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35. 初陣?

 そして私は紅玉(コウギョク)に乗って、(アキラ)と並んで南の谷へ向かった。


 十二月の風は冷たいけれど、良く晴れた青空の下、緑の草地が広がっているのを見ると気分も上がってくる。


「楽しいね!」

 軽快に走る紅玉に揺られながら、私は笑って玲を振り返る。

「よそ見して体勢崩さないように気をつけろよ!」

 玲も笑顔で言って、私は玲とこんな風に笑い合う時間が戻ってきて、うれしすぎるなと思っていた。


 でも、谷の近くに差し掛かったとき、玲の雰囲気が変わった。天藍(テンラン)を止め、遠くの谷間を鋭い瞳でじっと見つめる。

「……何か見える?」

 私がそっと聞くと、小さな声で呟いた。


「あそこの谷の奥の岩陰……西軍の斥候だろうな。数人動いてる」

 私は目を凝らしてみる。こちらは切り立った崖の上、あちらは谷間の奥。矢も届かないようなかなり遠くに、黒い影がちらちらと動いているのが見えた。


「ほんとだ。何人かいるね……西軍が近くに来てるってこと?」

 少し緊張して私は言った。言葉にした途端に、胃の辺りがきゅっと縮まる。西軍……黎彩(レイサイ)から何度も聞いた。狡猾な敵将・西羅(サイラ)。奇襲やスパイ、呪術も操る。

 私の声に、玲は頷いて。


「もともと南の谷は、西羅と俺たち東軍がよくぶつかるところなんだ。

 西軍は谷のもっと奥に基地を作っていて、そこに一部の兵を置いてるんだが……あそこまで出てきてるってことは、あいつらは戦の準備のための偵察隊だろうな。これから戦陣を展開するつもりだろう。今日、ここまで来てちょうどよかったな」


 戦?

 ……そして戦陣を展開……?


「すぐ、帰って、皆に知らせなきゃ」

 呆然と、でも考えを必死でめぐらせて呟く私を見つめて、玲はもう一度頷いた。

「そうだ、薫。大至急、翡翠宮に戻ろう。

 ……おまえの初陣になるかもしれないから心の準備もしとけよ」


 初陣! 私の?


 緊迫した玲の言葉に胸がどきんと脈打つ。でも、玲の冷静な瞳と、天藍と紅玉の落ち着いた息遣いに、私の心も少しずつ静かになってくる。


 今まで皆の協力で、私も最大限の努力をしてきたんだ。

 私が恐怖に駆られたりしている場合じゃないよね。

 私は自分の気持ちを、できるだけ立て直そうとしていた。


「わかった。すぐ戻ろう!」

 玲と私は、急ぎ翡翠宮への帰途についた。



 翡翠宮に戻ると、軍が毎日巡回させている偵察隊からも南の谷の情報が入ってきていた。ちょうどそれを黎彩が、執政の桔梗さんと参謀役の夏野に話していた所だった。


 慌ただしく戦の準備が始まり、玲が私に鎧を持ってきてくれる。

「薫、これがおまえの鎧だ。朱鷺子に着せてもらってくれ。翡翠のものだが、体型が同じくらいだからサイズは合うと思う」


 それは、黒地の革と鉄の小さな板を、深紅の糸で縫い合わせ装飾が施された美しい甲冑で、私は朱鷺子に手伝ってもらってそれを身につける。少し重いけれど、女性用に軽く作られていると言われた。同時に朱鷺子から革袋に入った応急処置セットを渡される。その中には薬草や包帯が一式入っている。そして朱鷺子は、私の額や肩に薬草で作った軟膏を塗った。


「これは夜になると黄緑に光って見えるの。味方だとわかるように、東軍は皆塗ってるものよ。薬草の使い方は、教えた通りにやれば大丈夫。自分や周りが怪我をした時、これを使ってね」

 私を勇気づけるように朱鷺子は笑った。



 そして数時間後。

 夕方から南の谷近くに移動してこちらも戦陣を展開し、明朝に戦闘開始すると話がまとまった。

 出陣前に兵たちを鼓舞してくれと言われ、軍の練習場に黎彩と玲と一緒に向かった。目の前に数百人の東軍兵士たちが、すでに鎧を着て並んでいる。


「薫、一言でいい。姫将軍として、皆に気合いを入れてやってくれ」


 黎彩からそう言われて、ぐっと言葉につまる。私は黎彩と玲と並んで、広場を見下ろす高い位置に立ち、兵士たちは静かに私たちを見つめている。緊張で喉が塞がったみたいに声が出ない。

 どうしよう……怖い。

 どくんどくんと私の心臓の音が外にまで聞こえそうだった。


 大勢の兵士達を前に言葉につまっていたその時、隣でふと息をつくのが聞こえて、玲が一歩前に進み出た。

「……皆、聞いてくれ。これから、南の谷に出る。戦闘開始は明朝の予定だ。

 ここにいるのは薫……いなくなった翡翠の代わりに、俺が見つけた『助け手』だ。俺たちは必ず勝つ!」


 玲のよく通る低い声が広場に響き、兵士たちが鬨の声を上げる。

 それを見た玲、私の方を見て。

「大丈夫だ、薫。一言でもいいから声かけてやって。それだけで盛り上がる」


 革と鉄の黒地の板を藍色の糸で装飾した鎧をまとい、凜々しく立つ玲。私は彼を見上げて目を合わせ、その瞳の静かな光を見て、兵達に視線を流した。


 すると、兵たちの真ん中、一番前に目立つ赤毛……(ハヤセ)がにやにやと面白そうな笑みを浮かべて腕を組んで立っているのを見つけた。


 玲も滝も一緒に行く。

 私はやっと落ち着くことができて、すう、と息を吸い込む。


「私は薫……翡翠の代わりとしてここに来ました! 西軍が南の谷に戦陣を展開しはじめています。一緒に、立ち向かってください! 私もできる限りの力で、皆さんと戦います! 必ず! 生きて帰りましょう!」


 私の声も、広い空間に綺麗に響いた。

 ……と、滝が。

 兵達をくるりと振り向いて、片手を振り上げ、言ったんだ。


「薫はこの二ヶ月、俺が鍛えた! 翡翠を超える逸材だ。絶対勝てる! 行こうぜ!」


 その声で、兵の皆が、おおおお! と再び鬨の声を上げる。翡翠を超える逸材だなんて、皆の士気を上げるための滝の方便だとわかっていたけれど、私はそれだけで涙ぐむような気持ちになっている。そんな私と軍の皆を交互に見て、黎彩が一言呟いた。


「滝がこういう風に全体に声かけするのはめずらしい。薫を相当気に入ったんだろう」

 玲がぽんと私の背中を軽く叩く。

「……俺たちも出るぞ、薫。大丈夫だ。冷静に行こうぜ」


「うん、玲。行こう!」

 私は前を見て、頷いた。


 怖くても、玲、黎彩、滝、皆が私の周りにいてくれている。翡翠みたいに、皆を奮い立たせて西羅に立ち向かうと、私は心を決めていた。


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