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33. 滝の本音

 日々の姫教育の過酷さに、少し慣れてきたある日の夕方。

 水曜日の夏野との弓の訓練の後、私は少し湖の方を散歩して帰ることにした。


 十二月と言っても暖かい日で、澄んだ空気がかえって心地良かった。

 湖の水面を渡る風の音が、そよそよと静かに周囲に響いて、遠くに夕陽が沈もうとしていた。


 ……と、ひとり体育座りのような格好で座り込み、夕日を見ている(ハヤセ)がいた。


「……滝? どうしたの?」

 いつになく寂しそうな、悲しそうな滝の雰囲気に、首をかしげ、私は彼の隣にすとんと座った。


 そこからは山の向こうに沈む美しい夕日を見ることができる。

 

 冬のしんとした空気の中で、太陽が沈む美しいグラデーションを眺めているうちに、私は気付いた。

 滝は涙ぐんでいた。


 滝は十六歳、私と同い年だと聞いていた。

 いつも豪快で、燃えるような赤毛を揺らし、物凄いスピードで剣を振り、私を厳しく指導している。


 涙なんて対極にあるものみたいだった男の子が泣くなんて、すぐには信じられなかった。

 そして、今までの人生、男子が泣いているところを見ることは、小さな頃に兄が転んだりした時以外では、あまりなかったことだった。

 私が黙って座っていると、不意に滝が呟いた。


「俺は……翡翠のことがとにかく好きだったんだ」


 ああ、翡翠の不在が滝を泣かせているのか、と思って、私は無言でそっと寄り添うことにした。


 玲が急にいなくなって、私はこの世界に落ちてきた。そして速水に手伝ってもらい、玲の本音を聞くことができるまでの数日間……あの不安やつらさを思い出すと、今でも心臓がきゅっと締め付けられるような気持ちになる。


 翡翠は、今年の二月から行方不明だと聞いていた。

 そして、滝は翡翠命だと、最初に滝と会った日に、玲が言った。

 その命と言うほど大事に思っていた翡翠が、長い間不在にしている。そのことは、彼にとってどれほど悲しくつらいことだろうか、と、私は思う。



 滝は続けた。

「翡翠のことが好きっていうか、……憧れみたいな姫なんだ。

 おまえのことは俺は気に入ってる。めちゃくちゃ根性あると思ってる。

 でも、おまえが翡翠の代わりだとしたら、翡翠本人はもう帰ってこねえかもしれないんだよな」


 滝の声が震えた。

「いつも訓練してるときは、考えないでいられる。

 でも、ふと、こういう綺麗な夕日だとか、なんかそういう、思い出すようなのを見ると、たまんねえんだ」

「……」


 私は黙って、滝の背中をぽんぽんと軽く叩いた。よしよしとするように。

 子供みたいだな。でも、こんな風に素直に内面を語ってくれる人、ものすごく信頼できると思った。


「……滝。私、明日もがんばるね」

「おお。覚悟してろよ」

「……それは怖いな」

 二人で少し笑っていたら、滝の涙は止まったようだった。


 それぞれの胸の内に、悲しいことやつらいことがあるんだ。

 どんなに厳しくても、私もがんばろう。


 私は滝の隣に座って、湖を渡るちょっと冷たい風に吹かれながら、そんなことを考えていた。


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