。
「薫、朝ご飯できてるよ」
起きてきた私に笑顔で声をかけた速水、私の顔を見て真面目な顔で黙る。
少しでも顔色がよく見えるように淡い桃色の着物を借りたけれど、あんまり意味なかったかな……と、私は内心考えている。
「……薫、まだ熱が下がってないよね? 今日は行ったらだめだよ。すぐ布団に戻って」
速水の言葉に私は微笑んだ。
「速水、大丈夫。今日は朝ご飯いらない。
皆に、戦のときはありがとうって伝えたいから、翡翠宮に行ってくるね」
寒すぎて、玲からもらって戦のときも活躍してくれた緋色のマントにくるまり、草履を履いて翡翠宮に向かう。私の背中に、一言伝えたらすぐ帰るんだよ、と速水が声をかけた。私は裏口のところで振り返り、心配顔の速水に頷いて翡翠宮に向かった。
まずいな。振り返るだけでも立ちくらみみたいに目眩がする。
どうにか、数時間でいいから持ちこたえてくれ、私の身体……!
そんな風に思いながら、いつもの翡翠宮裏、渋い赤で塗られた木戸をくぐった。
裏庭を抜けて、いつも通り綺麗に磨かれた長い縁側にたどり着く。草履を脱ごうとひとまず私はそこに座った。
……やばい。
草履は脱いだものの、縁側に座り込んだまま立ち上がれなくなってしまった。十二月の冷たい空気が胸に入って、身体が凍り付くみたい。かたかたと震えが来る。
どうしよう、立てない。そして寒くて息が苦しい……。
胸を軽く押さえて俯いていると、自分の速い呼吸の音がやけに大きく耳に響いた。
……と、その時。
「薫? 大丈夫か?」
背後から玲の声が聞こえて、私はびくんと肩をふるわせている。
廊下の突き当たりが玲の私室だ。私が朝食を食べずに早い時間に来たから、玲が部屋を出る時間帯と同じになったのかな……。
座り込んでいたらだめだ。私は翡翠の代わりとして、今日もがんばらなければ。
私は熱のせいもあり、翡翠の代役を頑張るというひとつのことしか考えられなくなっていて、腕と足に力を入れて、どうにか縁側に立って玲を見上げた。
「ごめん、玲、ちょっとぼんやりして……」
言いかけて、あれ?
真っ暗……。
「薫!」
玲の声が遠くで響く。倒れかけた私の身体を、玲が駆け寄って抱きとめてくれていた。
温かい腕、玲の着物に焚きしめられた香の匂いがかすかに香る。私は頭ががんがんと痛んで、でも、その香りに少し安心してもいた。
「……あきら……」
声がうまく出なくて、小さく彼の名前を呼んだら、低い声が耳元で響く。
「熱が高いな……こういうときは寝てなきゃだめだろ。すぐ治療室に連れて行く」
玲は、身体に力が入らず彼に凭れていた私の身体を軽く抱き上げ、私はそのまま、意識を手放してしまったんだ……。




